ょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.3.15(水)

 さすがに連続して東京に出ると疲れますね。会社の出張で2回、日本ペンクラブ関連で2回、計4日連続になってしまいました。この文章は実は3/19に書いています。10日近くもHPを更新していませんから、筆も荒れています(^^;;
 3/15には日本ペンクラブの例会がありました。いつも通り呑むだけの会で、今回はちょっと人も少なめでしたね。珍しい人に会えたわけでもないし、まあまあ、こんなものかな。

000315
挨拶する小中陽太郎専務理事

 写真も2枚しか撮りませんでした。珍しく銀座のクラブのホステスが私のところにも来ましたので、そちらとの話に夢中になっていたからです。ドイツの奨学生だという女性ともお話しできて、そんなところかなあ、特筆は。
 最大の特筆は筧さん、丸山さんと男3人で二次会をやったことです。久しぶりに新橋の「魚福」で呑みました。売り物でない酒もどんどん出てきて、つまみもうまいし、いい店です。姉妹でやっている店ですが、妹さんの方が私のファンだということも判って、気分よくしてきました。男って、単純だなあ(^^;;
 さて、この間にいただいた本も10冊近くになってしまいました。どんどん紹介していきましょう。お礼が遅くなって申し訳ありません。


田口義弘氏詩集『遠日点』
enjituten
1999.9.19 東京都豊島区 小沢書店刊 3000円+税

 今回の日本詩人クラブ賞を受賞した詩集です。手紙が同封されていまして、「貴クラブで重責をはたしておられる方々の多くの方にさえ差しあげるのを忘れていました」と書かれています。要するに日本詩人クラブの理事を私がやっているから送るよ、ということですね。ご丁寧に送っていただいて感謝しています。

遠日点

遠日点の
深淵を飛ぶ
鳩に射す
乏しい光
希望はまどろみつつ
冬の彼方の
白い未知を
呼吸しつつ

 非常に難しい詩集です。思考回路が私などとは違うようです。4行詩から数ページに渡る長大な作品まであり、観念的な作品や具体的な旅に取材したと思われる作品まで実に多彩です。そんな中で詩集のタイトルと同じ作品を紹介するのは、愚の骨頂なんですが、これは実に判りやすいので取り上げてさせていただきました。
 遠日点というのは、聞いたような言葉ですがよく判りませんでした。辞書で調べたところ「惑星や彗星の軌道上で、太陽から最も離れている地点」とあります。これで理解することができますね。具体的なイメージが出てきました。
 ちなみに作品のタイトルが小さくなっています。通常はむしろ大きくしたりゴシックにするのですが、作者は意図してやっているようですから、ここでの紹介も同じようにしました。そのこだわりの真意は判りませんが、効果的な印象を与えて成功していると思います。18年のブランクがあって、これが第2詩集とのこと。私たちが知らないところで優れた詩人がいることに、日本の詩壇の深さを改めて感じてい
る次第です。


堀江泰壽氏詩集『今日という日』
kyo to iu hi
2000.2.20 群馬県伊勢崎市 紙鳶社刊 2000円

 ハングライダー

鳥になりたかった人間が
空に舞い
人間の目で
おのれの心をさがしている

十月の空は
こそばゆそうに高く澄み
輪をかく鳥もいて
黄金の色はひろがり田圃に波打ち
エンジンの音の早さで姿をかえて

山肌に駆け登る気流はざわめき
詩をのみこんだ色彩にとけて
絵葉書のせかいにはまり込んだ
鳥になった人間は
旋回をくりかえすばかり

なにを見てしまったのだろう

 紹介しなくてはいけない、もっと素晴らしい作品もあるのですが、この作品にフライヤーの立場からコメントをつけられるのは、おそらく私しかいないだろうと思って、あえて取り上げさせていただきました。
 まず言葉の問題から。「ハングライダー」ではなく「ハンググライダー」です。吊るという意味の「ハング」とグライダーの合成語です。省略という言い方もできますが業界≠ナはきちんと発音していますので、よろしく、です。
 おそらくこの作品はハンググライダーの旋回をご覧になって書かれたものと思います。「エンジンの音の早さで姿をかえて」とありますからモーター・ハングかもしれませんね。「なにを見てしまったのだろう」という終連がこの作品のポイントになっています。実際にハングフライヤーだった者からの回答、と言ったらおかしいですが、私なりの回答を。
 いつも何を見て飛んでいるかと言うと、人によって違いがありますが、最低限まちがいなく「気流」を見ています。モーター・ハングは多少違うようですが(私には経験がない)、それでも気流を見ないことには飛べません。では、具体的に気流を見る≠ニは何か。それは雲の動きや地表の草木の動き、鳥の飛び方を見ることです。あるいは空気の温度を感じること、自分の機体や他機の上昇・下降を見ることです。それらの総合が気流を見る≠ニいうことになります。
 「見る」ということは簡単に言ってしまえばそういうことですが、では「なにを見てしまったのだろう」ということについては、千差万別です。フライヤーの感受性の違いが当然出てきます。しかし、自分も含めて多くのフライヤーに共通しているのは自然の怖さ、あたたかさ≠見てしまった、ということではないでしょうか。
 我々は飛ぶときに決して自然を征服しよう≠ネどとは思いません。自然に遊んでもらう≠ニいう感覚です。そうでなければ布切れ一枚の航空機は飛べないからです。ヨットも同じ感覚ですね。そんな中で強烈な下降気流に遭遇したときは怖さと人間の小ささを感じ、安定した気流の中では母のふところのような安心感を覚えます。そして、人間の頭脳が作り出したハングに、理論の正しさを感じ、理論では片付かない自然の複雑さを感じるのです。

 そんなところが私の見た回答≠ナすね。ハング、パラ、ヨットと風に遊んでもらうことばかりやってきましたが、現在はヨットを除いて止めています。20年も(間は空いていますが)そんなことばかりやってきて、ちょっと疲れました。精神的な緊張に耐えられるのは、やはりある程度の若さが必要です。なんか、自分のことばかり書いて、感想にもならず申し訳ありません。



 
   [ トップページ ]  [ 3月の部屋へ戻る ]