ょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.4.8(土)

 日本詩人クラブ賞、新人賞の贈呈式がありました。夕方から自治会役員会があったので、贈呈式には出席できないなと思っていたところ、理事は全員役割を与えるという理事長の指示で、私は新人賞受賞の女性に花束を渡す役になってしまいました。これはトンボ帰りでも行かなければならんな、ということになり、贈呈式だけに出席しました。ほんとうは式よりも懇親会の方がいいんですけど、それは残念ながら見送り。式も予定より延びてしまい、あわてて帰りましたよ。ご挨拶しなければいけない人たちもたくさんいらっしゃったのですが、全部割愛。失礼しました。

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前列左から日本詩人クラブ賞受賞の田口義弘氏、日本詩人クラブ新人賞受賞の白井知子氏

 今年はこんなことが続くんだろうなと思っています。詩人クラブ、ペンクラブ、自治会、PTAと四つ巴の日程が組まれていきそうです。もちろん会社の仕事もこなさなければなりません。モノ書いてる人間としてはそちらもおろそかにできません。そういう年まわりとは言え、うまくこなしていくことを考えなければなりませんね。いただいた詩集や詩誌へのお礼も遅くなりがちです。遅くなっても返信は書きますので、どうぞご了承を。


季刊・詩と童謡誌『ぎんなん』32号
ginnan 32
2000.4.1 大阪府豊中市 島田陽子氏発行 400円

 こころがわり/すぎもとれいこ

おとうさんはおかあさんが大好きで
おかあさんもおとうさんが大好きで
どうしてもいっしょにいたいから
結婚したって……
おばあちゃんがいってた
でも……
おとうさんとおかあさん
けんかばっかりしている

こころがわりってやつかな

 これは参った、参りました。そうなんだよね、最初はお互いに「大好き」だったはずなんだけど、いつの間にか「けんかばっかりしている」ようになっちゃうんだよね。どうしてだろう。「こころがわり」と言えばそれまでなんだけど、なんで「こころがわり」するのか、オヂさんも知りたいよ。
 と、すぎもとれいこさんに応えたものの、ほんとうになぜ心変わりをするんでしょうね。それは成長したからなのか退廃したからなのか、それぞれの夫婦で違うでしょうが、初心を忘れていることだけは確かです。初心の中では喧嘩なんか考えてもいなかったんですから…。初心は理想状態で物事を考える癖がありますが、あながちそれが間違いだとは思いません。理想状態と現実のギャップで喧嘩は起きるものですが、理想を追い求めているかと言うと、そうとも言えず、子供の詩から反省させられることしきりです。


隔月刊詩誌『叢生』107号
gyousei 107
2000.4.1 大阪府豊中市 島田陽子氏発行 400円

 光と海と黒い馬/藤谷恵一郎
*
光----
粒子であり 波である私

太古から海を駆ける黒い馬
幾億の連鎖の暗い森

私はその森に囚われ
朝解き放たれる

耐えなければならない
暗い森の解読できぬ信号に

潤わねばならぬ
暗い森の恩寵に

私はあまりにも個でありすぎた
私もまた打ち寄せては返す命の波----

 
*現代物理学で、光は波であるとともに粒子でもあるとされている

 「私はあまりにも個でありすぎた」というフレーズに惹かれました。現代を考える上で「個」はキーポイントだと思っています。西洋の「個」の考え方から現代は始まりましたが、それで良かったんだろうかという思いがあります。個の確立、個の充実をめざして現代は進んできましたが、その結果としての環境汚染を考えると、経済問題はちょっと置いておくとして、「個」の原因はないのだろうかと…。
 視点を変えて「光」についても同じことが言えるように思います。確かに「
現代物理学で、光は波であるとともに粒子でもあるとされている」の事実です。しかし見方によっては、粒子説・波動説の組み合わせでしかないと私は考えています。今ある理論を組み合わせたら説明できるから、そのようにしたのではないでしょうか。第三の理論、我々の考えつかない本当の姿が光にはあるのではなかろうかと。
 ちょうど「個の確立」が叫ばれた時期に、それが最良の思考と考えたことが現在の悪しき面を作ったと言えないこともない。現在の立場で過去の理論を評価するのは卑怯なことですが、それでも過去にもっと柔軟な思考があったら、と思わざるをえないのです。西洋の思考、西洋文明にしか頭がいかなかったことを問いたいのです。化学工学の徒としてメシを食っている身には、なんともやるせない発想ですが、そんなことを考えさせられました。


詩誌『黒豹』93号
kurohyo 93
2000.4.5 千葉県館山市
諌川正臣氏発行 非売品

 こんな夜/前原 武

ポツポツポツと雨が来た
ストーブのやかんは小さく鳴り出した
机にビール一本とコップ
こんな夜は 都会を思う

ふっとうする昼の世界のまっただ中
若い肉体と精神が苦闘する
むかしのふとっちょ坊主よ
負けるな

途方もない時の彼方から
無辺のひろがりの向こうまで
たった一度のもらったいのち
燃やさないではおくものか

それにしては こちら下火
ポツポツポツとしめってきた
やかんはしだいに上り坂
こんな夜は 熱いやかんにじっと聴き入る

 ほんとうに「こんな夜」という雰囲気が出ている作品ですね。起承転結もはっきりしていて、読んでいて安心感があります。特に終連の「こんな夜は 熱いやかんにじっと聴き入る」というフレーズは、淋しい感じがするものの、どこかほんのりとしたものを感じさせて惹かれます。
 よく判らないのが「むかしのふとっちょ坊主よ」というフレーズです。前後の関係から私は作者ご自身ととらえましたが、間違っているかもしれません。たぶん合っていると思います。


詩誌『火皿』94号
hizara 94
2000.3.31 広島市安佐南区
福谷昭二氏発行 500円

 夕日は沈んだ −亡き辻征夫さんを悼み−/荒木忠男

寒いしらせが
風花の吹きこむようにとどいた
まさか
六十一歳の彼が亡くなるとは

夕日沈みそうね ※
あの夕日の沈むあたりは…
どんな街だったのだろう
見えない遠い街のあたり
あるいは いまごろ
そんな街を歩いておられるかもしれない
ひょうひょうとした面顔をして

あれは五年前のこと
原爆被害者の無縁墓のある
三滝観音の参道口
長津功三良の一人暮しのアパートで
あなたと一緒に夜更けまで飲んで語った
お観音さんのような
細い目をしばたたいて
眼鏡の底で微笑っておられた

辻さんの顔に口髭と顎鬚を
つけたら乃木将軍だね
酒のはずみで酔いまぎれに云うと
ふふふふと口をゆるめて
すっと言の葉をへの字に曲げ
詩の筋をすっくと立ち上げてみせた
いちどだけの出会いだったが
いつのころからか
かれの詩集はぼくの愛読書になっていた

「萌えいづる若葉に対峙する」ころには ※
まだ三ヶ月も先だけど
その季節になると
あなたの遠い街の若葉の色を
ふふふふと そよがして
萌えいずるものを
こちらはまだ風も冷たい節分です
では

 
※詩集「落日」から
 
※詩集「萌えいずる若葉に対峙して」

 辻さんを生前一度だけ見たことがあります。横浜詩人会での講演で、八木幹夫さんと対談しているのを見たのが最初で最後でした。もちろんお話をするなどという立場ではありませんから、遠くから拝見しただけです。話し方も内容も、おもしろい男だと思いました。『俳諧・辻詩集』を主とした対談でしたので、特にそう思ったのかもしれません。当時、57〜8歳くらいだったでしょうか、ずいぶん若い人だと思ったものです。
 荒木さんは一度だけとは言え、辻さんと呑んだとはうらやましい。いかにも楽しかった様子が作品から伝わってきます。その上、辻さんの詩句の使い方が効果的で、死者を悼むお気持ちもよく判ります。辻さんのご冥福を改めて祈ります。



 
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