きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
nasu
新井克彦画「茄子」




2000.10.26(木)

 このHPもそろそろ10MBになろうとしています。その前に移転しなければなりません。NIFTYのmember's HPは10MBまでなんです。それ以上に容量を増やすことはできません。古い内容を削除してスリムになるか、容量アップの可能な@homepageに移転するかの選択になります。私の選ぶ道は当然、後者です。寄贈された本の紹介を削除するなんて考えられません。
 でもね、ちょっと不安なんです。なにせ初めての移転ですから、どんなトラブルが起きるやら。以前、FTPのバージョンアップで10日ほど更新できなかったことがありますから、多少のトラブルは覚悟しています。現在、9.9MBほど。10月いっぱいで移転しなければならない計算になります。しばらくHPが更新されていなかったり、URL不明なんて状態になっていたら、あいつドジ踏んでるな、と笑ってやってください。そうなったまるか、クソ!


詩と批評誌POETICA26号
poetica 26
2000.6.20 東京都豊島区 中島登氏発行 500円

 詩/細野 豊

生まれかけてしぼんでしまった
あるいは
いちど創られたのに失くしてしまった
ぼくの詩よ
運河と腰掛けの日々からはじきだされて
硬質の愛だから
ぼくは失いたくなかった
それなのに
なんと多くの屍が
ぼくの庭に捨てられたことか
踏むとぼろぼろ崩れてしまう
白い骨
もうぼくの空には
禿鷹も飛ばない
たったいちど限りの
ぼくの詩の変わりはてた姿よ

× × ×

ありえないことだが
奇蹟として
おまえたちが生まれ変わるとき
夜空は不吉な星に満たされるであろう
北斗の星がきしむとき
いくらかその歪みから
立ち直れるだろう

 (詩集『悲しみの尽きるところから』より)

 この作品には実感があります。「生まれかけてしぼんでしまった」「ぼくの詩」なんかごまんとありますからね。「多くの屍」となった言葉たち、いったいどこへ行ってしまったんでしょうか。頭の中では傑作だっはずの作品が、言葉になったとたんに陳腐になっていく、そんな経験を何度味わったことか。そこに着目した細野さんは、さすがです。
 「運河と腰掛けの日々」「禿鷹」などの言葉からは、細野さんが国際協力事業団などのお仕事で長く滞在した南米を想起させられます。日本とはちょっと違った背景を感じるのは、考え過ぎでしょうか。
 私の理解が及ばないのは「夜空は不吉な星に満たされるであろう」というフレーズです。理解するのではなく、感ずればいいのでしょうが、どう感じたのか、私自身にさえ不明です。こうやって、このフレーズを引き出すこと自体がなにかを感じている証拠と思います。しかし、どうもうまく説明できない。しばらく考えてみます。


詩と批評誌POETICA27号
poetica 27
2000.9.20 東京都豊島区 中島登氏発行 500円

 地球/山口浩子

ダニエルサラームの波打ち際で
野菜売りのおじさんは
日本から来た若い娘に
今はこんな仕事をしているが
自分はエンジニアの資格がある
日本で働きたいので
仕事を紹介してくれと言った

日々の糧を得るために
野菜を売る元エンジニア
ひと月の休みと30万円を費やして
アフリカ旅行のフリーター
言葉と肌の色との違い以上に
私たちを隔てていたものは

地球は丸くない
60億の人の重みの偏りが
南北に 東西に
星を歪める

「日本で仕事がしたい」
おじさんからエアメールが
帰国後に届いた
インド洋の向こうへと
おじさんの遠いまなざしを思い出す

私は返事を書いただろうか

 3連目がとてもよいと思います。「地球は丸くない」「星を歪める」と断定しているところが、作品の質を高めています。それ以外の連は状況説明ですが、この連を際立たせる見事な働きをしていると思います。
 問題があるとすれば、最終連の1行でしょうか。書いたか書かないかは「私」にしか判らないはずなんですが、疑問の形とすることによって読者の参加を呼びかけているようにも受け取れます。無くてもよい連かもしれません。しかし、この連によってもう一度最初から読み直そうと思ったのも事実です。そういう働きはしました。作品としてはどうか、簡単には言えませんね。それだけ考えさせられる連だと思います。


児童文芸誌『こだま』17号
kodama 17
2000.10.10 千葉県流山市
東葛文化社・松尾直美氏/保坂登志子氏発行
購読料1000円(年2回発行分)

 世界各国の子どもの作品を紹介している、いわば国際児童文芸誌とも言うべき雑誌です。ちなみに今号に登場している国はアルメニア、タイ、中国、オーストリア、朝鮮民主主義人民共和国、韓国、ギリシャ、フランス、台湾、チェコ、ハンガリー、ドイツ、ネパール、そして日本と実に14カ国に及んでいました。

 とうがらしトンボ/韓国 ソン ソク ウ 小四  徐 正子 訳

とうがらしトンボが
とうがらし畑で遊んで
とうがらしのように赤く
実りました

秋の日ざしがそそぐ午後
とうがらしのようなトンボが
とうがらし畑のぼうくいに座って
いねむりしています

赤いとうがらしトンボが
飛んで行く青空に
感嘆符が一つ
押印されています


 よく見ているなあ、と思います。たしかにトンボは「!」の形に見えますね。羽なんか薄いから、胴体しか見えないんでしょうね。小四とありますから、日本の小学校と同じだとすると10歳くらいですか、新鮮な視線に驚かされます。
 「とうがらしトンボ」というのは、日本の赤トンボと同じでしょうか。アキアカネよりも真っ赤な、とうがらしと呼んでもおかしくないトンボもいますよね? それのことでしょうか。農村ののんびりとした風景が「とうがらし畑のぼうくいに座って/いねむりしています」というフレーズによく現われていると思いました。


の会会報25号
hyo 25
2000.10.20 神奈川県横須賀市
の会・筧槇二氏発行 300円

 「」は「ひょう」と読みます。辞書には@つむじ風A犬が走る形容≠ニあります。犬好きの人たちの会を作り名前を決めようとしましたが、「犬のつく漢字にはロクな言葉がない。わずかにこの字だけが悪意のない漢字だった」とは代表の筧さんの言です。たしかに犬畜生≠ノ代表されるように不当に扱われている気がします。人間とは一番古くからの友達なのにね。
 注:という字は現在のパソコンでは表現できませんので、「今昔文字鏡」というソフトを使って、JPG画像で貼りつけています。ちょっと見難いでしょうがご勘弁ください。いずれ文字コードに登録されるだろうと期待しています。
 そんな犬好きな人たちが書いたエッセイ集です。犬だけではなく猫好きな人たちも入会しています。エッセイが主で、詩は一編しかありませんでした。それを紹介します。

 俺とノラネコと/鈴切幸子

忘れたころに
ひょっこり顔を出した
なつかしくなって つい
エサをやりたくなった
そして
新幹線に乗り遅れた

線路はつづくよどこまでも の
線路のむこうから
「俺とノラネコと
 どっちが大事なんだ!」
男の声が聴こえてきたようで
やっぱり
線路を走ってでも
追いかけなければいけなかった
のだろうか
----猫の方がいいわあ
の冗談が
冗談でなくなる可能性
少なからずありの
男と女の関係は
女を太らせ
男を老いさせる?

ベンチにしょんぼり座っていると
喧騒も遠のいて ひとりぼっち
足元のリュックは
家出のすすめ
のように話しかけてくるし


思案の肩をボンとたたかれ
ドキッとゆれる 胸のあたり

引き返してきたのは なんと
男の方だった

 はい、ごちそうさま、と思わず言ってしまいましたが、叱られるかな。結局、「俺」も「ノラネコ」もどちらも得たわけですね。女の人はさすがに強い。おそらく「引き返してきた」んではなくて待っていたんでしょうけど。
 ごちそうさまはごちそうさまとして、ストーリー性があって読ませる作品だと思います。第3連のしょんぼりした様子なんかは手に取るように判りますね。誰にでもこんな失敗はあって、それが共感を呼ぶでしょうし、ハッピーエンドで終るところがこの作品の持ち味だと思います。



 
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