ょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.2.9(木)

 明日は東京出張かと危ぶんだんですが、なんとか逃れて休暇! 4連休になります。しかし、予定はびっしり。奈良に二日、東京に二日出かける予定で、それでいっぱいです。でもまあ、会社の仕事で出かけるわけではなし、自分の意思での行動ですから気は楽です。帰ってきたらこのHPで様子を書きます。読んでみてください。


青山行雄氏詩集『虚空の深淵』
koku no shinen
2000.1.10 大阪市天王寺区 新風書房刊 2000円

 なんとまあ、読売テレビの名誉会長という方から詩集をいただきました。あまりTVは見ない方なので間違いかもしれませんが、読売テレビって大阪がメインで、関東は6cHでしたよね? どんな番組をやっているのか、あとで見てみます。
 丁寧に封書の挨拶が添えてありました。封筒には「乞斧正 著者」の文字。恥ずかしながら斧正≠フ正確な意味を知らず、さっそく調べてみました。「詩文の添削を請うときにへりくだっていう語」(Microsoft/Shogakuka Bookshelf Basic) とありました。さすがに名
誉会長ともなるとお書きになる言葉も違いますね。
 内容は(一)叙情、(二)叙理(パンセ)、(三)漢詩(近体詩)、(短歌補遺)の4章に分類されていますが、圧巻はなんと言っても(二)叙理(パンセ)です。哲学を詩で表現するというもの。なかなかお目にかかったことのない作品で、30篇の作品群には圧倒されます。

 無と実存
  −不可知なるものへの詠嘆

今日この日
心のこもった言葉の一つも
かけてやれなかった、
社員の一人が、
雨の中
ひっそりと死んだ。

死んだ彼には
もう、
太陽も地球もなく、
勿論喜びも悲しみもない。

だが、
残された私達には、
今まで通り
日が暮れて朝が来る。

考えても見よ、友よ。
太陽も地球も、
いや
宇宙でさえも、
何時の日か必ず消滅する。
それだけではない。
宇宙が消えた後の、
虚の宇宙もまた
消え果るのだ。

目立たなかった
社員の死は、
実は
天の虚の本源も、
なかった事の智識を
教えてくれた
重大なモチーフだったのだ。

にもかかわらず
私は朝の食事を済まし、
何事もなかったように
出社し、
エレベーターの中で
なくなった社員を
ぼんやりと、
思い浮かべている。
これが本当の生きる事の
意味なのかも知れない。

 もっと直接的に哲学をうたった作品が多いのですが、この作品はその中では異色と言えます。ご自分の具体的な生活を前面に出している作品で、惹かれました。特に最終連のまとめ方は素晴らしく、この作品の哲学的≠ネ価値を高めていると思います。
 1960年代後半の高校生時代に、ちょうどニーチェがはやりまして、校内で論争をやっていた頃を思い出します。実存主義のなにかはもう忘れ去っていますが、教室の片隅で怒鳴り合っていた光景だけが妙に記憶に残っています。それが「これが本当の生きる事の/意味なのかも知れない。」というフレーズに重なってきました。久しぶりに学問としての哲学について考えさせられた詩集でした。


中澤睦士氏詩集『泡陽』
houyou
2000.1.29 東京都文京区 詩学社刊 2200円+税

 臨界点

廃線になったばかりの
峠の線路際に腰を降ろし
そのレールの錆を中指でこすり取った

抗いようのない
酸素濃度と結露の臨界点に
炭素鋼など
あっさりと負けてしまう筈だとは思いつつ
走らないことが
こんなにも秋を哀しくさせている

(だが 待てよ
 錆だけですべてなど語れるものかね)

本当はこの場所を滑走路にして
何か空へ向かうようなものが
真夜中になると
人知れず通り過ぎているのかもしれない

そうでなれりゃ そのほとりに
そんな薄赤色の
シニカルな花など咲くものかい

誰も見たことがあろうと無かろうと
工場上がりのままの あでやかなEFが
半透明になって勾配を登っているんだ
(運転手も電力もないままに)

あした 薄明の頃に
小さく光るカケラどもを見つけに来よう
宇宙まで続く筈の道に向けて
クリティカルな証拠を見い出しに来よう

 現代版「銀河鉄道の夜」と言ってもいいかもしれませんね。「だが待てよ/錆だけですべてなど語れるものかね)」というフレーズが前半と後半を効果的に分けていて、うまいなぁと思います。私の好みはむしろ前半なんですが、後半への息使いは私にはないものですので、うらやましく思います。
 「酸素濃度と結露の臨界点」って、要するに錆る条件なんですが、こういうモノ言いというのは大好きです。理詰めでいくとこういう表現になるんですが、これはこれで正確な言葉で端的に現象を表そうとする科学者の思いがあって、血が通っていると私なんかは思うわけです。

 本題からは外れますが「あっさりと負けてしまう」というところは、私にはヒントになりました。負けるのは炭素鋼側の論理、逆はどうなるのかな、という発想を与えてくれます。酸素と水分の側からすると勝ちになるわけで、自分はどっちに足を置いているのかが問われるし、はからずも立場を表明したことになって、おもしろい。そんなことを考えさせる作品というのは、私にとっては良い作品なんです。
 EFというのは電気機関車のEF型のことで合っていると思います。宮沢賢治はSLでしたが、中澤さんは電気機関車。やはり時代の申し子は、その時代に立脚するようです。私たちの子孫はどんな機関車を見るのでしょうか。風力、地熱を蓄電した機関車かな。そんな楽しい空想もさせてもらいました。



 
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