きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「ムラサメモンガラ」 |
2000.12.14(木)
朝7時に集合して、葬儀の準備をしました。火葬、告別式、納骨、法要とすべてが終わったのが15時頃でしたかね、疲れました。組長は自分で動くことができず、指示するだけですが、これが意外に疲れる。会社の仕事ではなく地域での組織的な行動というのは、会社とは違う対応をしなければなりませんから、神経の使い方が違うようです。まあ、それも勉強ですね。
○野老比左子氏詩集『飛天幻想』 |
2000.12.8 大阪府豊能郡能勢町 詩画工房刊 1905円+税 |
そうかれん
葱花輦
限られた少しの言葉で この永遠なものを
どうして伝えることができようか
例えば 五月の山里に甦る緑について
例えば葱の花 その目立たなく強靭な
生命力について そして人間について
思想について 誰が全きものを描き得るか
そうかれん
愚かな創作でも 葱花輦のように
めでたい幸福の神輿を 考え創り編んで
日本列島くまなく 町に笑顔をもどしたい
注・葱花輦=葱の花は長く散らない為にめでたいものと考えられた。金色の葱の花の飾りをつけて行幸等に使用された優雅な神輿のこと。ねぎ坊主の飾り付輦車、いけ花のギガンジュウムは大円で虹のように清々しく美しい。
創作の真髄について語っている作品だと思います。「どうして伝えることができようか」「誰が全きものを描き得るか」という前提があってはじめて創作は成り立つものだと解いていて、安易な書きモノをいまめているのではないでしょうか。そして出来うるなら「日本列島くまなく 町に笑顔をもど」す作品が書ければモノ書きとしては本望、と言っているのだと思います。
「葱花輦」という言葉も初めて知りました。我が身の浅学を思い知らされます。なお、1連2行目は「どうして伝えることがことができようか」となっていましたが、誤植と思い訂正してあります。私の判断ミスなら原文通りの復元します。
○若山紀子氏詩集『鈍いろのあし跡』 |
2000.12.7 東京都東村山市 書肆青樹社刊 2000円+税 |
覗かれる
病院の外に出ると雪が舞っていた 道理で朝から寒いと
思った このまま勤めを休んでしまおうと決めた こん
な日だものお客は来ないさ 地下鉄に乗ると案の定寒い
人ばかりだった このまま一直線に映画館まで行ってし
まおうと思った 電車に揺られながら 内視鏡検査をし
なくてはならないと思うと憂鬱だった
今度の火曜日にね 予約を取ってから帰って下さい と
いわれたのに黙って出てきてしまった そんなに隅から
隅まで覗かれたら困ってしまう わたし隠しておきたい
たちなのよ コーヒーを飲んでいたらまたむかむかとき
てしまった
ガラスの塔 何という後味の悪い映画だったろう すべ
ての室にカメラを置いて覗き見するなんて趣味 覗くの
もいやだけど覗かれるのもいやだ
十三階の窓から真っ逆様に突き落とされる最初のシーン
がよみ返ってきて 犯人は結局だれだったのだろう わ
からない事が多すぎる 雪があとからあとから降って来
てまっ白になってしまった やっぱり胃カメラを飲まな
くてはいけないのだろうか と自問しながら先の見えな
い道を帰る
「内視鏡検査」と「ガラスの塔」という映画のダブらせ方が奏効していると思います。「覗くのもいやだけど覗かれるのもいやだ」という気持もよく判りますね。私にも内視鏡検査の経験があり、嫌なものです。それも上からも下からも(^^;;
誰も知らないはずの自分の内部を他人に覗かれるというのは、本当に嫌な気分です。しかし、それで胃潰瘍も大腸ポリープも治ったんだから、医者に文句を言う筋合いはありませんけど…。
雪の使い方も成功しているんではないでしょうか。夏のうだろような暑さの中で「自問しながら先の見えない道を帰る」場面も想定できますが、やっぱり「病院の外に出ると雪が舞っていた」方がシーンとしては合っているかな。ちなみに「わたし隠しておきたいたちなのよ」の「たち」にはルビが振ってありましたが、パソコンの表現では美観を損ねますので割愛しました。ご了承のほどを。
○秋元炯氏詩集『血まみれの男』 |
2000.12.20
東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 2000円+税 |
ある種の死について
T
母親が家に戻ってきた時
若い兵士は すでに息を引き取っていた
これまで死体を見たことがない幼い三人の子供たちには
男が死んだことを理解するのは無理なのに違いなかった
長椅子に寝かされた死体の周りには
ままごとの小皿やコップなどが
所せましと並べられていた
食べ物に見立てたらしい引きちぎられた花弁も
皿の上で山になっていた
やがて 通報で
村の他の家々に分宿していた兵士たちが集まって来た
無言のいかつい男たちに取り囲まれても
兵士は まだ 幸せそうに
ままごと道具と花に飾られて横たわっていた
U
空襲をさけるため明かりを全て消した役所の庁舎の中を
蝋燭の灯だけを頼りに その案内の役人は
あちこちに積まれた箱などをよけながら
信じられないような速さで廊下から廊下へ抜けていく
何度も建て増しをしたらしい庁舎の中は まるで迷路だった
私は やっとのことで 男の後をついて行った
目指す部屋は 廊下の突き当たりにあった
ドアの前に三段の階段が付いていた
案内人に礼を言って 階段を上り ドアを開けると
奥の壁に向かってしゃがみ込んでいた老婆のような姿が
こちらを振り返った気がした
しかし 明かりを部屋の中央まで持って行くと
もちろん人影など どこにも無かった
脱走兵銃殺の許可証は
奥の机の上に 虫ピンでしっかりと止められていた
V
外套を着たまま雪の林の中を駆けるのは骨が折れた
けれども 脱ぎ捨てれば 後で困るのは目に見えていた
脱いで背嚢にしまう余裕も無かった
敵の軍用犬の吠える声が 直ぐ後ろに迫っていた
銃を捨てるな 外套も捨てるな
隊長が叫んで 全員が短く小さく返事をした
時折銃声がして ひときわ犬の吠える声が高くなる毎に
誰もがそっと周りを見回す
十一人だった隊員の数は まだ欠けてはいなかった
私たちはもう丸二日 一睡もしていなかった
しかも もう三時間近くも走り続けていた
疲れと眠気で 私は意識が半分朦朧としかけていた
このやっかいな外套を脱ぎ捨てたとしたら
と私は考え始めていた
それは雪の上に黒々と両手を広げて横たわり
追手に たちまち見つけられる
犬たちは狂ったように吠えて回り
敵兵は にやりと笑って
銃剣の先でそれを突き刺してみたりするのだろう
そんなことを考えているうちに
私は意識を失い 雪の中に崩れ倒れ
激しく叱る周りの声に 引き起こされる
獣のように一声吠えて
私は再び走り始めた
ちょっと長い作品ですが全文を紹介してみました。不思議な作品で、小説を読んでいるような、映画の1シーンを見ているような錯覚を起します。T、U、Vの相関もうまく考えなければなりません。Tには出てきませんが、U、Vの「私」を同一人物ととるかどうかでも、この作品の意味は違ってくると思います。私は別の人格としてとらえました。つまりT、U、Vはそれぞれ独立した作品で、いわばコラージュなのではないかと…。
コラージュとすると、構成にはふたつの手法が考えられます。まったく違ったものを持ってくる方法と、近いものを組み合せる方法だろうと思います。この作品の場合は後者で、戦時中という設定が奏効していると思います。そこから「ある種の死」もかなり限定されて、読者のイメージを集中させることになるでしょう。イメージを散漫させられたら、読者としてはシンドイことになりますが、この作品ではそういうことはありませんでした。秋元詩のひとつの典型を見た思いです。
○高田太郎氏詩集『どぶ魚』 |
2000.12.20
東京都千代田区 砂子屋書房刊 2000円+税 |
破片
わが特別攻撃機が
敵艦突入直前に砲火を浴び
方翼をもぎとられ
回転して
静かに海に墜ちていく映像がある
ぼくは何度見たかわからない
見るたびに
その壮烈さよりも
いつも
かの機の搭乗員はだれだろうという
思いにかられる
もしかしたらその人は
この「もしかしたら」の思いを
秘したまま
ぼくはこの歳まで来てしまった
いま 夕暮れの裏手の林は
ひぐらしのしぐれの海
必死に何か叫んでいる声はないか
ぼくはそっと聞き耳を立てる
詩集冒頭の作品です。年譜によると著者は終戦時、小学校1、2年生だったようですから、戦後生まれの私などには及びもつかない体験をお持ちなんだろうと想像しています。それがこの作品にも現われていて「もしかしたらその人は」という発想になっているんだろうと思います。私にも似た思いはありますが、もの心ついた頃は、政治的には55年体制になっていて、戦争の影は少なくなっていました。
著者は私より一回り上の方で、「ぼくはそっと聞き耳を立てる」という感覚はおそらく私の年代の誰もが持ち得ないものでしょう。小学生とはいえ実際に兵士を見てきた著者と、軍隊の存在さえも知らずに育った私たちとの大きな違いと言えましょう。また著者は実際に兵士になった年代とも違う感覚なのではないかと思います。そういう意味でもこの作品が歴史的に重要なのは、兵士になった年代と兵士を知らない年代との中間に位置することだと思います。この著者の年代が戦争について作品化することは重要で、そこから私たちの世代に引き継がれていくものだと思っています。「必死に何か叫んでいる声はないか」と著者が「そっと聞き耳を立てる」姿を、私たちはしっかりと見なくてはいけないと思いました。
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