きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
nasu
新井克彦画「茄子」




2000.10.13(金)

 初めて大腸内視鏡検査なるものを受けてしまいました。胃の内視鏡検査は何度か受けたことがありましたので、苦しいだろうと観念していました。しかし思ったほどではなくて一安心。ポリーブが二ヶ所見つかりましたが、良性とのことで、こちらも安心。一応11月に摘出をすることにしました。でも、問題は一週間の禁酒ですね。この30年ほどはそんなに長い期間の禁酒なんて経験したことがありませんから、実行できるかどうか不安です。それまでにいっぱい呑んでおこう(^^;;
 検査の待ち時間を利用して、ジョン・アーヴィングの『サーカスの息子』を読み始めました。これを読み終わると昨年から今年にかけて翻訳された全てを読了することになります。おそらく日本で翻訳されている全てを。まだ第5章の途中ですから、おもしろさも半分というところですね。どんな展開になるやら楽しみです。私のお薦めの作家ですから読んで損はないと思いますよ。


詩誌『波』11号
nami 11
2000.10.15 埼玉県志木市
水島美津江氏発行 非売品

 上の写真ではちょっと見え難いのですが、表紙の左下に「もう追悼文は書かせないで!!」とあります。昨年亡くなった高橋渡さん、この9月に亡くなった成田敦を偲んでの言葉です。今号は成田敦さんの追悼特集になっています。

 
つきのひかり/故 成田 敦

おまえをだきしめた
びょうきのからだのかたむきかげんに
だきしめる
おまえのむねにてをやっている
まだこんなしろくふっくらしているの
それにしても
このよのそとにすきとおりふくらむような
どうしてだかわからない
そうにもいっているようにおもわれ
めとめをよせあっている
わたしをじっとみつめるそのめが
こえをあげそうにぬれている
ひさびさにふろにはいりたがって
ふたりでゆにつかるのは
こんやがさいごのようなきがした
はだかのやせぐあいをゆにうかべ
ゆのおとにじぶんをしずめているようだ
ゆからあがると
ふしどへたおれるようにはいった
そのかおがさむそうにうつってみえる
そとはまんげつだった
まどをあけあかりもけして
いっしょにながめているはつなつのよる
いまむじゅうりょくみたいなおまえを
わたしにもたせかけていると
おまえのみひらいための
しずかさが
つきのひかりにみちてこぼれている

 この作品は昨年1月に発行された『波』8号に載っていたものです。当時、私もHPで一部分を紹介しましたが、今回は全文紹介します。ここに出てくる奥さんも亡くなり、成田さんも亡くなった今、人間の持っている哀しみと愛情を改めて感じさせてくれると思います。今号の水島さんがお書きになった追悼文を拝見すると、この作品について成田さんは「僕は愛をうたうのが恥かしくかな文字にしたんです」と水島さんに語ったようです。成田さんのナイーブさが伝わるエピソードだと思います。改めてご冥福をお祈りいたします。


総合文芸誌『星窓』6号
hoshi mado 6
2000.9.30 大阪府中央区
星湖舎・金井一弘氏発行 1000円+税

 山/いずみきよし

ここに来ると
山の風が 歓喜の声に変る

そして 私は
動けなくなり 立ちつくす

 この作品の左頁には作者の描いた山の絵があります。彩りから秋の山ではないかと思われます。その絵を見ながら作品を読むと、中学生の頃を思い出します。ひとりで林道を登って頂上に立つと、確かに動けなくなりました。虫の声、鳥のさえずりを聞きながらも、なにかシーンと物音もしない世界に入ったようで、しばらく茫然としていたものです。作者は「歓喜の声」と言っていますから私とは違うようですが、異界に入ったのかもしれませんね。短い作品ですが、山の持っている不思議さを感じさせてくれました。



 
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