ょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.3.25(土)

 『山脈』の例会がありました。4月には『山脈』創立50周年のイベントがあり、6月にはそのイベント特集を組んだ106号を出す予定です。それらの原案を提示して、若干の修正ののち決まりました。詳細はこのHPでも追々公表していくつもりです。

000325
横浜・野毛「今福」にて

 今回は対面の同人にも写真を撮ってもらいました。私も久々に登場しましょう。酔顔を見てやってください。眼が据わりかけているように見えますね。ちょっとムッとしているところだと思います。実は前日の定年退職者祝賀会で、日本酒5合を呑んだ話を自慢したんです。すかさず返ってきた応えが「5合ぐらいでいばるんじゃねえ。一升呑んだら褒めてやる」だもんね。ああ、嫌だ嫌だ呑ン兵は。呑む時は一升5合も呑むという連中、3人も目の前にいたんですよ。そんな連中に自慢した私が馬鹿だった。今度は一升呑んで自慢してやる(^^;;


アンソロジー『新日本文学詩集2000』
poem millrnium 2000
2000.2.2 東京都中野区 新日本文学会出版部刊 2000円

 最近ネット上でおつき合いいただいている堀剛さんよりいただきました。ずいぶん「2」にこだわったアンソロジーですね。2000年2月2日発行でオッと思い、定価2000円で思わずニンマリしてしまいました。ついでならISBNも2000が入った数字を使えば良かったのでしょうが、まあ、これは無理ですね。

 月/堀 剛

太陽光を反射し、輝きを日々つくろう天体。自らは光を持たない冷徹な岩石の塊で
ありながら、地上へは反射光を放つもの。

心。自らの思いを自らに写し、自らの日常を日々つくろう実存。自らは頑なな魂の
一片でありながら、外部へは意志を放つもの。

時に満月、意志は行為を放つ。行為は肉体を伴う。

時に三日月、祈りは神秘であり、微笑みは哀しみをも伴う。

自らの思いを抱え込む。自らの思いを引きずりながら、どこまでも自らに対して関
係する。自らは一つの肉体の内に置かれているようであり、体積を確認できぬ所在
でありながら、外部へは肉体を所有する。時に打ちのめされ、自らのありように耐
え難く、肉体をすら破壊するもの。

心、月の鏡に反射し、自らを自らに焼き尽くすもの。

 その堀さんの作品です。月と心の対比は見事としか言いようがありません。肉体と心の関係にも納得させられます。辞書の「心」という項目に載せたいくらいです。
 元来、私はこういう観念的な作品は嫌いです。なぜなら一人よがりで、きちんと説明していない作品が多いからです。あるいは説明すると本当に説明だけになって、詩としての価値がなくなるからです。しかし、この作品は違います。心を説明、あるいは解釈しているのですが、きちんと説明されています。しかも詩として成り立っています。こういう「観念詩」なら大歓迎ですね。思わず、なるほど、なるほどと惹き込まれていきます。
 堀さんは四国学院大学文学部の教授ですが、理系の素養もあるようにお見受けしました。理系の論文の組み立て方に近いものがあり、拝見して判りやすいですね。6月に大阪で開催される日本詩人クラブ関西大会でお会いすることになっています。今から楽しみです。


鬼の会会報『鬼』335号
oni 335
2000.4.1 奈良県奈良市
中村光行氏発行 非売品

 この会報にはいつも新発見があって、瞠目させられています。今回は次の記事です。

 仏壇に酒は駄目
 仏教的な供養には無用。故人が好きでも、戒名をもらった以上は、不飲酒戒を誓った訳ですから、止めねばなりません。仏壇に祀られている間は、仏教的です。ただ、三十三年忌を済ますと、仏の位から神の位に昇格し、位牌を寺や霊場に納めたり、位牌祀りと称して川へ流したり、墓で焼いたりします。そして氏神になり、神棚に祀られ、酒を上げてもかまいません。仏は三十三年間、禁酒です。

 へーえ、そうなんだ、と驚いています。これは困ったな。20歳頃(^^;;から酒を呑み始め、以来一日として義務を放棄した日はなかったのに、33年間も酒が呑めないとは! 死んでしまいそうです(^^;; 地獄も天国もご法度なんでしょうね。老酒の呑める中国にしようかな。
 仏と神の位置関係も判りました。仏から神になるのは知っていましたが、特別な人だけだと思っていました。誰もが33年経ったら神になれるとは、浅学にして初耳です。死んだ生母も33年経っていますから、今はもう神なのかと思うと、感無量です。いい話を聞きました。


隔月刊誌『東国』111号
togoku 111
2000.2.29 群馬県伊勢崎市
小山和郎氏・東国の会発行 500円

 創造(小川)/井上敬二

積算をするんだ
其処此処の素掘の水路を
コンクリートの水路に変えるための未来の費用を
誤りのないように

その新しい水路に流れていく水
空から別れ
落ち続ける水
そんな繰り返しのように
幾つもの数字が打ち出される

そう、
概算でいけばmあたり
経費込みで二〇千円程度か一寸
それが寒い未来に向かって何千m

つまり仕事が
そういうことであったりする担い手の
衰退を幾らかでも止める堰を築き
地理を潤す
まずは
積算をするんだ
工事の果ての検収が終わるまで
滅びやすい
虚ろな人事の重なりあいで

稲穂を渡る風
風に色や香はないのだが
例えば
黄金に波立つ夕べの調べ
人の創造は
意固地に色香を付けてみせる

 創造≠ニは「意固地に色香を付けてみせる」ことか、と考えさせられる作品ですね。仕事を通しての視点ですから、重みがあります。私は漫画程度の設計図を書いて工事をお願いすることもありますから、理解できます。ただ私の場合は工場の建屋内に限られていますから、井上さんのような屋外のダイナミックさはありません。
 この作品からはご自分の仕事に対する疑問のようなものも感じます。「コンクリートの水路に変える」ことが「意固地に色香を付けてみせる」ことになってしまうというふうに捉えられ、魚の住めなくなるような護岸工事への批判とあいまって、ご自分の立場の難しさをも表現していると思います。
 難しい問題ですね。私の回りにも小さなドブ川がコンクリート製になって、流れが良くなって見た目の環境上は好ましく思われる所があります。しかし魚は住めません。溜まりの多いドブ川で悪臭さえ放つようなものでも、本来の自然環境という意味ではその方がいいのか、判断は難しいと思います。ただ最近は生物にもやさしい護岸工事が行われるようになったらしいので、少しは改善しているのでしょうね。



 
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