ょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.4.2(日)

 ようやくこのHPも4月を迎えることができました。そうは言ってもこれは4/7に書いていますから、5日遅れということになります。早く実際の日と合わせられるようにしたいものです。
 4/2は自治会の春祭りでした。戸数250軒の小さな村落ですから、一戸一戸の役割が重要で、必ず何かしらの仕事が回ってきます。以前の子ども会の役員として参加したり、接待係として握りメシを作ったりしていましたが、今年は自治会役員としての参加です。正直、キツかったですね。前日の準備から始まって、当日は朝の7時から夕方5時過ぎまで、そして反省会と賞する呑み会が20時頃まで。そして次の日は片づけと、3日間ツブされました。

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囃子保存会の子どもたちと指導者
 
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お神輿も出番待ち

 でも、こういう子どもたちの笑顔を見ていると、やって良かったと思います。この地域の春祭りは、以前は2年に一度でした。3〜4年前から毎年やるようになりました。そしてみんなで「大変だ、大変だ」と言っています。しかし誰もやめようとか、以前のように2年に一度にしようとか言い出す人がいません。祭りの運営は大変だけど、子どもたちの喜ぶ姿に励まされるんでしょうね。


沼津の文化を語る会会報『沼声』238号
syosei 238
2000.4.1 静岡県沼津市 望月良夫氏発行 1年分5000円(送料共)

 名古屋市立大学医学部助教授である宮治眞さんという方が「鑑別診断」というエッセイをお書きになっています。一部を引用します。

 「ところが、症状も検査所見も極めて類似しているにもかかわらず、違う病気がある。似て非なるものだ。この区別を鑑別診断という。多くの鑑別診断をあげうる医師はそれだけ優秀といえる。(中略)
 へそまがりの私は、これら四疾患の共通所見を記せ、と試験に出す。できない学生が多い。似て非なるこれらの共通所見は教科書にも記載が少なく、一つの落とし穴。だが鑑別診断は共通性の強調のうえで、異なる点が明確にされなければならない。共通点が曖昧にされ、相違点のみが一覧表であっては、病気の本質の理解を困難にする。」

 これは、なるほどと思いました。確かに違いを見つけ出すのは容易いが、共通点を見出すというのは難しいことです。問題の本質を探るには両方必要というわけですね。これは教えられました。自分の仕事をふり返ってみても、違いを見つけることが主になっています。それで行き詰まることも多々ありました。今後は共通点を見つけることも視野に入れてみましょう。
 宮治さんは最後を次のように締めています。

 「鑑別診断の本質が似て非なるもののなかに潜む共通性を見極めることだとするなら、人間もまたしかりである。私と彼とは別個の人間ではあるが、人間としては同じである。」

 これも含蓄のある言葉です。医師の心構えとしても重要でしょうが、私のように工場の技術屋としても心しなければならないことだと思います。勉強させていただきました。


滋賀銀行PR誌『湖』133号
mizuumi 133
2000.4 滋賀県大津市
滋賀銀行営業統轄部発行 非売品

 『山脈』同人の西本梛枝さんが「近江の文学風景」と「街物語」という連載を書いています。そのうち、「近江の文学風景」では水上勉の『櫻守』をとりあげていました。私はまだ原作を読んでいないのですが、興味深い部分が紹介されていましたので転載します。

 「この作品は笹部新太郎という実在の人物がモデルであるが、小説では笹部氏には竹部庸太郎という名前を与え、その弟子に北弥吉を設定。弥吉を通して桜を語る。小説『櫻守』の中で、竹部は染井吉野を≪日本の桜でも、いちばん堕落した品種≫だといい、≪全国の九割を占めるあの染井をみて、これが日本の桜やと思われるとわたしは心外ですねや≫と言い切る。ちなみに、染井吉野は明治の初め、東京染井村(現豊島区駒込)の植木商によってつくられた種類であるという。」

 確かに箱根の山中に自生する山桜は染井吉野に比べると、ある意味では見劣りがします。しかしそれが日本古来の種だとすると、慈しみさえ感じますね。染井吉野については本来の種ではないと聞いた憶えもあり、この下りで納得しました。「堕落した品種」というのはちょっと抵抗がありますが、『櫻守』を読んでみればどう感じるか、興味のあるところです。
 西本さんはこの冒頭で西行法師と桜が似合わないと書いています。楚々とした西行の歌に桜が出てくるが、なぜあんなに華やかな桜を歌うのかと疑問に思っていたそうです。それが明治の初めにつくられた染井吉野を念頭においたせいだと気づいたのです。西行の桜は染井吉野ではなく、山桜だったと納得したそうです。
 わずか100年ほどで日本の桜は染井吉野が代表になってしまいました。その歴史的な背景を知ることができて、私も考えを改めています。知らず知らずのうちに自分の認識が、実は作られたものを認識していただけだった、という驚きがあります。もう少しいろいろなことを疑ってかかる必要もあるなと感じた次第です。とりあえず『櫻守』を読んでみましょう。


詩誌『コウホネ』7号
kouhone 7
2000.3.28 栃木県宇都宮市
高田太郎氏発行 500円

 初めていただいた詩誌です。力のある詩人が揃っているなと思いました。その中で紹介したいのは次の作品です。

 公園/北見幸雄

公園でブランコがゆれている。

おとうさんと、おかあさんが並んでいるように、
ゆれている。

 「短詩四題」と題する4つの作品のうちの一篇です。思わず○印を付けてしまいました。「おとうさんと、おかあさん」という言葉がこんなに生かされている作品は少ないですね。しかもたった3行で言い切ってしまうなんて、見事なものです。ほほえましいような、でも良く考えてみるとゆれているのはブランコだけで、そこには「おとうさん」も「おかあさん」も存在しない。単なる比喩だけではなく、存在しないという怖さもその奥にはあるようで、読者のイメージが広がります。ちょっと深読みし過ぎかもしれませんがね。



 
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