きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.12.3(日)

 『山脈』の合宿で一泊していましたから、本来なら昼食まで同人の皆さんとご一緒しているはずでした。しかし、13時から日本詩人クラブ3賞の推薦依頼状の発送があります。伊豆高原と東京・神楽坂では、ちょっと距離がありますね。朝食を食べないで8時前には宿を出てきました。
 13時には遅れるかもしれないと思っていましたけど、余裕をもって神楽坂に着くことができました。3賞とは「日本詩人クラブ賞」「日本詩人クラブ新人賞」そして新設の「日本詩人クラブ詩界賞」の3つの賞を言います。私は今回は新人賞の書記局を担当することになりましたから、発送作業をサボると言うのはちょっとね。『山脈』の皆さんにはご迷惑をおかけしましたが、ご理解はいただきました。
 発送作業は順調で、17時終了予定が16時過ぎには終わりました。毎年のことで、皆さんが慣れてきたこともあるでしょうけど、一番の功労者は待望社だろうと思います。印刷をお願いしている所で、発送しやすいように下準備してくれています。例えば推薦用紙一枚一枚に通しナンバーが打ってありますけど、これはすでに準備されていました。そのナンバーは3賞の用紙と返信用封筒など7ヶ所に及びます。約2000人に発送しますから、そのナンバーリング作業だけを考えても膨大なものになりますね。そんな、日本詩人クラブを支えてくれている印刷所があるから、我々の仕事も順調にいくんだろうと思います。



沼津の文化を語る会会報『沼声』246号
syosei 246
2000.12.1 静岡県沼津市
沼津の文化を語る会・望月良夫氏発行 年間購読料5000円

「日本は原子爆弾を持っていますね」
「いいえ、持っていません。持つ力はあるんでしょうが」
「持っていますよ。政府が隠しているのですよ」
「東海村の事故以来、市民も敏感になっていますので、政府は隠し通せないと思います。それに憲法にもうたってありますし」
「憲法は守られていない。核を持ち込ませているではありませんか」
 今年2月にニュージーランドでテレビインタビューを受けたが、取材が終わって通訳の人と二人だけになったとたんに、彼はそう云ったのである。断定に近い口調であった。

 橋爪文さんの「ノー・モア・ヒロシマ」というエッセイの冒頭の部分です。この「通訳の人」の言葉に、おそらく橋爪さんは絶句したんでしょうが、私もまた絶句してしまいました。どうも我々日本人が考えているようには外国人はとらえていないのではないかという疑念を持っていましたけど、こうまで乖離しているとは思いもしませんでした。どこの国の政府も国家機密という名のもとに「隠している」ことはあるでしょう。しかし原爆に関しては、日本政府は隠していないというのが一般的な日本人のとらえ方だと思います。そこまで今の政府を信用しないわけではない。
 しかし世界全体を見ると、原爆すら隠すというのが一般的なのかもしれませんね。社会主義が崩壊したり、軍事クーデターによって政府が顛覆するなんて事態を見ていると、ひとり日本人だけがそんなことはないと言っているにすぎないのかもしれません。世界の人々はそういう風に歴史を重ねてきたし、自国の政府を見てきたのだと思います。橋爪さんのエッセイの趣旨とはちょっと違ってしまいますが、そんな日本人のあり方を考えさせられました。



詩誌『青い階段』66号
aoi kaidan 66
2000.11.30 横浜市西区
浅野章子氏発行 500円

 ピアノ/廣野弘子

日常を遮断したつもりで 旅立った私を
あえなくも あっさり
母親の目に引き戻してしまったのは隣り合わせた彼

足元に置いた 古びて
いまにも破れそうなビニール製の袋は
無造作すぎて 大陸を越えて行くと高揚している
私の旅への想いとは かけ離れ ちょいと
となりの街の横丁を曲がる気分にさせられる

おまけにゴソゴソ 彼はこまめに こごむのだ
CDにプレーヤー フランス語の辞書
個人旅行の案内書にメモ用紙
ときどき スナック菓子をほおばり
楽譜をにらんでいたりする横顔
破れそうな袋に こんなに詰めこんで…
あなたは どこに行くの
まむかえば
息をのむほどに深く澄んだ瞳の若者 どきりとした
強い意志のきらめきを見るのは いつの日以来か

フランスとドイツの境にある小さな町で
講習を受けるのだという どこかの国の
見知らぬ人と共に学び 眠る 食べ物が心配と笑った
はた目も気にせず 書いては暗誦する
拍子や旋律のフランスことば
好きだから遠くまで 自分を養いに行くのか
不安と緊張も詰め込んで来たのだと知った

別れぎわ
ピアノ弾く姿を想像させる長い指をぎこちなく振り
澄んだ瞳にふしぎな憂いをにじませて
彼は出口へと紛れて行った
凄くうまいピアニストにならなくていい
けなげな子供を想う時の 母親の目になって
彼の後姿を見送った

 「彼」がよく描けており「私」の心境もよく理解できる作品ですね。「破れそうな袋に こんなに詰めこんで…」は「不安と緊張も詰め込んで来たのだと知った」にも掛っていくと思いますが、この感覚は良質な母親の感覚でしょう。「凄くうまいピアニストにならなくていい」という「私」の思いも素直にうなづけます。
 「彼」はおそらく日本人でしょうが、こんな若者がいるということにも感激します。マスコミは腐敗し堕落した若者しか取り上げず、それがあたかも若者の全体像のような錯覚を国民に与えています。こういう真面目な若者をどうしてもっと前面で取り上げないのかと思います。それでは商売にならないことぐらい判って、でも抗議したいですね。それはそれとして、こういう若者を主題とする作品をし上げることは、詩人のひとつの仕事と言ってもいいかもしれません。



個人詩誌『空想カフェ』5号
kuso cafe 5
2000.11.12 東京都品川区
堀内みちこ氏発行 500円

 秋の食卓へ/堀内みちこ

空色と
うす桃色の着物きて
夜会に行くのね
日暮れまえの
お洒落な空

ポストに真っ白な封筒二通入れて
帰り道に見上げると
哀しい灰紫色の空

おや
夜会の招待状が来なかったのね

おいで
夕餉の食卓へ
秋のお料理ご一緒に

 短い作品ですが、堀内詩の本質が表れているように思いました。空の色の変化を、夜会に誘われた、誘われなかったと表現して、結果として自分の食卓に招くという発想は、この詩人の本質的に持っているやさしさをくみ取ることができます。エッセイではご自分のことを「我儘」「移り気」などと表現していますけど、こういう作品を見ると、そうでもないんだろうなと思います。
 最近の堀内さんの作品には、ご親族のことを書いたものが何本かあり、それは堀内みちこという詩人にとって避けて通れないもので、いい仕事をしていると思ってきました。そんな思いの上にこの作品を拝見すると、これからの堀内詩の展開も楽しみになりますね。



 
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