ょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.4.6(木)

 職場の花見がありました。まだ八部咲きで、もう2日ほど遅ければちょうどいいんでしょうが、いろいろ予定もありますので今日になったようです。いつもは桜の名所での花見ですが、今回は会社の近くの公民館を借りました。雨だったら中に入って呑もうという寸法です。

 これぞ由緒正しき日本人の花見、というところでしょうか(^^;; 烏龍茶のペットボトルでなくて、一升瓶が写っていればよかったんですけど…。そもそも一升瓶なんか無かった! 日本酒は四合瓶が4本あるだけ。しかも呑んだらマズイ。幹事を連れて近くの酒屋まで行きましたよ。私の好きな酒を買ってもらおうという魂胆です。残念ながら地酒の「酒田錦」は無くて、同じ地酒の「丹沢山」になってしまいましたが、まあ、それ以上のわがままはさすがの私も言えない(^^;;
 でも、買ってもらった四合瓶を抱えて、ほとんど一人で呑んじゃいましたから、まあ、いいか。桜は写真の1本の他に3〜4本しかありませんでしたが、それもまた良し。酒さえあればいいんです。心地良い酔いでした。


詩誌『しけんきゅう』130号
shikenkyu 130
1998.4.1 香川県高松市
しけんきゅう社発行 1000円

 このHPの掲示板で、さやまりほさんという方から予告のあった『しけんきゅう』をいただきました。4冊まとめていただきましたので、こちらも続けて紹介します。
 130号はじっこくおさむさんの追悼号になっています。十国修さんの『詩研究』と記憶していましたが、正しかったようです。
 本号は「じっこくおさむ追悼特集」として1997年4月26日に82歳で亡くなったじっこくさんを悼んでいます。47名に及ぶ人たちの追悼で、まずその量に圧倒されました。140頁近くの追悼集で、お会いしたことはありませんが、その人柄が判ろうというものです。その中で有馬敲氏が詩誌『ゲリラ』に発表されたじっこくさんの全作品を紹介しているのは、大きな価値があると思います。

 おとなしい ニッポンじん

ブタ が
ブタ を くいはじめたら
ほかの ブタ は どう するだろう

やっぱり ぼくら の ように
しらぬ ふり して
えさ を たべて いる か しら
だまって かお を ふせて

 『ゲリラ』最終号に載せられた作品です。じっこくさんは平仮名・横書きを実践したきた方と判りました。ですから上述の表記はそのままです。太字は私がこのHPの統一性のためにしました。原本では通常の明朝のようです。また、平仮名・横書きについては、本格的に拝見したのは初めてですので、批評するまでに私が到っておりません。これから勉強します。
 それはそれとして、この作品はいかがでしょう。私は好きですね。ちょっと直接すぎる気もしますが、このくらい書かないとダメなのかもしれません。それは感じます。書かれたのは1970年のようですが、今も何も変っていない現状に、改めて驚かされます。私は70年安保の世代ですから、その当時「おとなしい ニッポンじん」と同じ思いをしていました。それから30年、やはり「だまって かお を ふせて」いるだけの「ぼくら」をいつも見ています。
 また、じっこくさんの講演原稿「ビルマ戦争と日本語など」も付録として付いていて、これも大変参考になります。1997年3月2日高松市民会館にて、とありますから亡くなるわずか一カ月ばかり前のものですね。亡くなるその日まで精力的に活動なさっていたと思われ、じっこくさんに改めて敬服します。
 この中では、なぜ平仮名・横書きなのかの理由も説明されていて、納得できるものがあります。ビルマ人の人間観、死生観にも共鳴します。なにより戦争についての考え方が私と同じで、共感しました。「金が欲しいから戦争する」というのはまったくその通りです。宗教戦争もそこに帰結するのではないかと私は思っています。つくづく、じっこくさんとは生前にお会いしたかったと思いました。


詩誌『しけんきゅう』131号
shikenkyu 131
1998.11 香川県高松市
しけんきゅう社発行 350円

 果物屋の裏の胎児/笹本正樹

ずっと伊豆半島を南下していくと
小さな港町が古びて眠っている
芸者の横になったような寝姿山がある
この町で私の母はみごもっていた

その頃、貧しい踊子が天城山を越える
伊豆の大島に帰っていくためだ
そのあとを一高の帽子をかぶった青年が
ストーカーのように追っていた

古い港町で踊子の泊った宿は甲州屋----
宿屋の前は果物屋、そこで青年は林檎を買った
果物屋の裏の借家で、母は私をみごもっていた
胎児の私は九ケ月、母の臍から時々外をのぞいていた

あかぬけしない少女に、うす汚い青年が林檎を渡すのを見たと
母は言う、川端さんを見たという、泣いた踊子も見たという
だからだろうか、私もたしかに見たような気がするのだ

果物屋の裏の借家に住んでいた母、その胎児だった私は
まだ、九ケ月であったが、恋の別れと哀しみを
すでにわかってしまっていたのだ
母が感じていたと、全く同じような気持ちで……

甲州屋の窓にランプが淡くついていて
少女はいつまでも、青年の去っていった
裏町の路地を、明け方までみつめていた
そのことを、胎児であった私は知っている

 胎児が見た川端康成、というおもしろい設定になっていて、楽しみました。それも「あかぬけしない少女に、うす汚い青年が」という見方で、私が持っている常識を見事に覆してくれます。事実はそうだったんだろうなと変な納得のし方をしてしまいました。
 この作品の「踊子」と「母」の二重構造もおもしろいと思いました。むしろ「母」の方に重点が置かれているのですが、読者としては有名な『伊豆の踊子』が念頭にあって、それとの対比で見ますから、重点は五分五分になります。それに胎児の「私」が神のように彼らを見ていて、三重構造とも受け取れます。そのバランスがうまくいっている作品だと思いました。ここに「母」と「私」が出てきますが、父は出てこない。それも作品として成功させているポイントだと思います。


詩誌『しけんきゅう』132号
shikenkyu 132
1999.5 香川県高松市
しけんきゅう社発行 350円

 干し物/倉持三郎

うらめしそうな顔をして
つながれていた犬が
いつのまにかいなくなり
キャベツ畑では
怒りを吐き出すように
槌の音がひびき
「エンゼルタウン高級住宅好評分譲中」
と赤地に白く染め抜いたのぼりが立ち
道路に
パンフレットとペットボトルがのったテーブルがおかれ
短いスカートの脚をきちんとそろえて若い女性が座って
通行人の方に目を向ける
絵葉書で見たヴェニスの家のような弧状のポーチがあり
道路から
二人連れが壁を指でおしている

胸を張り出すように突き出たベランダには
一面に干し物がつらなり
黄色と青い縞のシャツがさかさに下がり
茶色の耳の犬の模様のタオルケットや
ウサギの模様の掛け布団のわきには
子供のパンツが
勝利の旗のように
誇らしげに
春風にひるがえっている

 終連には笑ってしまいました。おそらく、もうすでに「エンゼルタウン高級住宅」に住んでいる家族の風景だと思いますが、「高級住宅」にも生活はあるということですね。ホッとします。「高級」という安っぽさを告発した作品で、胸がスーッとする思いです。「勝利の旗のように/誇らしげに」というフレーズが笑いを誘います。


詩誌『しけんきゅう』133号
shikenkyu 133
1999.12.1 香川県高松市
しけんきゅう社発行 350円

 葉〔Yosin〕/かわむら みどり

このよは あなたのてのひらで うまれた
キリストもブッダも あなたにつつまれ
こきゅうしていた

(光合成という 見えない力)

あなたが いなければ
わたしは いない
あなたが めざめなければ
うちゅうは へいぼんな くらやみ
だいちは ささやき
すみきった かぜがいう
みらいを さだめるのは
じんるいでは ないのだと

けさ ようみゃくのみえる ちいさなてを
ぱっと のばした あなたが
じかんの りゅうしを つむぎだすとき

 「Yosin」のo≠フ上にはヤマガタが付きます。現在の一般的なパソコンでは表現できません。残念なことです。
 それはそれとして、この作品には驚かされました。確かに「葉」の「(光合成という 見えない力)」が無ければ、「キリストもブッダも」も存在しませんでしたね。私は樹木が大好きで、時々なぜ好きなのか考えますが、結論に到りませんでした。それがこの作品でスッキリした思いを得ることができました。うれしいです。そうなんですね、樹木が無ければ「キリストもブッダも」存在しなかったんです。目から鱗を落とされるような作品でした。



 
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