ょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.3.26(日)

 自治会役員の新旧引き継ぎがありました。年間行事を見るとさっそく4/2には春祭りがあり、忙しい年になりそうです。PTAの行事も目白押しですから、とんでもない1年になります。いただいた本のお礼も遅れ気味になりそうですね。そうならないように努力しますが、遅れたらゴメンナサイです。
 引き継ぎのあとは懇親会になりました。これはこれで結構。地域の人たちと膝を交えて話ができることは貴重なことです。いろいろな世代、職業の人が集まっていますから、文学者とのつき合いとは違ったおもしろ味があるだろうと楽しみにしています。なんか楽しみがなければ嫌になっちゃいますからね(^^;;


詩誌『すてむ』16号
stem 16
2000.3.20 東京都大田区
甲田四郎氏方・すてむの会発行 500円

 だれ/尾崎幹夫

夜中に目をひらいて
そばにすわっているぼくに父がいう
おまえは
だれだ?
おやじの息子だよ
父は目をふさぐ
口をきけないはずの父はしばらくしてまたいう
おまえは
だれ
おやじの息子だよ
すこしはらがたってくる
ときがたってまたいう
お ま え は?
息子
いらつく声でこたえる
しかしねむる父は
ふあんにさいなまれているのではないかと
きがかりになってくる

よくあさ母はくる
父がなにか
くちをうごかす
ぼくは
おまえはだれだ とぼくにいっているように
よみとる
母は そうか と
いって父のあしをもんでやる

つぎの夜
父はなにもいわない
おまえはだれだ
とも
いわないでだまって死ぬのをまっている
ぼくは ここにいるのは息子だ と
こたえることができない

 平仮名の使い方が効果的な作品だと思います。「ふあんにさいなまれている」父≠フ脳裏には、漢字としての言葉ではなく記号としての音が存在しているのだろうと、容易に想像できます。父を見ているぼく≠ノも同じことが言えます。論理で組みたてる生活ではなく、「だまって死ぬのをまっている」父≠ノは生体の基本的な生活があるだけなのです。そこには漢字は不用なことが読み取れます。
 母≠フ描き方も象徴的です。「母は そうか と/いって父のあしをもんでやる」というフレーズにこの夫婦の在り方がすべて出ていて、場面を引き締めていると思います。
 終連はこの作品の中で最も優れていると思いました。「父はなにもいわない」から「ぼくは ここにいるのは息子だ と/こたえることができない」のですが、それ以上に「だまって死ぬのをまっている」父≠ノ「こたえることができない」のです。直接的と言えば直接的な表現ですが、平仮名の効果でうまくいった作品です。夫婦、親子の関係を醒めた目で見ているようで、その実、言うに言われない内心の悲しみが伝わってきました。詩という芸術を持つ者の力を知らされました。


詩誌『猗』9号
i 9
2000.4.8 東京都板橋区
中原道夫氏発行 500円

 毎回お断りしていますが『猗』にはサンズイが付きます。今のパソコンでは表現できません。「今昔文字鏡」という優れたソフトがあり、一般のパソコンでは表現できない文字もGIF形式で扱えるのですが、それにもありません。やむなくサンズイをとった形で表現しています。ご了承ください。

 このみち/忍城春宣

あたご   のぼり
愛宕神社に幟がたった

幟は神への目印だから

天の神様が降りてくる

村人は豊作祈っていた

ピィヒャラピィヒャラ
 
はやし
お囃子が風にはこばれ
から
空花火が揚がっていた

潮騒匂う曲がりくねっ
 
か ら
た落葉松の小径を行く

と浜千鳥が鳴いていた

サギ草が風に向かって

とび立とうとしている

あなたの瞳に夕陽が燃

えて母のおさがりだと
  
ゆかた
いう浴衣のおびのした

にあせもができていた

僕らはおとなになった

夏祭りのばんであった

真っ直ぐふり返らずに

行くのがふたりのため
しあわせ
幸福になる近道だから

何て勝手にそうあなた

にいわれて僕だけ一人

十八歳で故郷をすてた

あなたからいただいた

ぬいぐるみのおひな様

嫁にもいかず元気です

 最後の2行に惹かれました。女々しいと言えば女々しいのですが、男なんてそんなもので、女性には弱いんです。人口の半分以上は常に女性が占めているし、戦争があれば死んでしまうのは男が主です。忍城さんの男としての悲しみが伝わってきました。
 それはそれとして、忍城さんとは何度もお会いしていますがゴツイ人です。その彼がこんな作品を書くなんて、正直、驚いています。女性なんか鼻にも引っかけないと思い込んでいましたから、逆に彼もひ弱な面があるんだ、と安心しています。そして「ぬいぐるみのおひな様/嫁にもいかず元気です」と表現する忍城さんの詩心が判って、うれしく思っています。ここまでのことはなかなか書けるものではないでしょう。



 
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