きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.12.13(水)

 組内のおじいさんの通夜の日なので、一日、休暇をとりました。通夜は18時からですから、午後からの休暇でもよかったんですが、影の葬儀委員長ともなるとそうもいきません。午前8時には市役所に死亡届・火葬許可証を持って行く組内の人がいますので、喪主宅でそれを見送り、帰ってきて報告を待つのが組長である私の仕事だと思っています。それに通夜の準備で16時には組内の人たちが集まりますから、終日休暇にするしかなかったんです。
 亡くなったおじいさんは公立学校の校長を長く勤めていたし、教育委員会委員長にもなっていて勲五等の勲章ももらっていた人ですから、通夜には500人ほどの人が来てくれました。で、私の仕事は何もせず、じっと立っていること(^^;; 無線で交通整理の人たちに若干の指示を与えた程度。組長は何もせず全体の動きを把握することが求められています。問題があった場合の判断も求められますが、それもなくてちょっと手持ちぶたさの感がありました。他人様の指示を出すより自分から動いた方がよっぽど楽ですね、気分的には…。



長嶋南子氏詩集ちょっと食べすぎ
cyotto tabesugi
2000.8.19 東京都中央区 夢人館刊 1800円

 ラーメン食べたい

食べたい食べたい
ラーメンで頭がいっぱい電車のなか
ラーメンにはなんてたってもやし
駅前の八百屋で売り切れもう一軒も売り切れ
こうなったらもやし頭になって
遠回りしてもう一軒なんでも屋
売り切れ 庶民の夕方はもやしが売り切れ
家のかどのセブンイレブン愛想の悪いもやし一袋
もやしが入っていない正統ラーメンはそのむかし
センソウミボウジン会がやっていたお店が初体験
白菊会だったか白百合会だったか確かそんな名前
年上のいとこのまつえさんがおごってくれた
わたしは食べるだけの小娘で
まつえさん好きなひとがいて悩んでいた
産婦人科でこっそり子どもをおろしたまつえさん
好きなひとあきらめお婿さんもらって家をついだ
すっかり頭の禿げてしまったお婿さん
このまえガンで死んだ 仲の良さそな夫婦だった
葬式には泣かなかったまつえさん
いまでは立派な未亡人
未亡人には未来がある
若返って元気はつらつ勝手気まま
未亡人は長生きする
もやしラーメン食べて早く未亡人になってみたい
汁は太るので飲まない

 「未亡人には未来がある」というフレーズでドキリとしました。男にはないのかあ? ないかもしれないねえ、「すっかり頭の禿げてしまった」男だったらなおさら。それに、以前、未亡人はびぼうじん≠ニ読むとどこかで書いてあって、「若返って元気はつらつ」になるのは当然かな、とも思います。
 著者はあとがきで「食い意地が張っている」と書いていますが、確かにこの詩集はすべて食べ物の話です。それに男と女をからませて、おもしろいし、でもどこか哀しげなところも見えて、なかなか書けない作品が多いですね。「汁は太るので飲まない」なんてフレーズを見ると、女性としての自制があって、そんなところがおかしくもあり、自制しなければならない女性の悲しさを感じたりもします。なかなか一筋縄ではいかない詩集です。



個人詩誌『色相環』8号
shikisokan 8
2001.1.1 神奈川県小田原市
斎藤央氏発行 200円

 妙法寺

古寺の庭園を歩けば
緑色に苔むした時間が
ゆるやかに流れ出す
私につながるはるかな人たちが
透明な影となって立ち上がり
遠い日と同じように
この寺の石段を登っては消えていく

何千何万集まって織りあげる
緑鮮やかな苔の絨毯
人もまた
いのちを受け継いでいく
宿縁のように
過去へと続く糸を手繰り寄せてみても
糸の先は
視界の届かないところで
永遠に解けない謎に包まれている

この世界の彼方から
いつか
私に続く人たちの足音が
聞こえてくるだろう
私の足跡は
取り戻せない年月の記憶と共に
湿った風のなかでもつれていくだろう

 人から人へとつながっていく不思議な「糸」。父母、祖父母、その上あたりまでは何とか判りますが、その先はどうなっているのか。私は誰の子孫であるのか。ちょうどそんなことを考えていて、この作品に出合いました。そして「私に続く人たち」のことまでは考えていなかったことにも気付かされました。昔、アメリカの黒人が自分の先祖を探す「ルーツ」という映画がありましたが、そんな努力までする気はありませんけど、やはり「永遠に解けない謎」なのかもしれません。
 この作品は舞台設定がいいですね。妙法寺は辞書によると、杉並、鎌倉、山梨に同じ名の寺があるようですが、いずれせよ「緑色に苔むした時間が/ゆるやかに流れ出す」場所で、血族の歴史の中で自分の占める位置を考えるには、いい舞台だと思います。おだやな中にも鋭い視点のある作品だと思いました。



鬼の会会報『鬼』344号
oni 344
2001.1.1 奈良県奈良市
鬼仙洞盧山・中村光行氏発行 年会費10、000円

 連載の「鬼のしきたり」33、またひとつ勉強になりました。

 綺羅星
 綺羅星という星はない。そもそも、これ綺羅、星のごとく居並ぶ≠ゥら来ており、切り方を間違って、ややこしい綺羅星が生まれたのだ。綺は綾織りの絹、羅は薄絹。ゆえ綺羅と並べると、綺や羅をまとう人になる。この場合、星はきらきら輝くという一般認識が影響したと思えるのだ。小説の題名にもなっており、この小説家の知能が疑がわれる。もの知らずの小説家が、急増したようである。

 小学館の国語辞典にはまさに同じことが書いてあります。キラボシと続けたければ「煌星」が正しいようです。謡曲・鉢木「上り集まる兵、煌星(きらぼし)のごとく並み居たり」とありましたので…。私もやはりキラキラ星からの連想をしていました。しかしそれにしても、ちょっと怪しいなと思う言葉は、常に辞書にあたらなければなりませんね。そうでなければまともな文章は書けないのだと思いました。



 
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