きょうはこんな日でした【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「ムラサメモンガラ」 |
2000.3.17(金)
日本ペンクラブの電子メディア対応研究会がありました。今回はゲストをお迎えしての研究会です。2/22日本文藝家協会主催のシンポジウムにパネラーとして出席なさっていた中村正三郎さんをお招きしました。ソフト開発のエンジニアで、私より一回りくらいお若い方です。シンポのパネラーが文系の方ばっかりでしたので、ちょっと違った発言をしていまして、目立っていました。モノ言いがはっきりしていて私は好感を持ちました。秦座長も同感だったようです。座長の依頼に応えてくれたというわけです。
今回の中村さんを含めた討論の中で際立っていたのは、文筆家は電子メディアの渦中に入った現在、何をすべきかという問いに対する中村さんの答えです。
その第一は、著作を早く電子化しておくべき、というものでした。これは私もその通りだと思います。正確には私のような自費出版をする者は、ですけどね。好むと好まざるに関わらず、電子化された文章が主流になります。おそらくここ数年で99%がそうなるでしょう。そうなった場合、手書きの原稿を持ち込むのと電子化原稿を持ち込むのとでは、コストが大幅に変ります。自衛のためにも電子化が必要になるというわけです。おそらくプロの作家でもコストという面では対応を迫られてくるのではないでしょうか。
私の場合はかなり電子化されていますが、8Bit機を使っていた頃の作品は電子化していません。暇を見てはやっておこうと思っています。万一、まかり間違って(^^;;
全集を出すなんてことになったら大変ですからね。
第二は技術に対する意見は出すべき、というものでした。これは電メ研としてもやってきたつもりです。私が当初、電メ研に出席していた頃の意見とも同一です。技術的なことはプロに任せればいいのです。プロはニーズさえ判れば動けるのです。その成果はあったと思います。UNICODEは現在の約2万の漢字を、近い将来100万字にするそうです。これは文藝家協会や我々の主張が通ったものと解釈してよいでしょう。文筆家は技術論に口をはさまず、何が必要なのかという点のみを主張すればよい、と私も電メ研で訴え続けてきました。
実は内緒ですけど(^^;;
会社における私の仕事のやり方がそうなんです。一応、技術屋の端くれにいますが、私の技術力なんてたいしたことはありません。でもこうすればもっと良くなる、というのは判ります。それをもっと技術力のある人間なり他社に伝えます。そうするとうまく仕事がまわっていくんですね。一から勉強していたのではとても間に合いませんから、なるべく他力本願でいくことにしています。私個人の技術力が上がるか下がるかは、会社としては問題じゃなくて、要は仕事が進めばいいのですから。
第三に、本気で著作権擁護のため法整備を考えているのだったら、ロビー活動をやれ、という発言がありました。これはちょっと二の足を踏みます。言わんとしていることは判ります。その通りだとも思います。しかし政治には失望しています。70年安保当時は、私は私なりに政治活動をしてきましたが、もうあんな生活に戻る気はありません。文学として告発なり対案を考えるのが現在の立場だと思っています。ですから政治に無関心でいる気はありませんが、行動は自分に合った方法を取りたいと思います。このHPが「ごまめのはぎしり」である由縁です。日本ペンクラブなり日本文藝家協会が組織としてロビー活動をするなら、それはそれで応援もし協力もしていきますが…。
書き出すとキリがないので、抽出した要点のみにします。しかし刺激的な研究会であったことは書き添えておきます。やはりプロのエンジニアだなと思いました。
○詩の雑誌『鮫』81号 |
2000.3.10 東京都千代田区 <鮫の会>芳賀章内氏発行 500円 |
形/真尾倍弘
原爆を浴びた原民喜さんは
常に無口な人だった
西荻窪の鉄路に消えた
頑丈で死ぬことなど考えられなかった詩人の江口榛一さんは、リウ
マチの痛さに耐えられないと書いて首をくくって死んだ
『足摺岬』『絵本』の作家田宮虎彦さんはマンションから身を投げた
そして
「そして」で終わっていることに妙に惹かれました。そして「形」へ戻っていくのか? それとも死んだ人たちのその後に思いを馳せるのか? いかようにもとれる接続詞が終連にあるということは、危険な場合もあるのでしょうが、この場合はどうでしょう。私は「江口榛一」という固有名詞に戻ってみました。
私たちの世代にはあまり馴染みがないのですが、ちょっと上の世代にとっては有名な詩人だそうです。実はその娘さんが『山脈』の同人でいます。江口榛一さんを直接存じ上げてはいないのですけど、娘さんの書いたものから間接的に知りました。船橋で「地の塩の箱」という運動をやっていた方で、壮絶な生活を送ったようです。『父と私』という娘さんの著書に詳しく出ています。
そして″]口榛一に戻ると、私にはその後の娘さん、その後の江口榛一にいきます。娘さんは今でも苦労続きですが、よい伴侶に恵まれています。榛一さんは果せなかった無償の愛を天国で完成させているのかもしれません。そんな「形」が私には浮かんできます。作者の意図とは違ってしまったかもしれませんが、そんな風に鑑賞させていただきました。
○総合文芸誌『星窓』3号 |
2000.3.10 大阪市中央区 星湖舎刊 1000円+税 |
特集−現代書籍事情「自分史の出版環境」というものが参考になりました。詩集なんてものは、ある意味では自費出版の自分史みたいなものですから、出版事情はかなり似通っています。違うところは私設の自分史専門図書館がずいぶんと多くあることでしょう。北海道から沖縄まで15ヶ所が紹介されていました。詩の専門図書館となると、富沢智さんの「榛名まほろば」を始め3〜4ヶ所というところでしょうか。散文と詩の難しさの違いが表れているのかなとも思います。
驚いたことに公立の図書館もあるんですね。春日井市の「日本自分史センター」というのがそれです。昨年11月オープン、蔵書はまだ1000部程度のようですが、これから増えてくるのかなと思います。そういえば公立という面では詩の分野にも北上の「日本現代詩歌文学館」がありますね。公立が良いか悪いかという判断はできませんが、少なくとも社会的に認知されている証拠だと思います。
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