きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「茄子」 |
2000.10.22(日)
さきほど中学校のPTA指名委員会の人たちが大挙して押しかけてきて、ようやく帰りました。来年度のPTA会長をやれ、ということでした。もちろん断わりましたよ。そんな器じゃない。私も小学校のPTAで指名委員を経験してますから、彼ら彼女たちのご苦労は知っているつもりです。それが判っているから広報委員長やら副会長などは引き受けてきました。しかし、会長となるとそう簡単にはいきません。
ネックは日の丸・君が代です。ここでも何度か述べていますけど、日本ペンクラブで盗聴法に反対する声明文の原案を書きました。結果としては採用されませんでしたが、書いたことは事実です。日の丸、君が代についても反対声明の原案を書けと言われれば書きます。戦争責任を明確にしないままで日の丸を国旗≠ニするなんてとんでもないと思っていますし、天皇礼賛の君が代がなぜ主権在民の国歌≠ネんだと思っています。
広報委員長や副会長ならそんなに表に出ないので問題ありませんが、会長となるとそうはいきません。地域のPTA会長連合会などにも顔を出すでしょうし、場合によっては教育委員会にも出入りするかもしれません。そうなったときに、日の丸・君が代で対立する場面が出てくるでしょう。村山個人の問題ではなく、娘の通う中学校全体の問題となってしまうことが想定されます。そこまで考えたら受けられるわけがありません。ここは排除してもらうのが無難だろうと思う次第です。
PTA会長として闘う、ということも考えられます。しかし残念ながら中学校に同志はいません。つくる気もありませんけど…。孤立無援で闘えるほど私は強い人間ではない。モノ書いて反対するのが自分の背丈に合った闘い方だと思います。本音は日の丸・君が代程度で割ける時間はない、ということですけどね。そんなところに精力を使うなら、全国の詩人たちの活躍を紹介する方に使いたいと思っています。
まあ、そんな説明をしてお引取り願いましたが、どうなるやら。それでもやれ、というのなら立派なものだと思いますね。伝家の宝刀を抜いたんだから、今度来るときはそれ相当の覚悟で来るでしょう。それには私もきちんと対応するつもりです。
○佐山啓氏詩集『空は顔がひろい』 |
2000.10.1 大阪市北区 編集工房ノア刊 1500円+税 |
17 春
一年で一番
晴れやかな
春のふたつの行事が
一年で一番
陰鬱な
春の行事となり
そうして
一年が始まり
一年が終わります
詩集全体から察すると作者は学校の先生のようです。「春のふたつの行事」はおそらく卒業式と入学式でしょう。なぜ「陰鬱な/春の行事とな」るのかは判りませんが、前出のPTA会長の一件を思い出してしまいました。学校に政治を持ち込んでくるなよ、と言いたくなりますが、学校教育って明治の昔から政府のためのものだったから、無理な注文ですね。
それはそれとして、作者はなぜ「憂鬱」なんでしょう? やっぱり日の丸・君が代かな、と思います。卒業生が暴れて憂鬱になるなら「春のふたつの行事」とは書かないでしょうし、共通するのは日の丸・君が代くらいしか思い至りません。事実は判りませんが、ああ、ここにも悩んでいる人がいるんだな、という思いです。そして、作者のしたたかさも判ります。最終連を見ると、「そうして/一年が始まり/一年が終わります」ですから、いろいろあっても結局、一年を過ごして行くんですね。
作品は2行から多くて10行程度ですから、非常に凝縮しています。作品の頭には通し番号が着いていて、71番まであります。詩集のタイトルの「空は顔がひろい」という作品はありません。しかし全体をまとめる言葉としてはよいと思います。作者の精神的な広がりを感じます。
○小町よしこ氏詩集『椿の家』 |
2000.10.25
東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 2000円+税 |
いきなり私事で、しかも俗な話で申し訳ありません。詩の世界に足を踏み入れたのは19、20歳の頃からですから、もう30年を過ぎてしまいました。この間に直接お会いした詩人、詩誌・詩集をいただいた詩人はおそらく1000人を越えて、2000人近くになるのではないかと思います。昨年だけで300冊を越える詩集・詩誌をいただいていますから、そんなもんでしょうね。日本の詩人の相当な人たちと交流があると自負していました。
しかし送られてきたこの詩集を拝見して、そんな私の世界は非常に小さなものであるということを実感しています。未知の小町よしこさんという詩人の作品を拝見して、愕然としています。こんないい詩人がいたのか! 第一詩集の出版は1981年、所属詩誌は「砧」一誌のみのようですから、私が知らないのは当然かもしれません。思い上がっていたようで恥かしい次第です。
まあ、そんな個人的な思い入れより、作品を紹介しましょう。
伝言
青空のひろがる暑い日だった
空腹でもあった
弟を背負った母について
わたしも順番を待つ行列の中にいた
配給米の米穀通帳を持つ大人たちに混じり
行列のあちらこちらに
わたしと同じ低さの目線があった
空腹をかかえながら大人しく待っている視線に
時折ふれあった
あの時のわたし達と同じ目をした少女が
一枚の報道写真に写っている
破れた衣服
裸足の足元
アルミの器とスプーンを持ち
湯気の立つ鍋にならぶ行列の中で
カメラのレンズに向けられた視線
写真展会場の一枚の写真を
見つめるわたしの隣で
八歳の娘も少女を見つめる
時間を超える手法、「視線」の使い方、「伝言」というタイトル、どれをとっても文句なしの作品だと思います。語りの手法で多くを語らず、なおかつ言うべきことは言外にきちんと発しています。これだけ書ける詩人はそう多くはないでしょう。詩人がしなければいけない仕事をきちんとやっていると思います。
この作品は『椿の家』という詩集の中では流れの違う部類に属します。「椿の家」はシリーズで7編ありまして、これもまたいい作品が揃っています。そちらでは作者の感性の部分が表現されていますが、私は作者の原点はこの作品と、その前にある「おにぎり」ではないかと思っています。作品から推測すると私よりちょっと上の方のようです。1949年生まれの私も戦後の混乱期の波を多少被っています。だから理解が早いのかもしれませんが、第2連はよく判りますね。経験はありませんけど、なにかというと行列でした。いやな思い出です。
それにしても「視線」の使い方はうまいですね。この作品の根底を成していて、現代では忘れられようとしていることに改めて気づかされました。ご一読をお薦めします。
○文芸誌『CATALYSE』3号 |
2000.10.10
大阪市北区 松尾一廣氏発行 500円 |
さかなは泳いでいるのではない。海の内部の位置を入れ替わっていくだけだ。泳ぐ、と
いう排他的な意志はさかなにはなかった。固体を移動させるためには、泳ぐ、といわ
れる運動が必要だが、さかなは自分と海とをそこまで区別していない。自我を持つ人
間のみが、自分と外部環境とを心で区別せざるをえないのである。泳ぐ、という動詞
は自我を持つ人間に特殊な帰結であって、さかなは海にぴったり寄り添って存在して
いるので、泳ぐ、という感覚が存在しないのだった。 先田督裕氏「海」第2連
「海の内部の位置を入れ替わっていくだけだ」という発想に驚きますね。確かに。人間だって歩くということは空気の内部の位置を入れ替わっていくだけだ≠ニも言えます。泳ぐ、歩く、という行為を別の角度から見る必要性を感じます。それが詩人のモノの見方のひとつで、そこから新しい文学が生まれるのかもしれませんね。
こういう理詰めの作品というのは、実は好きなんです。理詰めで、理詰めでやっていって、最終的にはどうなっていくのか、そんな興味もあります。簡単にオカルトの世界になんかいかない人だとは思っていますが、違う形での精神の世界を見せてくれるような気もしています。
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