きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
nasu
新井克彦画「茄子」




2000.10.12(木)

 この10日ほど体調が悪く、会社の付属病院に行ったら腸閉塞だって! 正確には腸閉塞気味ということらしいんですが、本人が一番驚いています。でもまあ、原因が判って一安心、でもないか。原因の原因が問題なんです。大腸癌の可能性もあるなあ。まだ生きてますけど親父も癌だから、家系かもしれませんね。明日は検診。どんな結果になるやら、どんな精神状態になるやら、不安はありますが興味もあります。モノ書きというのは嫌ですね、そんなことまでネタにしようと考えています。


忍城春宣氏詩集『もいちど』
moichido
2000.9.25 東京都新宿区
土曜美術社出版販売刊 2000円+税

 バス停で V

商店街からすこしはなれた
末広町のバス停に白い杖もった
全盲の女子高校生が佇んでいる
白い杖と背中のながい束ね髪が
雨にぐっしょりぬれて光っている
 客が手をあげていなかった
からといってバスの運転手が
知らん顔して通過していった
娘の足もとに野地菊が一輪
雨のなかで顔を垂れている
おさない兄妹が乗りわすれた
二台の自転車だろうか
夕立にうたれてふるえている

 どなたの作品だったかは忘れましたが、戦闘が終った夕暮れ時、兵が向うから来る人を誰何した、というのを思い出しました。誰何された人は応えず、兵は射撃してその人を殺しました。殺された人は耳の聞こえない人でした。
 誰何して応えなければ射殺せよ、バス停で手をあげていなければ停車するな、根底に同じものを感じます。そういえば私も高校生の時、バスに置き去りにされたことを思い出しました。バス停近くにトラックが止まっていて、バスの運転手からは死角になっていました。バスは速度も落とさず行ってしまいました。
 作品に戻りましょう。「娘の足もとに野地菊が一輪」、「二台の自転車」というカメラアングルを変えた情景描写がとてもよく効いています。淡々とした語り口とこの情景描写が作品の質を高めていると思います。詠嘆でも絶叫でもなく、描写で語るというのは小説の基本ですが、詩でも同じことが言えますね。


詩誌『駆動』31号
kudou 31
2000.9.30 東京都大田区
駆動社・飯島幸子氏発行 350円

 夏の手/長島三芳

遠い日に
老いた母の体を抱えたのはこの手であった
あの日の母は
夏の黄色い向日葵の
花束よりも軽かった。

むなしく時が過ぎて
私の手は夏の夕焼け空を抱える力もない
あの若い力は
いったいどこへ消えてしまったのか
夕暮れに近くの海辺をサンダル履きで
愛犬に引っぱられて
よろよろと歩くだけとなった。

そうか かつて戦争で
歩兵銃を握ってこの指先で
カチリと引き金を引いたのもこの右手であった
いまはその時と同じこの手で
晴れた日の三浦の松輪の沖で
大鯛が指先にぴくりと引くのを
じっと待っている

それから先は
古い詩友の夏の葬式で香を摘み
ふるえる声で弔辞を読むだけとなった
その先は
涙で眼鏡が曇っていて
明日がよく見えない。

 大先輩の作品をこんな拙いHPで紹介するのは無礼、という気がしています。しかし三芳さんの作品は他ではなかなか拝見できないので、無礼を承知で紹介しています。細かい配慮が効いた作品を堪能してください。起承転結がきちんと決まっていることも勉強、最終行の締め方も勉強だと思います。特に、1〜3連目までは「手」が出てきますが、最終連にはありません。しかし「香を摘み」でちゃんと書いています。その技法は学ぶべきでしょう。



 
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