きょうはこんな日でした【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「ムラサメモンガラ」 |
2000.3.4(土)
鈴切幸子さんの最新詩集『街はきらめいて』の書評を書きました。『花』18号に載せるのだそうです。書きながら思ったのですが、紙の本は決して無くなりませんね。
唐突な話で恐縮です。鈴切さんは東京・板橋で印刷所を経営なさっている方で、『山脈』の同人です。印刷所ですから紙をたくさん扱います。それに関連しての作品がこの詩集には多く出てきます。そこで思い至るのが電子出版です。そんな切り口で書評を書いてみましたが、その中で紙の本は無くならないなあ、と改めて感じた次第です。
筆やアナログの写真を例に出すまでもなく、同質には述べられないし、消費者はそれを敏感に感じ取っていると思います。紙の本の装丁の美しさ、編集の機微、質量は決して電子出版ではできない分野です。インターネットのホームページを使っている私がこんなことを言うのはおかしいと思われるかもしれませんね。でも、いずれも道具であり、文化なのです。餅屋は餅屋で行くしかないでしょうね。
○沼津の文化を語る会会報『沼声』237号 |
2000.3.1 静岡県沼津市 望月良夫氏発行 年間購読5000円(送料共) |
落語家の金原亭伯楽さんの巻頭言「千年紀なんていわれて思うこと」がいい話です。伯楽さんは1939年生まれ。私より10歳年上になります。戦後の不自由さを書いた後で、次のような文章があります。
「戦災で猛火の中を逃げ延びて、山形県へ疎開して学校全員での秋の行事の落ち穂ひろい。田の中の小川が飛び越せない私を、六年生が両方から手を取って一緒に跳んでくれた時、あぁ、上の人って偉いんだ≠ニ思いましたよ。そしていつか自分も他人に手助け出来る様な人間になりたいなあと思いましたよ。」
結局、そういうことなんでしょうね。助けられて初めて人のありがたみが判ろうというもの。幼少期ならなおさらのこと、身に沁みるのでしょう。それが現在は無くなってしまったのかなあ。一緒に外で遊ぶことも少ないし、助けられたこともなければ助けたこともない、という風になってしまっているのかもしれませんね。
他人様の助けがなくてもなんとか生きていける時代になりました。それはそれでいいことだと思います。しかし、どこかで助けられている。例えば電車に乗るにしても運転士の助けで乗っている。それが無償の助けではなく、有償であるところに問題の根があるように思えてなりません。考えさせられました。
○季刊児童文芸誌『青い地球』33号 |
2000.2.15 高知県土佐山田町 「青い地球」社発行 600円 |
4人の中国詩人の作品を保坂登志子さんが訳しています。その中で林岳という詩人は1999.4.10夜明けの風景を3編の詩にしています。いずれも面白い発想です。その中から次の詩を紹介します。
日の出/林 岳 訳 保坂登志子
太陽が昇る方から先に
消息が伝わるのではなく
太陽から遠い
はるか遠くの
はるか高い
西の雲が も
まっ先に光を洩らしてきた (一九九九・四・十早朝五時三義)
そう言われてみれば、東の空より西の雲が先に光るということがありますね。盲点を突かれたような気分です。何でもないことをこうやってきちんとうたわれてしまうと、やられたな、という感じです。
ちなみに「三義」とは作者が宿泊した場所の地名のようです。
原文も載っていますから、参考までに転載してみましょう。今のパソコンでどこまで表現できるか、それにも興味ありますから…。
日出/林 岳
不是従太陽升起那邊
先傳出訊息
而是離開太陽
很遠很遠的
很高很高的
西方的雲
最先洩露了光
とりあえず表現できなかったのは「従」だけですね。旧字(本字?)ではツクリの上が「人人」になっています。すみません、他人様の作品でテストをやったりして(^^;;
○詩誌『波』10号 |
2000.3.3 埼玉県志木市 水島美津江氏発行 非売品 |
四行連詩の新しい試みも始まりました。しかし、私はどうしても次の作品を紹介したい。
峠/高橋 渡
記憶の景色をおい 虫のこえを聞いては登る
三十年ぶりの峠に立った
むかしながらに天来の風をまねき
異界 そう そんな不気味幻夢の浪漫に誘う
あの時
ぼくらは人生の峠にちかく ここに立ち
昂ぶっていたのだろう
友が言う
詩人は まず ひとりの市民でなくては
マグマ抱え現実に根を張る人間でなくては
反論の声があがる
生活者でも平仄合せの良識派でもないよ
美に賭ける 言ってみれば
一所不在の 無頼の渡世人さ
談論に果てはなかった
いま 友らの声は虚空に在り
光沢求めては水楢の木目みがいた日にかえる
そしては
下り坂の険しさに新しい風光かさなり
風来のことばが鶸のむれとともにやってきた
高橋渡さんは日本詩人クラブの会長でした。職務途上の昨年11月に亡くなっています。この作品は水島さんの手元に10月半ばに届いたそうですから、おそらく絶筆ではないかと思います。
実はこの次の頁に「高橋渡さん追悼」として私が追悼文を書いています。本誌をお持ちの方はそちらをご覧いただいた方が早いのですが、死を覚悟した作品と私が受けとめたことだけは明記しておきます。
本誌が編集の段階でこの作品のコピーをもらい、本誌で改めて読んで、さらにこうやって入力してみて、死を覚悟した作品であったと確信を深くしています。原稿締切にきちんと間に合わせて、逝く。詩人としてなんとも潔い最期に、敬服しています。ご冥福を改めてお祈りします。
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