きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「ムラサメモンガラ」 |
2000.12.10(日)
自治会役員の忘年会がありました。主な行事はほとんど終わって、後は新年祝賀式、3月末の総会ぐらいなもんですから、気分的には落ちついてきています。
でも、会費を聞いてびっくりしましたね。8000円! おいおい、たかが自治会の呑み会で8000円かよ、8000円あったら池袋サンシャインでパーティーが開けるぞ、と思いましたね。詩人クラブ創立50周年の記念パーティーはサンシャインプリンスホテルで8000円でしたから。主催者側の私としてはそれでも高くて、7000円ぐらいにしないと来てくれる人に申し訳ないと思っていたほどですからね。
理由は判りました。店の新築です。以前はキタナイ食堂のような所だったんですが、数年前に3階建の立派な店になりました。昔は3000円も出せばイヤと云うほど呑んだり食ったりできたんですけどね。そう言えば横浜でも同じようなことがあったなあ。店を新築するのはいいけど、頼むから2倍も3倍も料金を上げるのはやめてくれよな。もっとも家計費からの出費で、自分のお小遣いには関係なかったけど(^^;;
○隔月刊詩誌『東国』114号 |
2000.11.10
群馬県伊勢崎市 東国の会・小山和郎氏発行 500円 |
連作「あちらの部屋」
神様の義務/新保 啓
「オコシテクダサイ
カミサマニ アイサツ シニイキタイカラ」
あちらの部屋が挨拶したいと言う
親しい神様って 家人には分からない
我が家の神棚には
伊勢神宮と戸隠神社の御札がある
ずっと前からの習慣で続いている
「コンニチワ オカワリアリマセンカ」
「オカゲサマデ ナガイキサセテイタダイテ」
どんな挨拶をしたいのでしょう
親しい神様なら
たまには訪ねてきて言って欲しい
「家人にはあまり迷惑をかけるな」とか
「天国の方が ずっと住みよい」とか
神様 あなたにはそんな義務があります
昔からのよしみでしょ
連作「あちらの部屋」という総タイトルのもとに「言わない言葉」「神様の義務」「ネズミを数える」「忙しい手」「右肩下がり」の4編があります。いずれも老人介護をテーマにしている作品で「あちらの部屋」とは介護される老人が寝ている部屋という意味でしょう。地域を自分の名として使う例は、特に親戚関係ではあるようです。例えば電話口で「横浜だがよお」と言われたら、ああ、横浜の弟か、となるわけです。それと同じで「あちらの部屋」とは、例えばおばあさん、となるのだと思います。
この「神様の義務」という作品だけをとってみますと、介護されている老人に対してひどいことを言っているなあと思ってしまいかねません。「天国の方が ずっと住みよい」など寝たきりの老人に対して本来なら言える言葉ではありません。しかし他の作品も一緒に読んでみると、決して辛いあたり方をしているわけではないのが理解できます。むしろわがままな老人に手を焼いて悪態をつきながらもやさしく介護している様子が見えてきます。この作品にも「たまには訪ねてきて言って欲しい」というフレーズなどは、むしろ余裕を持って老人に接している言葉ではないでしょうか。なによりこんな作品が出来上がるということが、真摯に老人を扱っている証拠だと思います。
○詩誌『黒豹』95号 |
2000.11.30
千葉県館山市 黒豹社・諌川正臣氏発行 非売品 |
持ち時間/西田 繁
それじゃ 待っているからと
このつぎ 会う日の約束をした
俺 改札口の 手すりから
あいつ 電車の窓越しに
互いに 笑って ちいさく掌を振った
いつもなら 発車のあと すぐ踵をかえすのに
去りがてに あいつの余韻を
いつまでも見送りたかった 不思議
ほご
あのまま 約束が反故になって もう一年
あいつ いま何処で待っているのだろう
自分の持ち時間 急いで つかい果して
途中 道しるべも 案内人もいない場所に
佇んで いるのだろうか
待っていろ
俺は 道くさしながら 歩いて行くから
持ち時間つかいきったら おまえに会える
その時 ここだと たかく手をあげてくれ
親しい友人を亡くした作者の気持ちが痛いほど伝わってきます。たった一行で置いた「あのまま 約束が反故になって もう一年」というフレーズにその気持ちが凝縮されているのではないでしょうか。技術的にも本来なら1字空きではなくあのまま約束が反故になってもう一年≠ナもよいのですが、1字空けることによって作者のボツッ、ボツッと切れた感情が伝わる効果をもたらしていると思います。
「持ち時間つかいきったら おまえに会える」には、命ある人間の哀切を感じます。いずれ我々も「あいつ」の所に行かねばなりません。しかしそれまでは「道くさしながら 歩いて行く」しかないのです。人間の本質的な哀しみを感じさせられました。
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