きょうはこんな日でした【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「ムラサメモンガラ」 |
2000.3.19(日)
うーん、困った。自治会の役員になってしまった! 困ったなあ、時間がますます足りなくなるなあ。
今日は自治会の総会がありましたので、義務として出かけて行きました。総会では4月以降の役員も決めることになっています。だいたい順番制で、そろそろ私の番になるのが判っていました。しかし今年は自治会の組長もやることになっており、中学校PTAの役員も受けてしまいましたから、自治会の役員だけは避けたかったのです。その旨おもだった人たちには伝えてあったのですが…。来年ならやるよ、とも言ってあったんですがね…。一応、無記名投票の選挙ですから、無視するわけにも拒否するわけにもいかず、ほとほと困っています。
で、月に何回の会議になるか計算してみました。なんと8回! 自治会が2回、PTAが1回、日本詩人クラブと日本ペンクラブが2回ずつ。それに『山脈』が1回で、最低でも月8回です。週に2回は出かけることになります。ゲッ! そうだ、会社の出張も月2回が定期的にあるんだっけ。
まあ、そのうちの2回は呑み会だから、それを狙い撃ちで削るしかありませんね。一番の楽しみを削るなんて、情けない話です。でもまあ、今年度いっぱいがんばれば地域の3つは無くなるし、詩人クラブの理事も再選されないかもしれません。そうするとグッと楽になるから、1年間の辛抱です。
そんなわけで東京に出る回数も減ると思いますが、遊んでくれている皆さん、事情をご理解の上ご了承ください。でも時間があったら絶対に呑みに行くから、誘ってネ。
○現代詩の10人 アンソロジー『中村不二夫』 |
2000.2.25 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 2500円+税 |
うれしい詩集をいただきました。中村さんの詩というのは、そういえばまとまって読んだ記憶がないなあ、と思って本箱を調べたら確かに一冊もありませんでした。このアンソロジーは第一詩集の『ベース・ランニング』から『ダッグ・アウト』『Mets』『People』までの詩集が抜粋され、さらに未刊詩篇まで収録されています。この一冊で中村不二夫詩が判るというものです。
ワシントンDC 1999
ジョー・ディマジオが死んだ翌朝
ぼくはワシントンDCダラス空港にいた
ディマジオの魂が天を凍らせてたのだろう
DCは数年ぶりの大雪に見舞われた
数台の車が高速道路で横転している
一九五〇年六月二十五日
北朝鮮軍隊韓国側に侵略 アメリカ参戦
その年にぼくは横浜で生まれた
戦後 街のいたる所にまるでプラモデルのように
米兵の住む蒲鉾兵舎が並んでいた
東西緊張の中 死者一〇〇万余
日本は戦争の特需景気で立ち直った
DC ホロコーストミュージアム前
開館を前にすでに長蛇の列
人類はホロコーストを克服できるか
おそらくその問いに終わりはない
だからこの時代もアウシュヴッツだ
壁いっぱいユダヤ人家族の写真
それは天使のような微笑みだ
教師に引率された見学の少年少女ら
彼らは必死に何かを紙片に書いている
虐殺された過去の少年たちへの手紙だ
そこにだけだ 未来があるのは
DC ペンシルヴァニア・アベニュー角
黒人ホームレス二人がぼくを見ている
彼らの瞳には昨日の雪が残っている
いつになったらそれは溶けるのだろう
この街では彼らを養う残飯すらない
人はもっと汚辱にまみれなければならない
白く磨き抜かれたホワイト・ハウス
それは他者を隔てる壁でしかない
ぼくはホロコーストミュージアムで
アウシュヴィッツ行きの列車に乗った
(ナチス時代の展示物であったが)
きっとこれは模造品なんかではない
みんな一緒に収容所へ運ばれていくのだ
地下鉄デュポンサークル駅で降りた
まっすぐ天国まで伸びたエスカレーター
だから上がっていった者は帰ってこない
この街でぼくもその一人になるだろう
未刊詩篇の中に収められている作品を紹介してみました。端的に中村さんの人生観をうたっている作品だと思います。中村さんは1950年1月生まれ、私は1949年7月生まれ。まったくの同級生です。私たちは好むと好まざるとに関わらず、アメリカ文化の影響を受けて半生を過ごしてきました。当初は繁栄するアメリカを慕って、現在は腐敗した文化を嫌って…。そんな私たち世代の思いがこの作品に昇華されていると思います。
しかしアメリカのすべてに絶望しているわけではありません。「虐殺された過去の少年たちへの手紙だ/そこにだけだ 未来があるのは」というフレーズに象徴されているように、優れた面は認めています。庶民としての感覚はアメリカも日本も同じだと認識しています。たぶんそこは中村さんも私も同じだろうと思います。
中村詩の中では、この作品はかなり断定的な表現をしていると思います。例えば神を主題とした作品には〜だろう≠ニいう表現が多いのですが、ここにはいっさい出てきません。神という観念とワシントンDCという具体へのアプローチの違いかと思います。既刊詩集の中の野球に関する作品も断定的です。そこもおもしろいと思いました。中村不二夫という詩人の精神構造を探る手立てのように思います。
○詩誌『RIVIERE』49号 |
2000.3.15 大阪府堺市 横田英子氏発行 500円 |
賛歌/小野田重子
やわらかな陽ざしを受けて
ハイハイに夢中な孫
おしりをムクッと上げてはイモ虫のように
前へ 前へと出ようとしている
顔を真っ赤にしては力尽き床に突っ伏す
それでもつぶらな瞳は果てしない夢を追い
もみじのような手は確かな未来を得ようと
いっぱいに開かれそして握る
もう少しだ ガンバレ
ガンバレ ガンバレ と
回りではやす私達
決して君の輝かしい未来や夢を摘み取ってはならない
せめて物心つくまでには
人の命を命とも思わない殺伐とした事件や
大卒者の就職超氷河期 リストラ 倒産
等々の話題
少しでも少なくなっている日々にと
じいじ も ばあば も密かに願う
さあデパートに行こう
夢がいっぱい詰った絵本を買って上げよう
それは
大きな壁の前に成す術もない私達の
ささやかなプレゼント
子はいますが孫はまだいない私でもほほえみたくなるような作品です。私も「じいじ」になったらこんな心境になれるかな? 子よりも孫はかわいい、とはよく聞く話ですけど、やっぱりそうなんでしょうね。いつ孫ができてもいいような心境にさせられる作品です(^^;;
ホッとしますね。
でも惜しいなぁと思うのは「人の命を命とも思わない殺伐とした事件や/大卒者の就職超氷河期 リストラ 倒産」というフレーズです。ここ以外は具体的なのでスーッと入ってきますが、ここだけが紋切り型で惜しい気がします。お孫さんへの愛情の反語として使われているわけですから、もっと具体的な事件を取り上げたら生きてくるのに、と思いました。例えば「人の命を命とも思わない殺伐とした事件」というのは小学生の首を切り落とす世の中≠ニでもしたら、インパクトが強過ぎますかね?
余計なことを書いてしまいましたが、そんなこともついつい言ってみたくなるほどの作品です。失礼をお詫びいたします。
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