きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
nasu
新井克彦画「茄子」




2000.10.20(金)

 19、20日と突然休暇をとってしまいました。18日に組内の方が亡くなったからです。今年度は私が組長ですから、葬儀の采配をふるわねばなりません。とても会社なんか行ってられない、という状況でした。都市部での葬儀は専門の葬儀場で、というのが一般的ですが、田舎では自宅でというのがまだまだ多いんですね。私のところもそうなんです。
 組内で葬儀となると、組長は采配、各戸から男女一名づつ出て、男は受付や交通整理、墓堀が義務付けられます。市役所への死亡届けも役割ですし、葬列に必要な鉦や太鼓を叩く人を依頼するのも仕事です。女性陣は料理や供え物を作ります。
 それでも葬儀社が入っていますので、組内の役割は少なくなりましたが、古老に言わせると昔は棺桶作りからが組内の仕事だったそうです。
 私は采配でしたから実際には何もせず、仕事の指示を出していました。しかし経験が少ないので葬儀社や古老に聞いてばっかりで、なんだか申し訳なかったですよ。「組長は座っているのが仕事」なんて言われても、ねぇ。まあ、日本の文化の一面と思って、じっくり観察させてもらいました。


沼津の文化を語る会会報『沼声』244号
syosei 244
2000.10.1 静岡県沼津市
望月良夫氏発行 年間購読料5000円(送料共)

 松本利通さんという方の「鉄道の楽しみ」という連載エッセイは、今回は「汽車の音」でした。その中にこんな一節があります。
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 「ガタンゴトン」という列車の音も、聞く人によっては全く異なる響きになる。鉄道マニアで知られる作家の阿川弘之さんの本では、列車は「カタケチャトット、カタチャトット」と疾走する。アイルランドの作家ジェームス・ジョイスは大作「ユリシーズ」の中で汽車の音を「frseeeeeeeefronnnng」と表現した。丸谷才一さんの訳では「フルスィイイイイフロンンンン」となっいる。
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 さすがに才能のある人の耳は違いますね。どんなふうに聞こえるかというのは個人で相当違うはずですが、教育の成果か、私なんかも「ガタンゴトン」派です。しかし日本の詩人にもいい感覚の人はいるんです。わが敬愛する詩人、故・山田今次さんは「貨車」という作品の中で、第1連、第2連を次のように書いています。

 ずでってん てってん……
 ずでってん てってん……
 ずでってん てってん……
 ずでってん てってん……

 たったんぐ……たったんぐ……

 どうです。貨車が動き始める様子が見えるようではありませんか。


滋賀銀行PR誌『湖』135号
mizuumi 135
2000.10 滋賀県大津市
滋賀銀行営業統轄部発行 非売品

 「近江の文学風景」を連載している西本梛枝さんが、井上靖の「夜の声」を紹介しています。浅学にして私はまだ読んでいませんが、自然破壊、環境汚染を告発した作品のようです。「夜の声」の発表は1967年。高度成長期に入ろうとしていた時期に、すでに井上靖には現在の状況が見えていたようで、それに西本さんも驚き、私も驚かされました。1967年といえば、まだ高校2年生でしたからね。環境問題よりは女性問題に悩んでいました(^^;;
 西本さんは旅行作家ですから、この作品を紹介するにあたっても舞台となった琵琶湖周辺を歩いたようです。11枚に及ぶ写真もご自分でお撮りになったのでしょう。文学の舞台を実際に歩くという行為は、西本さんから私は教わったと思っています。写真と文章を見ながら、西本さんがどんなお気持ちで歩いたか、多少は判るような気がします。


季刊詩と童謡誌『ぎんなん』34号
ginnan 34
2000.10.1 大阪府豊中市
ぎんなんの会・島田陽子氏発行 400円

 言いたいこと/中島和子

 言いたいことがあったら
 ハッキリ言いなさい

ほんまやね お母ちゃん
ほんなら言うけど
ハッキリ言ったあと
ゴチャゴチャ言わんといて

以上 オワリ!

 おもわず「その通り!」と言ってしまいました。作品では母子の間のことのようですが、これってどこの社会でも一緒ですね。仲間同士でも「言いたいことがあったらハッキリ言え!」なんてやりますけど、ハッキリ言って終ったためしがない。そこからいつも「ゴチャゴチャ」始まってしまいます。今度は私も「ハッキリ言ってやるから、そのあとゴチャゴチャ言うな!」と言ってやろうかな。
 作品としては最後の「以上 オワリ!」が必要かどうか、評価の別れるところでしょう。無くても十分意味も感情も伝わりますからね。でも私は必要だと思います。この一行があることによって母子の関係がよく伝わってきますから。この一行で作者の作品と言えると思います。この作品には普遍性もありますが、作者個人の作品という側面も否定できないと思います。



 
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