きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「ムラサメモンガラ」 |
2000.12.6(水)
湯河原での研修が終わって、その足ですぐに池袋に向かいました。日本詩人クラブの理事と、50周年記念東京大会の実行委員との会食会があったんです。詩人クラブでは各理事のもとに専門委員会があって、その専門委員をねぎらう会も含まれています。例えば、毎月の例会のお世話をしてくれる人たち、広報委員として編集に携っている人たちがいて、毎年この時期に慰労の意味の食事会を行っています。今年はそれに東京大会の実行委員が加わったという形ですね。ちなみに日本ペンクラブでも同様の食事会があって、私は専門委員の立場で呼ばれていたんですけど、なぜか今年はないんですって。呑み会がひとつ減ってつまんないですね(^^;;
池袋はサンシャイン60の59階、トリアノンという所で会食を行いました。59階から東京の夕暮れを眺めましたけど、素晴らしかったですね。以前、ま昼に同じ59階から見た時は、高層ビルが墓石のように見えましたが、夕暮れはそんな風景ではなく、沈みゆく陽と灯り始めた街の灯がなんとも言えない風情でした。都内区部在住の知人は「東京が好きなんだ」とよく言っていますけど、その気持ちがやっと判った気になりました。私はしょうがないから東京に出かけるだけで、住む所は絶対に田舎がいいと思っています。そんな気持ちをグラつかせるような光景でしたね。写真を撮らなかったのが残念。
○詩誌『Sayon・U』1号 |
2000.10.20
東京都三鷹市 なべくらますみ氏発行 500円+税 |
自由/シェルコ ベカス
大地のこころに、わたしは耳を傾けた
土や砂たちは、こう囁く
雨と、愛しあっているの
水のこころを、わたしは聞いてみた
しずくたちは、こう言った
春と、愛しあっているんだ
木のこころを、わたしは尋ねた
枝たちは、こう答えた
葉々との愛さ
それで、愛のこころとは?
愛は言った
自由、なのだよ、と
(翻訳・解説、港
敦子)
作者はクルド人のようです。作者の略歴が紹介されていまして、この作品を鑑賞する上で参考になると思いますから、転載します。
シェルコ・ベカス
1940年、クルディスタンのスレイマニアに生まれる。17歳の時に詩を書きはじめ、クルディスタンの雑誌「JIN」に発表。1968年、山岳抵抗部隊に入隊中、詩集を刊行し、村で朗読をする。除隊後の1975年、イラク政府によって、南イラクへ3年間追放される。1986年よりスウェーデンに住み、Tokholisky賞を受ける。スウェーデン在住。
このタイトルの「自由」が生半可なものではないことが略歴でお判りいただけると思います。銃を取ってのみ得られる自由が、世界には多く存在することを知らされますね。それが「愛」だという作者の言葉も重いものがあります。この詩誌は以前『さよん』として存在し、昨年5月に10号で終刊したものですが新生なりました。訳者の港さんは新生なってからお入りになったようです。これからどんな世界の詩を紹介してくれるのか、楽しみです。
○由利浩遺作選集U『潮風の匂う街』 |
2000.11.20 神奈川県横須賀市 山脈文庫刊 2500円 |
1998年12月に出版された遺作選集『蝙蝠の飛ぶ町』に続く第二弾の出版です。故・由利浩さんは元『山脈』同人で、そんな関係から山脈文庫刊行となっています。由利さんの奥様はご健在で、『蝙蝠の飛ぶ町』の出版を期に山脈の準同人の扱いで例会などにも出席いただいております。
収められた作品はいずれも『文学・現代』という同人誌に発表したもので、1960年「閉ざされた日」、1967年「夫の背中」、1967年「潮風の匂う街」、1970年の「蜘蛛」の4編の短編小説です。失業中のバーテンを扱った「潮風の匂う街」が私は一番好きですね。失業中の男の心理が細やかに表現されていて、バーテンという職業に対する意識の高さも覗えます。由利さんご自身がバーテンをおやりになっていたと聞いたこともありますので、作者の自画像とも受け取れます。
○若栗清子氏詩集『華道クラブ』 |
2000.9.25 東京都新宿区 思潮社刊 2400円+税 |
鳥
風が吹くと木々がはばたく
花も梢も鳥をまねる
障子に映る木の葉は翼になり
枝はかぎづめになり
芽はくちばしになる
葉ずれの音はまぎれもない
はばたきの音だ
障子にたくさんの鳥たちがひしめく
ものごとは影の方が
本当の姿を伝えるから
つられて私の中の鳥の細胞も目をさます
飛んでいっていいのよ
私のうすぐらい鳥
いつも光と反対の側にうずくまっていた
影を煮つめたようなさびしさで
ひっそりと生きていた
もうたしなめたりはしない
予測の中の失望を反芻したりしない
めざめるときはめざめ
去るときは去るだろう
闇の中から
一番いい心臓を選んで
誰にも気づかれずに
本物の空を
「ものごとは影の方が/本当の姿を伝えるから」というフレーズにドキリとしました。詩集全体を通してのテーマであるようにも思えます。作者は教員のようで、他の作品には生徒やご自身のお子さんが出てきます。彼らの「影の方」を見ることで「本当の姿」を見ようとしているのがこの詩集の特徴ではないでしょうか。
従って「私のうすぐらい鳥」の「私」は作者自身でもありましょうし、生徒やお子さんであるという読み方もできると思います。そういう風に最終連を読んでもいいのかもしれません。二重、三重に視点を変えることを求められている作品、と言っていいでしょう。そして目指すのは「本物の空」。上質な感性を感じました。
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