ょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.3.11(土)

 日本詩人クラブの3月例会が行われました。メインは小柳玲子氏の講演で、北森彩子、辻征夫についてでした。特に北森彩子という詩人は興味がありますね。つき合うには大変な人だったようですが…。そんな、まったく世に知られていない詩人の話を聞けるのも講演会の魅力です。
 公式な報告は日本詩人クラブのHPにUPしましたから、そちらをご覧になってください。ここでは、非公式というわけでもないけど、二次会の写真を載せます。

000311
    「養老の瀧 神楽坂店」にて

 今回は全員座れました。多い時は立ち見が出るほどです。この画面で半分ちょっとの人数が映っています。店が小さいからしょうがないんですけど、今どき2000円会費でやれる所なんて、他にはないですからね。
 興に乗って、このあと三次会の蕎麦屋、四次会のカラオケまで行ってしまいました。めんどうだから泊まってしまおうかと思いましたがそうもいかず、最終の新幹線に飛び乗りましたよ。実に楽しい一日でした。皆さん、また遊んでください!


詩誌『燦α』2号
san alpha 2
2000.4.16 埼玉県大宮市
二瓶徹氏発行 非売品

 会場で二瓶徹さんよりいただきました。解像度が悪くて申し訳なし。創刊号は『燦』だったのですが、同じ名の詩誌があるというのでαを付けたようです。確か字は違うと思いましたので、そこまでやる必要はないのでしょうが、主宰者の落度だから、と変更した旨を編集後記で書いています。その誠実さに敬服です。

 雪に包まれ/さたけまさこ

雪の降る日

 うっすらと積もった
雪をはらい
縁側に腰掛ける

雪は音を吸い込んで降る

 スローモーションで

  わたしは

目を閉じ耳をすます

 カサッ
     コソッ

わたしのジャンパーに
雪が降る

それは何かを囁くよう

 カサッ
     コソッ

雪の結晶が
わたしの上に降り積もる

雪はすべてのものを包み込み
まるくやさしい形にする

  白く 白く

角張った所など
  ひとつもなく

こんなわたしでさえ

 私のHPにもリンクしていただいているさたけさんの作品です。特に「雪は音を吸い込んで降る」「まるくやさしい形にする」「こんなわたしでさえ」というフレーズがいいですね。詩として成立しています。しかし、その他はどうなんでしょうか。
 まず、大事な第一行の「雪の降る日」は、あまりにももったいない。大事なところなんだから、むしろ「雪は音を吸い込んで降る」の方がインパクトが強いし、読者をドキッとさせるんではないでしょうか。
 一字下げ、二字下げも理由が判らない。必然性が無ければ、読者は作者が構成に困って逃げているな、と思うかもしれない。私はそう取ってしまいました。「カサッ/コソッ」はいいと思います。いかにも雪が上から下へゆっくりと降りているようで、これは情景が浮かびます。しかし、二度も使うべきではない。
 一行空けも気をつけなければいけないのではないでしょうか。情感を出しているのかなと思いますけど、読者としては、その空間がちょっと目障りに感じます。重要な意味があるなら別だけど、そうとは思えません。
 一般論になるかもしれませんが、一字空けなどしないでベタで書き込んで、読むに耐えられるかどうかという訓練が不足しているように思います。極端に言えば、散文詩として書いても詩として成り立つかどうかという訓練が必要だと思っています。そこから行分けの意味が出てくるものでしょう。そういう訓練を作者は経ていないな、と感じてしまいます。
 しかし、この作品は最後の一行があるから救われています。それが無かったら箸にも棒にもかからないことになってしまいます。ですから、作者は詩とはなんであるかが判っているんだと思います。それを効果的に書くにはどうすればいいのか、その切磋琢磨が不足しているだけなんでしょう。いい仲間、いい指導者に恵まれれば光る存在だと思います。

 柄にもなく説教めいたことを書いてしまいました。何度かメールのやりとりをして、多少は気心が知れているだろうという私の甘えもあります。何よりもったいない詩人だと思っています。もう少し身近にいい仲間がいればなあ、と悔しい気もしています。私も他人様のことをとやかく言えるほどの作品を書いているわけではありませんが、惜しくて思わず書いてしまいました。さたけさん、ご海容のほどを。


詩誌『筑波路』17号
tukubaji 17
2000.2.28 茨城県真壁町
海老沢静夫氏発行 非売品

 こちらも会場でいただきました。どなたからいただいたものか判りません。会員名簿を見るとおひとりだけ日本詩人クラブの会員がいらっしゃいますので、おそらくその方だろうと思います。

 事故/森井香衣

校庭では
こどもたちが
元気に遊んでいます

魚屋の店先には
生きのいいさかなが
いつものように並んでいます

畑では
農家のひとたちが丹念に
野菜を育てています

冬には
乾燥注意報の
春には
納税は早めにしましょうという
広報車も回ってはきませんでした

あのとき
だれも気づかなかったのです
臨界の青い閃光を

畏れたのです
知らせることを

 やっと出たな、という思いです。何度か東海村の臨界事故に関しては、茨城の詩人たちが書くようになってきましたが、まだまだ少なくて、記憶に残る作品も少ない現状です。ようやく書いて欲しいと思っていた作品に出会いました。
 詩人はいろいろな立場の人がいますが、それでも重大な問題については詩人として発言すべきだと思っています。そうでなければ文学としての詩の意味がないと私は思います。当然、臨界事故は実際の被害を蒙った茨城の詩人たち、文学者たちが自分の思想を賭けて書くべきだと思っていましたが、予想より少ないですね。そこにこの作品が現われました。しかも詩人としてきちんと現象を見ています。
 そのことにまず敬意を表したい。その上、第4連のような書き方ができる人はそうそういないと思います。この、未知の詩人の力量を感じる次第です。いい作品に出会いました。



 
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