きょうはこんな日でした【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「ムラサメモンガラ」 |
2000.4.27(木)
PTAの今年度第1回目の役員会がありました。私は副会長で、役割は会議の司会でした。今後1年間は司会を続けろ、とのこと。役員は校長、教頭などを入れても10人ほど。予め学校側が資料を作成しておいてくれるし、これはたいしたことないなと思っていたら、やっぱりたいしたことはありませんでした(^^;;
今後のこともあったので、実質の会議時間を計っておいたら39分でした。昨年までは2時間ほどかかっていたようです。教頭先生もこんなに早いのは初めてだと驚いていました。そんなもんですかね。資料は揃っているし、第1回目でたいした報告事項もないから、早いのが普通だと思うんですけど…。これからは判りませんよ。複雑な問題も出てくるでしょうから、そのとき司会者として意見をどうやって引き出すか、まとめるか、真価が問われることになるはずです。まあ、そうなったらなったで考えますけどね。とりあえず第1回目の司会としては合格点をもらえたようです。
○詩誌『潮流詩派』182号 |
2000.7.1 東京都中野区 潮流詩派の会・村田正夫氏発行 525円 |
4/22の『山脈』創立50周年記念祭で鈴木茂夫さんよりいただきました。お客さまで来ていただいた上に、わざわざご挨拶に見えられ、その上高名な詩誌をいただいて恐縮しました。
書き初め/山口浩子
下敷きの左隅で
根拠なくキラめいていた
二〇〇〇年( )歳
空白に 二九と書き込みながら
九歳のわたしがぼんやりと
思い描いた通りになった二九歳
偽善の里帰りで
年越しそばをすすりながら
ずるずると ずるずると
二〇〇〇年は幕を開けた
九歳の常識はことごとくくつがえされ
エライ人は悪い人
フツーの人が怖い人
夢 希望 正義 真実 平等 平和
お習字のお手本でしか見かけない
だからというわけでもないが
半紙の裏までしみ込むぐらいに
黒々と 力を込めて書き初めしたい
しみじみと思ったけれど
墨も硯も筆も行方知れずで
九歳の自分にあやまりながら
結局寝正月を決めこんだ
本当にとんでもない世の中になってしまったなと思います。「エライ人は悪い人/フツーの人が怖い人」というのは、大人になったらよく判るようになりましたが、9歳の頃は知りませんでした。エライ人はいい人で、フツーの人はやさしい人だとばっかり思っていましたものね。しかし今の9歳は知ってしまったのです。9歳には9歳の世界がある、というのは現在では通用しなくなりました。大人と同じニュースを見て、大人と同じ情報を得るようになってしまったのです。
「夢 希望 正義 真実 平等 平和」なんてフレーズは、絶対に成功しないフレーズなんですが、ここではこう書くしかありません。逆手にとったわけではないでしょうが、よく計算されていて、大成功です。しかし、それにしても情けない。「お習字のお手本でしか見かけない」状態になってしまったんですから…。少し前までは青臭いと言われながらも論議したものですが…。
この作品で救われるのは「九歳の自分にあやま」ったことでしょう。たとえ「結局寝正月を決めこんだ」にしても、その行為があったことに私は救われた思いがします。
いろいろ考えさせられた作品でした。
○桜井哲夫氏詩集『タイの蝶々』 |
2000.4.20 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 2000円+税 |
おじぎ草
夏風を震わせて
白樺の幹に鳴く蝉に
おじぎ草がおじぎする
包帯を巻いた指で
おじぎ草に触れると
おじぎ草がおじぎする
指を奪った「らい」に
指のない手を合わせ
おじぎ草のようにおじぎした
森田進さんの跋によると、桜井さんは「視力を奪われている上に、両手両足の指もほとんど奪われ、皮膚感覚も臍の周辺にしか残されていない。喉切りも抱えた重度障害者である」ライ患者です。その自分の身体の自由を奪ったライに、この作品では「指のない手を合わせ/おじぎ草のようにおじぎした」とあります。森田さんはそれを「天使」と呼んでいます。
桜井さんは「俺はらいになってよかった」「死について考えている暇はない。仕事がいっぱいある」と発言したと森田さんの跋には続いています。まさに「天使」と言うべきでしょう。私などには到底行きつかない、想像さえできない世界です。
今、詩を書いていて良かったと思っています。詩を書き続けていたからこそ、こうして桜井さんの詩集をいただくことができ、ライの詩人たちの作品に接することができました。おそらく詩を書いていなければ、ライ患者のことは知らずに一生を終えたろうと思います。また自分にとって知らない世界を教えていただきました。自堕落な生活を送っている身としては、もう少し真面目に生きろよと背中を押されたような衝撃を受けています。
桜井さんの年譜を見ると、すでに3冊の詩集、1冊の散文集をお出しになっています。詩作品としてもこの『タイの蝶々』は高いレベルにあると思います。詩人としてもますます良いお仕事をお続けになるよう願って止みません。
○日本現代詩文庫102『中 正敏詩集』 |
2000.4.25 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 1400円+税 |
ぼくの贈物
ぼくが妻に手渡すことができたのは
ただ 子の死でしかなかったとすれば
ぼくとは何だろう
一瞬の眼ばたきに
妻は尊い生涯を
子のように閉ざされたのだ
さげすみの眼が冷たい
唇が憎しみに慄え夫の無為をなじる
----詩って、一体何なんですか 身勝手な遊びに
すぎやしませんか
返す言葉は無い
あってもそれを返してはならない
空が氷室(ひむろ)のように凍えている
<詩というものは 無言でなければならぬ
鳥の飛翔のように> ----とは
A・マクリーシュのアルス・ポエティカ
----殺し屋に殺(や)られるかもしれぬ、と
書き送ってきた子は変な死体になったのに
未だぼくは恥の氷柱(つらら)をぶらさげ生きている
詩は死を救うことも蘇らせることもかなわず
沈黙で空を凍らせる
ぼくが手渡すことのできる贈物はぼくの死でしかない
中さんのご子息は1974年4月に、勤務先のバンコクで27歳の若さで変死しています。保険会社の裏金作りを調査中の事件です。現地の警察は自殺として事件を闇に葬っているようです。その事件の直後から何冊かの詩集を通して事件の究明を訴えています。しかし今だに解決に到っていません。
この作品は1989年刊行の『少しは人を』の中に収められています。事件から15年も経っていますが、当然、憤りは消えることはありません。事件から26年経った現在でも同じだろうと思います。金のためなら人殺しも厭わないという企業の倫理に、資本主義の本質に私も憤りを覚えています。
さらにこの作品には重要なテーマが含まれています。「----詩って、一体何なんですか 身勝手な遊びに/すぎやしませんか」という奥様の指摘です。「返す言葉は無い/あってもそれを返してはならない」というのが応えになっていますが、これを書くときの中さんの苦悩は想像して余りあります。さらに「ぼくが手渡すことのできる贈物はぼくの死でしか/ない」と書かざるをえない詩人の心境は、私にとっても深い衝撃を与えるものです。
詩も詩人も弱いものです。一部の権力を持つ者以外、人間はすべて弱いものです。だからこそ「ペンは剣より強し」を信じているのですが、娯楽小説に流れる昨今の文学界を見ていると、果してそうなのか、疑問もあります。娯楽小説作家がいざという時、きちんと反権力の立場をとってくれることを期待するのみです。
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