きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「ムラサメモンガラ」 |
2000.12.23(土)
甥の結婚式に出席するため横浜のホテルに行ってきました。ここのところ葬儀が続いていましたから、久しぶりの結婚式はうれしかったですね。礼服は結婚式だけに着るようにしたいものです。
スピーチを頼まれましたので、やってみました。普通は原稿なしでやるんですが、今回は原稿を用意しました。掲載します。
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**君、**さん、ご両家の皆さん、本日は誠におめでとうございます。
私は**君の叔父にあたる**と申します。
**君と初めて会ったのは、彼が小学校5、6年生の頃ですから、今はずいぶんと立派な青年になったなと感慨を新たにしています。
お二人に贈る言葉として、本当は**君と男同士で話したかったんですが、チャンスが無かったんで新婦の前ですが、言ってしまいます。
「女は変わるゾ」と言いたい。
結婚前の女性は、常に相手を見てくれていて、誠に気分がよろしい。しかし子供が出来るとガラッと変わります。信じられないくらい、子供の方しか向いていません。なんか、騙されたんじゃないかと思うくらいです。
でも、それは当然なんです。人間というのは、見方によっては遺伝子を運ぶだけの役割ですから、次の遺伝子が出てきたらそれを必死に守ろうとするのは当たり前なんですね。用の無くなった男は見向きもされない。だからその時が来ても驚いてはいけない。**さんは人間として当然のことをしているだけなんですから。でも、少しくらいはこっちを向いてほしいよね。
それからお願いは、今の話と矛盾するようですが、できれば子供は10人ぐらいはつくってほしいな。将来、お二人が住むであろう私たちの地域は、中学校の全校生徒が現在、60人。来年は50人に減少します。お二人のお子さんが中学校に行く頃には30人ぐらいになっているかもしれない。私は経験がありませんけど、子供を産むというのは大変なことだとは思います。でも、がんばってね、特に**さん。そう言う私にはひとりしか子がいませんけど。
こんなにたくさんのご友人に囲まれて、お二人のお人柄が分かりました。手作りのマイクロ・ソフト・ワードMPS明朝(たぶん)の案内状も好感を持って受け取りました。近くに住むことになるのでしょうから、遊びに来てください、遊びに行きます。
ご両家の末永いご繁栄を祈念しています。
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甥と新しい姪 |
3分のスピーチというのは難しいですね。上の原稿でも5分はかかったはずです。アドリブもあったから、もうちょっといったかな。それにしても若い二人の堂々としていること。時代の違いを感じます。
○伊藤公成氏詩集『冬瓜のある風景』 |
2000.5.20 京都市左京区 行路社刊 2000円+税 |
冬の星座(一九九五・一・十七)
なくなってみれば確かにそうだった
虚栄にとんだ街並みにも
冬の星座が地上を支配するかのように
輝きを増す夜が存在したこと
忽然ときえた数千の市民とともに
君も目の前の現象に解釈の時間を許されぬまま
街の凍土にその身を横たえていたころ
君の疑問はいまでも響いている
僕たちには
空にまで延びるような北向きの大平原を背にして
鳥類学者の目線で描き続けてきた写実画があった
グラフの軌跡を先へ先へプロットし続けた君の
描かれていないものを仮説してきた君の
陽の傾きに眩しくあざやかな横顔が
そのなかに取り残されたまま いまだに
描けなかったのは僕たち自身の姿だったのだろうか
移りゆくものの速度に盲目だった季節たち
汚れた凍土を背にして眠る 友よ
なくなってみれば 確かに残るものはこれだけだった
僕はまわりをみる余裕もなく
僕の日常を記録していただけ
君の全感覚が奪い取られたあの瞬間までも
僕の街で 僕の実験台で 僕の過信の細かい文字で
あの日の実験ノートを冬の夜に埋葬したまま
空想の続くかぎり生命の寓話を話していたい
生命あるものが生命失ったものへ抱く感情は
はたして哀しみといった単純なものだろうか
掘り起こされた君の血染めのからだに
苦悩の潤いを見たとある男が伝えた
終止符は打たれていない
君の意志の断片は まだ変化し続ける軌跡の上にある
訪れた不眠の季節は冬
明晰な頭脳は砕かれてもなお
冬の星座の光度を観察し続けているか
言うまでもなく表題の「(一九九五・一・十七)」とは、阪神淡路大震災の日です。この作品が著者の代表作とは思いませんが、あえて紹介する次第です。この詩集を通じて感じることは、ずいぶんとご自分を抑えた方だな、ということです。その中でこの作品と、続く「埋葬について(一九九八・三年目の冬に)」という震災を語った作品は、かなりご自身を前面に出しています。
「君も目の前の現象に解釈の時間を許されぬまま/街の凍土にその身を横たえていた」「グラフの軌跡を先へ先へプロットし続けた君の/描かれていないものを仮説してきた君の」と語る著者の無念が痛いほど伝わってきます。「明晰な頭脳は砕かれてもなお/冬の星座の光度を観察し続けているか」と死者へ問いつづける著者の姿は、そのまま私たちの姿に重なってきます。
非常に硬質で質の高い詩集で、本年度の日本の詩人の成果と言っても過言ではありません。
○佐川亜紀氏評論集 『韓国現代詩小論集−新たな時代の予感』 |
2000.12.25 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 2800円+税 |
「小論」と名付けられていますが、とんでもない。現代韓国詩人40名についての詳論≠ェ340頁近くに渡って述べられています。私も平均的な日本人のひとりで、隣国なのに韓国の詩人についてはほとんど知りませんでした。この本によってかなり自信を持って理解することができるようになったと思っています。なかでも友人である李承淳さん、先日知り合った権宅明氏の詳論≠ノは教えられるものがありました。
冒頭に取り上げられた崔泳美という1961生まれの女性詩人の作品には驚かされます。こんな作品です。
Personal Computer/崔泳美
新しい時間を入力してください
彼は上品に言う
老練な共和国のように
抱いている女のように
彼はやさしく命令する
準備ができたらどのキーでも押して下さい
彼は寛大ですらある
練習を続けますか でなければ
メニューにもどりますか?
彼は聞くことも知っている
まちがったことなどない
彼はいつも抜け出せるキーを持っている
熟練した外交官のようにあらゆることを知っていながら
何もわからない
このファイルには近づけません
時々 彼は丁寧に拒絶する
そのように彼は馴らしていく
自分の前に ひざまづいた右手 左手
真っ赤なマニュキア 14Kダイヤ 太った手
油だらけの汚い充血した手、
すらすら叩いて
手なづける
敏感な彼は時々ウィルスにかかることもあるが
そのたびごとにクーデターを夢見る
もどりなさい! 画面の初めの状態に
あなたが始めた所、あなたの根、あなたの故郷に
釣り場に、教壇に、工場に、
みんなもどりなさい
この記録を削除してもいいでしょうか?
親切にも彼は知られたくない過去を消してくれる
きれいに、無かったように、消してくれる
私たちの時間と情熱を、あなたに
とにかく彼はとても人間的だ
必要な時にいつもそばでちらついている
友達よりもいい
恋人よりもいい
話はしなくても分かって気を遣ってくれる
その前でいつまでもおとなしくなりたい
これが愛ならば
ああ コンピューターとセックスできたなら! (佐川亜紀
訳)
コンピータのソフト上の特質を見事に表現していて、感嘆します。コンピュータなんてバカだバカだと思っている私には「ああ コンピューターとセックスできたなら!」なんて言葉にはびっくりさせられますけどね。あるいは逆説と取ってもいいと思っていますけど…。
この作品の詳細な解説は佐川さんの文章に譲りますが、作者の崔泳美さんの詩集が100万部も売れたというのも驚きです。なぜそんなに韓国では現代詩が受け入れられるのか、それもこの本に書いてあります。「韓国では詩人が尊ばれるが、その背景には根源的救済を求め民衆によりそってきた高銀らの仕事があるだろう」(223頁 高銀----仏教的な社会参与派)。含蓄のある言葉で、日頃の自分の詩作態度の考えてしまいます。
日本の詩人では考えられない体験をした詩人も多く、隣国というだけでなく世界史の中での詩人たちという見方もできて、興味が尽きない本です。ご一読を薦めます。
○詩誌『COAL SACK』38号 |
2000.12.20
千葉県柏市 鈴木比佐雄氏発行 500円 |
8月31日に亡くなった鳴海英吉さんの追悼号です。雑誌の半分、50頁に渡る特集で、鳴海さんも喜んでくれているでしょう。特に圧巻なのは6頁に渡る「鳴海英吉年譜」です。今後の鳴海英吉研究の基礎資料となるものだと思います。作品も3つの詩集+未収録で計26篇を紹介しています。私もここでは第一詩集『風呂場で浪曲を……』(1975年・私家版)に収められているという次の作品を紹介します。
雨と山小屋
杉の板ビッコの山小屋
ポタポタと雨は滲む
冷たく背筋を噛む
黄色の石油が 赤ちゃけた灯を燭す
煤煙がいがらっぽい小さな粉末となって
山小屋の中に くすんで淀んでいる
遠い沢 落ち水
なつかしい抒情の口笛を生むのだ
雨 雨 ………
暗く屋根一杯に白い斜線をとばし
いつ晴れそうにもない
焚火を慕う 地虫
「さあもっと寄ってこい こゝがお前達の座り場所だ
冷たい飯盒の飯もお前たちにも分けてやろう………」
山の旅にひとりの男
水のように澄んで
沛然たる雨の山小屋に
焚火を囲んでいる
この作品について鈴木さんは次のように述べています。
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私がいま手許で読める鳴海英吉の詩で一番古いものは、詩集『風呂場で浪曲を…』の中の「雨と山小屋」だが、この詩は一七歳の頃に「生産文芸」に掲載されたと言われている。(中略)この「雨と山小屋」は戦時中本人が知らない間に「満州文芸」に掲載され、満州の日本人たちに愛唱されたと言われる。一九五五年、板金工をしていた職場の昼休みに文化放送のラジオから偶然この詩が流れ、満州で人気があった作者不明の詩だと紹介され驚いたという。
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はたして私なら17歳でこんな詩が書けただろうか、「焚火を慕う 地虫」にも「こゝがお前達の座り場所だ」と言えただろうかと思ってしまいます。ましてや「満州の日本人たちに愛唱され」るほどのものが書けるか、と。鳴海さんのご冥福をお祈りいたします。
○詩と批評誌『POETICA』28号 |
2000.11.20 東京都豊島区 中島登氏発行 500円 |
この百年/山口浩子
風呂上がりに見上げる
お供えをあげたいような月には
人の足跡がついている
それが この百年
下着をはかずに焼け死んだ女たち
息子は通勤電車でヌード鑑賞
キャミソールで街を行くのは孫娘
それが この百年
天皇を言い訳に死んだ男たち
悪事をうやむやにするために
人を殺したり 自分を殺したり
それが この百年
歴史はくり返すという
シラミも 結核も
君が代も戻ってきた
それならいつか帰ってくるのか
トキは メダカは
万歳しながら死んだ人たちは
クローンも寿命を越えられない
予言は鳴りをひそめたけれど
物騒な隣人があちらこちらに
それが この百年
20世紀を振り返った作品ですが、まさにその通りですね。「シラミも 結核も/君が代も戻ってきた」というフレーズには考えさせられるものがあります。「物騒な隣人があちらこちらに」というのも、何か不安を感じさせて、ついついあたりを見回してしまいます。それらを避けるにはどうするか。山口さんの世代、私たちの世代の課題なんですが、なかなか特効薬は無いようです。少なくとも「この国の政権政党には一度も投票したことはない。投票した者の責任だ」と言ってやりたんですが、それでは何の解決にもならない。困ったモンです。
告発することは重要で、しかしもっと重要なのは対案を考えることだと思うのですが、私の頭脳では追いつきません。インターネットのサイバー・ガバメントがひとつの解決策かなとも思いますけど、それにも問題はありそうです。先日のTV番組で「サイバー・ボスニア」の国民≠ェ1万3000人、と出ていました。どんな政府になっていくのか興味津々です。
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