きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「ムラサメモンガラ」 |
2000.12.2(土)
同人誌『山脈』恒例の冬の合宿に伊豆高原まで行ってきました。ある進学塾の保養所で、ほとんどの部屋が洋室になっていて、料理もうまいし、いい所です。昨年も使わせてもらってお気に入りになったんですが、今年も来いとお声がかかって、うれしかったですね。でもね、『山脈』107号の合評もあったんですよ。これはキビシかったなあ。
合評会にて 筧槇二代表・他 |
合評会の始まる前から筧代表には大酒を呑ませて、なんとか無難に批評をかわそうと目論んだんですけど、ダメでしたね。ぎょろりと睨んで、ひとりひとりの作品への批評は手厳しい。ぜんぜん酔ってなんかなかったんじゃないかな。もちろん私が一番厳しくやられましたよ。自分でも欠点を判っていただけにキツかったです。
しかし筧代表の批評は、相手を追い詰めるためのものではないし、具体的にこうしたらもっと良くなるという助言ですから、納得させられます。的を射た発言ですから、反発も起きません。他人様の意見というのは、それも否定的な意見というのはなかなか素直に聞けないものですが、筧代表の批評だけは素直に聞く気になります。同人の誰もがそう思っているんじゃないかなあ。でもまあ、とりあえず合評会が終って良かった。ホッとしています(^^;;
○詩とエッセイ誌『焔』56号 |
2000.11.20
横浜市西区 福田正夫詩の会・金子秀夫氏発行 1000円 |
盗む/保坂登志子
「盗みをしてはいけない」
一度ならず言われ 言い 大人になった
「盗みは人の道に反する−」と
−皿に盛られたごちそうを見て
羨ましそうによだれをたらす−
これが盗みの始まりだそうだが
トルコに走ったグルド族の少年は
命がけで国境を越えたそのわけを聞かれ
「お腹が空いていたから」と答え
ビルマからタイへ避難したカレン族の娘さんは
「もしも私たちのように口を盗まれたらどう思いますか?」
そう言って美しい指で何度も目をこすった
台湾の友は
植民地時代に盗まれた母国語と貴重な時間を取り戻すのに
「いま命がけだ」と言う
皿の料理なら作り足すこともできよう
よだれなら拭えばすむだろう
ごちそうが特別珍しいものでなくなった世界中の
皿の上には今 よだれを流すどころか
誰もが合掌せずにはいられない姿で
盗まれてきた解凍不能の塊がどっさり
盛られたまま凍りついて
捌き手を求め続けている
「もしも私たちのように口を盗まれたらどう思います/か?」というフレーズにドキリとさせられました。「植民地時代に盗まれた母国語と貴重な時間」という言葉にも、民族としての罪の意識を感じます。朝鮮や台湾のみならず、国内でもアイヌの言葉を奪ってきたという歴史的な事実は、これからも消えることはないと思うと、いたたまれない気持ちにもなります。
その構図は現在でも変わっていません。コンピュータ言語がまさにそれで、強い者の言語が世界を征服しています。しかしそれは新しい言語のことであって、歴史的・民族学的な言語と同列に考えることはできないでしょう。コンピュータは無くてもどうっていうことはありませんが、言葉はそうはいきません。生きる上での基本的なことのひとつです。
言葉とともに「盗まれてきた解凍不能の塊」も考えさせられます。あり余る食材、料理され、誰も手をつけずに捨てられる食材の多さを見ていると盗っ人にも三分の理≠ェあるはずだと思います。盗んだものはすべて使いきるのが、盗まれた側へのせめてもの罪ほろぼしでしょう。そんなことを考えさせられた作品でした。
○個人詩誌『粋青』23号 |
2000.11
大阪府岸和田市 後山光行氏発行 非売品 |
遺伝子
はじめて訪れた場所なのに
いつか訪れたような記憶が
浮かぶことがある
もしかしたら
親の親の遠い祖先が
見たことのあるその記憶が
遺伝子に乗って
今 記憶のなかで
目覚めたのであろうか
それはきまって
建物のある風景では無くて
地形に起因する
農作業に苦労を重ねた人類の
大自然の恐怖によるものかも知れない
そのあたりを
すでに絶滅した狼や
人類がかなわない生物が
徘徊していたのだろう
その頃と同じように
少し危険な
においをはらんだ風が
今も吹いている
記憶の底のほうから
吹き上がってくる
遺伝子や既知感というものは私にとっても重要なテーマで、何度か書いています。しかし「親の親の遠い祖先が/見たことのあるその記憶が/遺伝子に乗って/今 記憶のなかで/目覚めたのであろうか」とは思いもしませんでした。この発想はいいですね。うん、そうに違いない、と思わずひとり言を言ってしまいましたよ。
生物の中で生き残っていくのは遺伝子しかありませんから、遺伝子が記憶しているというのはその通りだろうと思っています。専門ではないのではっきり言えませんが、記憶を伝えるものが遺伝子、と言ってもいいんでしょうね。人間とは何か、を考える上で遺伝子の存在は重要だと思います。だいぶ解明されてきていますけど、今後どうなるのか、そんな期待も持っています。その上でどう書くかでしょうね。後山さんも私も着眼点は似ているようですので、お互いにどんな作品を今後書いていくのか楽しみです。
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