ょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.2.22(火)

 
日本文藝家協会主催のシンポジウム「活字のたそがれか? ネットワーク時代の言論と公共性」に行ってきました。3時間の予定が3時間半かかるというほど熱心なシンポでした。定員100名も満員状態。関心の深さを感じます。
 文藝家協会の会員という立場で行ったのですが、もう一方、日本ペンクラブの電子メディア対応研究会委員という立場でも臨みました。同会員も座長をはじめ、事務局員まで含めて6名が出席するほどで、こちらも当然関心の高さを示しました。
 しかし内容には不満が残りました。どのような問題があるか、という設問に対しては、予想通り問題点続出でしたが、我々電メ研で討論している域を出ませんでした。どのような対応をすべきか、という設問に関しては、ほとんど何も出てこなかったと言っても過言ではありません。
 知的所有権、人権にからむ問題で、しかもネットワーク以前の現行でも法整備すらされていない状況ですから、ある面ではやむを得ないのかもしれません。それにしても3時間や4時間では時間が少な過ぎる。PRという意味では価値がありますが…。

000222
    司会の島田雅彦氏をはじめとするパネラーの一部

 PRという意味ではNHKのニュースでやっていたそうです。会社に行ったら私がちょこっと映っていたと教えてくれました。同様のメールももらいました。文藝家協会のねらいもその辺にあるのかもしれません。前回の「漢字が危ない!」というシンポジウムもそこそこ世の中には知られたようですから。
 生業でモノを書いているわけでもない私が、こんなことに首を突っ込むのはおかしいのかもしれません。しかし文学を愛する一読者としてもインターネットと文学の関係に無関心ではいられません。なにより作家の間には、詩人は何もしてくれないという声もあるようで、こんな奴もいるんだというアピールになればと思っています。思い上がりかもしれませんがね(^^;;


月刊詩誌『柵』159号
saku 159
2000.2.20 大阪府能勢町
志賀英夫氏発行 600円

 別れの時/前田孝一

溶けていく
燭台
(しょくだい)の上の一灯の時間

消えていく……
声も笑いも既におさまる
温顔のすまし顔

ためらう煙は天上に向かって
立ちのぼり やがて揺らめく

私のてのひらのぬくもりを
じっと吸い取る母の冷たき額

過ぎ去った舞台がとめどなく寄せてくる
喜怒哀楽がまわり くるう
母よ……

輪廻
(りんね)の夜は更けていく

 死者の物理的な冷たさを表現したフレーズとして、第4連の表現には胸を突かれるものがありました。私にも経験があります。なぜ死者はあんなに冷たいのだろうと思っていました。「私のてのひらのぬくもりを/じっと吸い取る」からなんですね。体温を奪っていくからなんです。生者の体温を持って、冥土への旅のエネルギーとしているのかもしれません。
 人の死というものは、どんな場合でも哀しいものですが、前田さんのこの作品は、それをグッと抑えていて、清廉ささえ感じます。わずかに「母よ……」というフレーズで感情をむき出しにしているだけです。このような作品を作る場合の参考として教えられました。



 
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