ょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.2.7(月)

 2月最初の月曜日。月曜日はいつもミーティングの集中日ですからろくな仕事にならないんですが、今日はそれに輪をかけて、切符の手配でほとんどつぶれてしまいました。
 2月10日からは私用で奈良行き。2月15日からは主張で福岡行き。奈良は新幹線とJRだから問題はないんですが、思案したのは福岡。一緒に行く連中は往復飛行機。私はあまり飛行機が好きではないので帰りはしょうがないけど行きは新幹線にしました。そう言えば博多まで新幹線で行ったことがなかったなあ。
 同僚は時間がかかるからやめた方がいいと言いますが、まあ、何事も体験。どうなることやら、今から私も心配しています。でもね、生れて初めて「のぞみ」に乗れるんだから、まあいいかあ。


隔月刊詩誌『叢生』106号
gyosei 106
2000.2.1 大阪府豊中市 島田陽子氏発行 400円

 棲家/江口 節

蒼天の真ん中へ
黄色いクレーンの腕が伸びた どこまでも
秋を深く横切って
停まる

ほどかれて山積みにされた
仮の棲家
その山裾から山巓へ
酸い果実の樹 苦い水の井戸 を横切って
停まる

目覚めれば
千の鳥が蹄いて数えきれない木の実を運び
万の風が吹いて張り詰めた木々の葉を揺らす
百万の季節千万の季節をかけて
海が陸になり 陸が海になり
その上に
億年の


 −誰かいますか
思わず聞いた

 正直なところ棲家≠フ具体的な姿が見えなくて、イメージが作れずにいるのですが、妙に惹かれる作品です。特に終連が素晴らしく、そこに惹かれました。
 棲家≠私なりにイメージすると「ほどかれて山積みにされた/仮の棲家」なんだから木の家でしょうか。「億年の/空」だから太古のものと考えられます。しかし縄文も弥生もそんな昔じゃない。
 二連まではクレーンの作業の説明、三連は棲家≠フ古さの修辞。そんなふうに考えて、もっと違う見方もしてみたけど、それ以上は私の頭では無理でした。「留守だと言え/五億年たったら帰ってくる」という誰かの詩にも近いものを感じたのですが…。



 
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