ょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.4.22(土)

 同人誌『山脈』の創立50周年記念祭を東京・市ヶ谷のアルカディア「私学会館」で行いました。シャンソン歌手・料理愛好家(ご本人は研究家ではないと明言)の平野レミさんも駆けつけてくれ、総勢100名近い盛会になりました。おいでになった皆様、ご祝儀、祝電、花束などをいただいた皆様に厚くお礼申し上げます。ありがとうございました。

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筧代表、平野レミさんの突然のトークショー

 筧さんとレミさんは昔からのつき合いです。レミさんの父上は日本詩人クラブの創設会員でもあった、故・平野威馬雄さんです。フランス文学者という固い反面、おばけの研究やUFOの研究などユニークな面を持った人だったようです。その上、戦後は混血児の支援をする「レミの会」を発足させるなど、社会的にも活躍された詩人です。
 父上が主宰なさっていた詩誌『青宋』に筧さんも加わっていました。父上の墓前祭である「青宋忌」は今でも筧さんが世話人になっています。そんな関係もあって、私もレミさん、夫君のイラストレーター・和田誠さんとは面識があります。いつ合っても楽しい人たちですよ。今回は(今回も、ですけど)そういうわけでノーギャラ。主催者として、友情出演に改めて感謝いたします。

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『山脈』同人の勢揃い

 『山脈』は小さな同人誌ながら、現在、全国に23名おります。この記念祭にはそのうち18名が集まりました。一番遠くは兵庫県西宮市から。次は岐阜県各務ヶ原市です。同人の家族も集まり、なごやかな会でした。二次会にも予定より多く、一次会の半数の方が集まっていただき、夜遅くまで交歓しました。
 50周年というのは、実は私の年齢と一緒なんです。そんなに長く続いた同人誌というのは、日本では他に2〜3誌だけです。長ければいいという訳ではないでしょうが、実際に続けることは止めるより難しいのではないかと思います。筧さんの後継者として、10年前の40周年記念祭で私が指名されました。それから10年、後継者としてふさわしい活動ができたかどうか、我ながら疑問があります。それはそれとして、私の最大の仕事は、次の後継者を育てることだと思っています。そうやって世代交替を考えなければならない年齢になってきたようです。

詩とエッセイ誌『しある』27号
sial 27
2000.3.30 長野県大町市 秋園隆氏発行 500円

 『山脈』同人の秋園さんからいただきました。今回の50周年記念祭には遠方ということもあってお出でになれませんでしたが、多額のご祝儀やら祝電やらをいただきました。そういう同人の支えがあって始めて、『山脈』は成り立っているのだと思いました。ありがとうございました。

 そこからだ/島崎雅夫

卒倒させるような現象を
またも知らされた
他紙にも目を通した
ツマミを切りかえた
もはや動かし難い事実だった

少しの時を経て
識者の方々のお説に
もっともと うなづきながらも
まだ
何かを残して日が暮れる

そこからだ
せめてはと
明るくまるい
明日からの
日の出を待つことにしたのは

 とんでもない、信じられないような事件が毎日毎日起きて、私の意識は人間に失望しながら生きているようなものです。個別の事件・事故については詩人たちが書き、私もエッセイなどで書いてきました。そうすることが現代を生きている者の努めだとも思っています。しかし個別に書いていくことに、何か面倒臭いものも感じてきたのは事実です。それは、事件・事故があまりにも多過ぎるからでしょう。
 そんな思いでいたところにこの作品と出会いました。一連、二連の表現にも感心させられましたが、むしろ私に衝撃を与えたのは三連目です。この大らかさには脱帽しました。もちろん内心では憤懣もおありでしょうが、それを抑えて「せめてはと」と表現していることに、大人の姿を見ました。現在の私にはとても辿り着けない心境ですが、あと10年、20年たったらお前もこの心境に来い、と励まされた気持ちです。


個人詩誌『等深線』5号 
toshinsen 5
2000.2.14 横浜市旭区 中島悦子氏発行 非売品

 祝い膳

縊死の結び目は固くてほどけないから
そのままになることが多い

年が新まったはずの夢にも
その結び目は
正月の重箱にたくさんつまって出てくる
無理矢理坐らされたお膳の前
みぞれに濡れて氷ったのやら
はげたペンキがこまかくついたのやら
樹の汁が激しくついたのやら

「おめでとう」と言わされた
ごちそうはこれだけ
あとは日本酒がひとりひとりに配られた
いつのまにか
顔を上げられない人がふえていた
玉杯の中にはころんと結び目があって
呑み込むといいとさしずされる

「おめでとう」と言った
いつのまにか自然と言っていた
とめようのない長い宴のために
少しは楽しくなるのかと思った
やがて結び目の中のまつげ が目にとまる
もう誰のかわからないばっちりとした
まつげ

少しは楽しくしていくのだと思った
あたたかい日本酒がしとしとと注がれる

 詩は解釈するものではなく、感じるものだという説があります。私も賛成しますが少々の解釈は必要だろうと思っています。絵や音楽と違って、意味を持っている言葉で構築された芸術だからです。怖いのは、その解釈が的外れだった時ですが(^^;;
 そんな意識でこの作品も解釈≠オてみました。「祝い膳」というタイトル、「宴」とありますから、これは結婚式でしょうか。「結び目」でそう思いました。それもこの作品中の主人公ではなく、他の人の結婚式でしょう。「「おめでとう」と言わされた」、「「おめでとう」と言った」という表現で他人に対してだと判ります。もちろん全て夢の中での話です。
 さて、そういう前提に立って見ると、「縊死の結び目」という表現が重要になります。ちなみにこの一連2行だけが夢ではありません。「縊死の結び目」が何を象徴しているかと言うと、結婚という結び目を象徴していることになります。本来ならめでたい結婚と、不吉な縊死を同列に扱いませんが、作者はあえてそれをやっているわけですね。そこにこの作品のおもしろ味があって、かつ、不満も出てきます。
 そこまで言い切るのなら、それに対抗できる作者の言葉が出てこなければバランスがとれないのですが、残念ながら私には発見できませんでした。強いて上げれば最終行の「あたたかい日本酒がしとしとと注がれる」が当てはまるのかとも考えましたけど、これは夢の中の話ですから違うと思います。夢でない第一連で「縊死の結び目」を表現しているのですから、それに対抗するものも夢でない所に置かれなければならない、と思うわけです。
 まあ、そんなことは私の思い込みですからどうでもいいんですが、それにしても「縊死の結び目」というとんでもない言葉を発見したのですから、もう少し書き込んでほしかったですね。第二連の表現も素晴らしい。「縊死の結び目」の状況が手に取るように判り、身の毛が弥立つほどです。たぶん、あと一行不足しているんだろうと思いました。
 で、解釈≠ヘ的を外していなかっただろうか?



 
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