きょうはこんな日でした【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「ムラサメモンガラ」 |
2000.4.30(土)
同人誌『山脈』106号の編集会議を行いました。会議とは言っても実際は割り付け作業です。筧代表が下準備をしてくれていますので、10名近くの同人で作業しますと2時間もかからないうちに終わってしまいます。まあ、私なんかは筧夫人の手料理で呑む酒が楽しみで行くようなものですけど(^^;;
呑み会の写真もありますが、それは別の機会に使うとして、ここは真面目に割り付けをやっている写真を公開しましょう。
割り付け作業中の同人、高橋弘・吉村俊哉 |
今回も欠稿者は無し。23人も同人がいると、たまに一人二人欠稿するんですが、ここ数年は欠稿者無しが続いています。編集の責任者としては、それが何よりうれしいですね。誤字脱字のご指摘は甘んじて受けますが「あの人、書いてないねぇ」と言われるのが一番辛い。モノ書きは書かなかったらオシマイですからね。同人の皆さん、頼みますよ。
ちなみに発行は7月1日予定です。また皆さんの元に送りつけてしまいますが、お読みいただければ幸いと存じます。よろしくお願いいたします。
○詩誌『帆翔』20号 |
2000.4.25 東京都小平市 帆翔の会・岩井昭児氏発行 非売品 |
縄文の人に/長野
規
一ばん最初に、かなしい、と言った人間は、だれだろう。い
つだろう。
縄文か、弥生のころか。
愛しきものが死んで、土に埋め、石をのせて。枯れた穀物の
茎をつまみ、空をあおいで。山は煙りをあげ、獣は吠え。火を
かこみ、体をかさね、夜明けを見つめ。
採集と狩猟の絵を洞穴にのこした、蓬髪の半裸の人よ、はる
かな祖先よ。
一ばん最初に、悲しいと言ったのは。だれ、ですか。いつ、
ですか。
男ですか女ですか、老人ですか子どもですか。生まれたとき
ですか、死ぬときですか。
縄文人が私たちの祖先であるということは、頭の中では判っていました。しかし、実感はありませんでした。この作品を拝見して、それが実感として伝わってきたのです。「一ばん最初に、かなしい、と言った人間は、だれだろう。」と縄文人に問いかける作者は、実は現代の私たちにも問いかけているのだと思います。同じ質問を時空を超えて問いかけられた時、私には縄文と現代がつながることが理解できました。作者の手腕にまんまとはまったと言っていいでしょう。
さらに作者は、「一ばん最初に、悲しいと言った」ときは「生まれたとき/ですか、死ぬときですか。」と畳みかけてきます。この質問はキツイですね。死ぬときに悲しいと言うのは当たり前。生まれた時か、と問われて茫然としました。自分では気づきませんでしたが、おそらく大声で泣いて生まれてきたのでしょうね。あれは将来の悲しみをすでに知っていて、泣いたのかもしれません。
人間の本質を考えさせられる作品と思います。
○詩誌『掌』120号 |
2000.5.1 横浜市青葉区 掌詩人グループ・志崎純氏発行 非売品 |
温泉での記録/福原恒雄
はやりの温泉めぐりの番組に浸かっていたのに
湯けむりをはらって
戦争がおわって暈けてしまった近所の脳梗塞氏の
葬礼の報せが
とんできた
忘れよう忘れよう
もう忘れようと
真夏を煽るかぜを舌の先でとばし
疲れたひとも疲れていない老いもひき入れて
ゲートボールに躍起だった手足のひびきが
露天風呂からの青一色の野天に透ける
忘れられるものなら忘れたいと返していた呂律に
いつか見せられた
脳梗塞氏の 敵前逃亡も背の流れ弾の穴ぼこの跡も
みんな持ち去る煙になるのかと
思いだされるだけの元気で番組の湯から出る
おれの全身を囲む食膳に
思いたくない空腹につめた少年期の水のぬるい温度が
ふくらむ積乱雲を
のぼりつめ
一九九九年をめぐってきた夏
冷房器のある部屋に座りこんで
温泉に浸かった肌の撓みは
これからの夏になんの約束のひだにもならないのに
またも
暈けてはいない鳴動が
忘れよう と耳をくすぐって
葬礼の伝言を斑にしたがる
ふっと 鼻さきにお線香と虫の音のないまぜのにおい
たたかいから退いた目は眠れない道理だと克明に記録する
福原詩ワールドを堪能できたでしょうか。よく意味の掴めないところが出てきますが、それに騙されてはいけません(^^;;
第一連はいろいろ書いてありますが、要はテレビの温泉番組を見ていたら近所のおじいさんが亡くなったという報せが入った、ということを言っているだけです。
第二連はお通夜か葬式に行った場面、または隣組として葬式の打ち合わせをやっている場面と考えてよいでしょう。「おれの全身を囲む食膳に」とありますから、葬儀が終わった後の食事ととってもいいかもしれませんね。「温泉に浸かった肌の撓みは」とありますので、いずれにしろ第一連から時間の経過は少ない、と私は考えています。
そういう表面的なことを頭において、もう一度読んでみますと、別の因子を発見することができます。「忘れよう」という言葉が何度も出てくることです。何を忘れようとしているかというと、「敵前逃亡も背の流れ弾の穴ぼこの跡も」「思いたくない空腹につめた少年期の水のぬるい温度が/ふくらむ積乱雲を」とありますので、当然、太平洋戦争を忘れるということになります。しかしこれは反語で、最終行にあるように「克明に記録する」のですから、決して忘れてはいけない、ということになります。
もっといろいろなことを解説しなければならず、それだけで一冊の本ができてしまうほどですから、この辺でやめます。そんな感じで一行一行、一文字一文字を解釈してみてください。その上で二度も三度も読んでみてください。福原詩ワールドの奥深さがお判りいただけると思います。
思わず解説してしまいましたが、30年におよぶ福原恒雄さんとのつき合いが成せるものです。はっきり言いまして私は筧槇二さんと福原恒雄さんの影響の下に詩を書いています。ですから、こんなことを思わず書いてしまうんですね。解釈は間違っていないと思います、タブン(^^;;
○織田美沙子氏詩集『白い朝』 第5次ネプチューンシリーズgU |
2000.4.20 横浜市南区 横浜詩人会刊 1200円 |
茗荷色の赤
恥じらうように 花布の緋色が と書いて
虹色ではと迷う
いや 茜色 珊瑚色 朱色 牡丹色 紅梅色
色彩辞典を開くと赤色はまだまだある
古い記憶の抽出の中でも
赤い色が眠っている
川柳の仲間に
中年の刑事がいた
句会の帰りに
彼の家でうどんを御馳走になった
刑事はおもむろに
アンタの職場に
アカはいないの と聞いた
労働組合のSさんの机の抽出は
いつも鍵が掛っていた
赤い思想が入っているという噂があった
奥さん手作りのうどんには
茗荷が入っていた
淋しい表情の奥さんと茗荷がしっくりと
似合っていた
悲しい赤があるとすれば
茗荷のような赤かもしれない
驚きとともにこの作品を拝見しました。私の知人にも刑事はいるし巡査もいますが「アンタの職場に/アカはいないの」と聞かれたことは一度もありません。いつの話だぁ、と思って読み直したら「古い記憶の抽出の中でも」とありますから、ずいぶん昔のことだろうと想像してホッとしました。警察が思想調査をやっていることは周知の事実ですが、憲法違反になる発言をせいせいとやるのは、最近ではないだろうと思っていましたので、驚いた次第です。そういう憲法違反までやって情報を集めているから、神奈川県警を始めとする不祥事を起こすんですよ。警察の皆さん、日本ペンクラブを破防法適用団体と見ることもやめなさい、、、って、ここで書いてもしょうがないけど。サイバーポリスにこのHPが引っかかったら、読んでいる若い警察官のあなた、警察は誰を守るのかちょっと考えてほしい。誰から給料をもらっているのかも、ね。
ちょっと本論から外れてしまいました。この作品での「赤色」についての感覚はいいですね。「悲しい赤があるとすれば/茗荷のような赤かもしれない」というところに持っていくあたりは納得できます。色名なんか自分で決めちゃえばいいんですけど、説得力がないと意味がありません。ここでは刑事と奥さんを結ぶ赤色が無理なく説明されています。詩人の仕事としては立派なものだと思います。
他にもいい詩がたくさんありました。「星と蕎麦の物語」「雨に打たれて」「地底できしきしと」「白い朝」「過ぎたるは」「希望ケ丘を過ぎて」「トマトを齧る」「わたしの深い深い谷底で」「鳥籠」なども全編紹介したいくらいです。そうもいきませんので止めておきますが、読んでみたいという方はメールください。仲介します。
[ トップページ ] [ 4月の部屋へ戻る ]