ょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.4.20(木)

 中学校PTAの総会でした。とうとう副会長になってしまいました。まぁ、会長ではないから気楽ですけど…。で、最初の仕事は、総会の後の歓送迎会の司会です。転出入した先生方、新旧PTA役員の歓送迎会です。一次会の司会と二次会のセッティング。まあ、得意分野ではあります(^^;;
 呑んでる席で先生に日の丸・君が代について聞いてみました。一応、掲げたり歌ったりはしているようです。混乱などの問題は起きていないとのこと。小規模校ですから、意志の疎通がスムーズなんでしょうね。さて、私はどうしたものだろう。日本ペンクラブははっきりと反対を表明しているし、私もあんな法律なんかバカタレだと思っています。日の丸は無視すればいいけど、問題は君が代だなあ。起立して歌わないという手もあるけど、卑怯な気がします。歌いたくなければ起立しないことです。でも、それを実行すると一波瀾ありそうです。せっかく静かな集落なのに、変な騒ぎも起こしたくありません。まあ、その時期が来たら先生方と相談してみましょう。


詩歌文芸誌GANYMEDE18号
ganymede 18
2000.4.1 東京都練馬区 銅林社・武田肇氏発行 2100円

 永遠の衣裳/宗 美津子

  こんじょう
  紺青の綸子の着物に
  こういろ
  香色地の錦帯
  
ひわ
  鶸色の帯揚げとセレステブルーの帯〆と
  真白い縮緬に白い小花の刺繍の半襟と
大好きだった衣裳に身を包みねむる姿
正装が母を際立たせる

笑うことが多かったはずもないのに
何事をも許すかのような
微笑を湛えて
旅立ちの日

かたちあるものすべて消えても
私の脳裏に印画する青の印象
シャキッと胸張って足速やに歩いた母
帰るときまでそのような

 <襤褸は着てても心は錦>
 <人の振り見て我が振り直せ>
口癖だった言葉を残して

遠ざかってゆく足の裏から
思想の卵のようなものが光ってつぶつぶと
あたたかくあたたかく舞い立ってゆくよ
美しい永遠が青の袖のひらひらと
光のつぶと繋って
見あげれば空は広く

私は上を向いて歩いてゆこう

 亡くなった母上に対する思いが、激することなく静かに語られている好作品だと思います。特に「シャキッと胸張って足速やに歩いた母/帰るときまでそのような」というフレーズに惹かれました。天に帰るときまで足早に行くとは、子としては辛いものがあるでしょうが、私にはある種の潔さとして映りました。最期はこうありたいものです。生と死を同質と考えれば納得できます。
 「口癖」は、俗と言えば俗なんですが、そんなものだろうと断言できます。何も高尚な言葉が自分の生き方を決めているわけではありません。私自身「人の振り見て我が振り直せ」は常に思っていることです。娘にもそう話しています。
 順番とはいえ、やはり親の死は悲しいものです。いつまでも生きることはあり得ないことですが、ひょっとして、という思いがあります。しかし現実にはそんなことはありえません。親の死に直面してどう表現するか、詩人なら特に問われることでしょう。宗さんの、落ち着いた静かな表現に、逆に深い悲しみを感じました。


季刊詩誌『地球』125号
chikyu 125
1999.12.20 埼玉県浦和市
秋谷豊氏発行 1500円

 『地球』という詩誌はもちろん知っています。10年も20年も前に「地球の詩祭」に行った覚えもあります。しかし実際に『地球』誌を拝見する機会は少なく、誰かから回してもらって2、3度読んだ程度です。今回は主宰の秋谷豊さんから直接送っていただきました。大きな肉筆で宛名書きされた冊子小包を手にしたときは、感動すら覚えました。ありがたいことです。今秋に開催される「地球の詩祭」の挨拶状も入っていましたので、さっそく予定に入れさせてもらいました。

 時刻表/尾崎幹夫

ぼくの枕元に
おととし死んだ父が古い書き物をもってくる
うちのだという
時刻表とある
開くと
先祖たちの知らないたくさんの名前の中に
祖父 市蔵 1963年4月亀尻とあり日時ははっきりしない
祖母 マサ 1966年4月1日亀尻とあり時間がぼやけている
父 馨 1997年7月6日19時24分浜村 動脈瘤
そして
幹夫 1999年1月1日午前2時15分 鳥取 脳梗塞
母も
妻も
娘もあるが、見えていながら読むことができない

父はにっとわらい
観念したか という

父が消えると
ぼくは自分がもう死んでいたことを
なっとくする

死んでいたものはしかたがない
生きているふりをするのが
つらいきぶんになる

妻がかえってきて
電車の時間があしたから変更になる
ひどいという
ぼくはそれらのすべてを
もう知っていたのだという気になる

 タイトルの付け方がうまいですね。確かに死んでいく順番があって、電車の時刻表のように正確に判るのかもしれません。時刻表に家族の名前が載っていて、しかも読むことができない人もいる、というのは納得させられます。また、実際の電車の時刻表が変更になったという展開も、作品をおもしろくする上で有効なものだったと思います。「もう知っていたのだという気になる」というフレーズも、異界を知った人の言葉で、詩を引き締めていると思いました。
 化学工学をメシの種としている端くれとしては、異界などというものは、本来は口が腐っても言える言葉ではありません。少なくとも10年ほど前までは嫌悪感すら覚えていました。しかし科学者の相当な数の人が、晩年になると宗教を研究するという事態を見て、少し考えが変ってきています。
 科学万能などとは思ったことはありません。科学とは、知れば知るほど、知らないことが増えていくものです。だから宗教の研究、というわけではないでしょうが、観念として完結している世界を覗いて見たいという気持ちが働くのかもしれませんね。異界という言葉を想起し、そんなことを考えさせられた作品でした。



 
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