ょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.4.19(水)

 ようやく実際の日付に追いついてきました。この半月ほどは3〜7日遅れで書いていましたから、思い出すのが大変でした。でも、きょう書いてもアップするのは1、2日後になるかもしれませんね。これから詩集3冊、詩誌1冊を読みます。贈呈本の礼状にここのところは「お礼が遅くなって申し訳ありませんでした」とばかり書いていましたが、ようやくそれも終わりになりそうです。


日本現代詩文庫105『津坂治男詩集』
tusaka haruo shisyu
2000.4.25 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 1400円+税

 君の未来は

君の未来は?
きびしい問いに
野球の選手です
にんまり、車椅子の中で答え手
----学級紹介のテープ録り

10分に一度は尻を上げなおさねば、
姿勢保つ抑制帯が痛いと
胸にタオルをはさんだりする、
陽が傾くように衰えつつある十四歳
行きたい所、オキナワ。

君の未来は?
タクシーの運転手になりたいです。
君の未来は?
ありません(爆笑)。
コンクリートの屋根突き破り伸びる
足萎えたしかし直立の
願いの林にとまどうぼくに
誰か問うたか、君の未来は?

 10冊ほどの詩集から抜粋した現代詩文庫です。この作品は『噴く』という詩集の中に収められているようです。『噴く』は1979年刊行とありますから、年譜によると養護学校の教師をおやりになっていた時の作品でしょう。障害を持っても未来をきちんと考えている中学生の姿に感動します。「君の未来は?/ありません(爆笑)。」と答える精神を持つ生徒にも教えられます。
 それをやさしく見る著者の眼、「誰か問うたか」とご自分を見つめる姿勢に共感します。もう、著者は定年になっていますが、いい先生だったんだろうなと想像します。立場は違いますが、私は今年PTAの役員として中学生に接する機会が多くなります。養護学校の生徒たち、津坂先生を思い描きながら接していこうと思います。


詩誌『獣』52号
kemino 52
2000.4 横浜市南区
本野多喜男氏発行 300円

 停年の風/新井知次

ある日大風が吹いて
ぼくの部屋の屋根を吹き飛ばしていった

夜になって
ほかに行くところもないので
寒さしのぎに布団の中へ入ると
星が輝いて
夜がこんなにも明るかったのかと
初めて気がつく

ならば
もう屋根はいらない
天井板の染みはいつも
ぼくの給料を査定した男の眼に似ていたし
寝汗をかかせた夜ごとの夢は
きっとその眼のせいだったに違いない

雨が降ったらどうする
傘をさせばいい
あるいは懐が痛むが
移動式の屋根をつくってもいい
もう誰の命令もいらない
ぼく自身がぼくのためにのみ
決めればいいのだ

部屋にいながらあつめた星で
五七五に並べるのも楽しい
こんな明るい夜空に蓋をすることはない

 タイトルが素晴らしいですね。本文には停年なんて言葉はひとつも無くて、でも停年をきちんと表現していて、読んでいて気持ちよくなりました。停年という言葉もこの場合は最高ですね。単に定められた定年ではなく、自分で停めてしまうという気持ちが読み取れる停年。間違えて定年なんて書いたら、この作品のおもしろ味は無くなってしまうでしょう。
 私事で恐縮ですが、私も定年まで10年を切りました。会社生活40年のうち、すでに30年が過ぎ、あと四分の一になったと気づいた時、うれしくなってしまいました。あと四分の一ぐらい我慢できる。四分の三を過ごすことができたんだから、四分の一ぐらいどうってことない、と思いましたよ。ですから、この作品が自分のことのように判るんです。
 でも、私たちの頃には定年が62歳か65歳になるようです。冗談じゃない、と思いますがどうなんでしょうか。もしそうなったら「停年の風」を上回る作品を書かねばなりませんね。



 
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