ょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.5.5(金)

 午後3時からは横浜の外人墓地で平野威馬雄さんの墓前祭「青宋忌」がありました。毎年この日に行われています。以前は平野さんが亡くなった日にやっていたようですが、気候の関係から誕生日のこの日に変えたようです。1900年5月5日生まれですから、今年は生誕100年記念ということになります。今年は例年通り清子夫人、娘の平野レミさん、その夫の和田誠さんの他に、威馬雄さんの親戚のブイ家の人たちも集まって、華やかな雰囲気でした。
 墓前祭の後はパーティーになるんですが、私はそちらは欠席して「神楽坂エミール」に向かいました。
 午後6時からは日本詩人クラブの理事会。今回のメインは5/13に行われる総会の準備です。新会長に鈴木敏幸・現理事長、新理事長に中村不二夫理事を提案しようということになりました。詩に関する評論集や訳詩集を顕彰する「詩界賞」の提案もすることになりました。詩賞、詩集賞というのは多いのですが、評論に対する評価が低いのではないか、ということになり新しく賞を設けようという趣旨です。これが総会を通れば、おそらくこういう団体のものとしては日本初の画期的な賞になると思います。


前田孝一氏詩集『人よ』
hito yo
2000.4.19 東京都文京区
近代文芸社刊 1300円+税

 けやき葉の降る夜

あたりが暗くなってくると
大きな体をゆさぶって
たくさんの手を指しのべて
空を掃く………
昼のざわめきをぬぐっているのだ
見えない風の線が通ると葉は落ちていく
はらはらとではない
あたりまえのように月の光に映えて
真っすぐに地面に降りるのだ
さりげなく跳び交うけやき葉≠フ舞踏
見上げると
大地から伸びた太太しい腕が
大空を支えている
闇の暗さに浮かび出たけやき≠ヘ
月の光にぬれて豊かに麗しく
こはく織り≠フ法衣の仏像となる
やがて
舗道も人も風景も薄らいでくると
郷愁の道が長く浮かび上がってくる

 前田さんは10年ほど前に千葉県内の中学校の校長を定年退職なさった方です。そのせいか、他人に対する思いやりが強い方のようです。あとがきにあたる「作品を読んで下さる方へ」というコーナーでは、誰でも読めるように常用漢字を使ったとか、読者の便を考えてひもしおりを二本入れたとかの言葉があります。また「詩なんか教科書以外読んだことのないという人にも読んでもらえれば幸せ」とも書かれています。この作品からもそうした作者のやさしさが伝わってきますね。
 けやきが「空を掃く」「大空を支えている」という表現にも斬新さを感じます。「真っすぐに地面に降りる」という落葉の様子も映像的で、作品をきりりと引き締めていると思いました。そして、けやきが「こはく織り≠フ法衣の仏像となる」というフレーズでは作者の思想を見る思いで、作品の質を高める上でも効果的だと思います。
 その他、「人よ」という詩集名からも判るように、人を大事にした作品が多く、いい校長先生だったんだろうな、と想像しました。


児童文芸誌『こだま』16号
kodama 16
2000.3.30 千葉県流山市 年間購読料1000円
東葛文化社/松尾直美氏・保坂登志子氏発行

 世界中の子どもたちの作品を収録した文芸誌です。日本、台湾、アルメニア、オーストリア、タイ、韓国、ギリシャ、フランス、ドイツの作品で、しかも原文も付いていますから、資料としての価値も高いものです。そんな中から台湾の次の作品を紹介しましょう。

 大と小/呉艾玲 保坂登志子訳

なにが大きいの?なにが小さいの?
もしくらべなかったら
どうやって大小を分けるの?
わたしの家ではだれが一番大きいか--
おじいちゃんの歳
(とし)
お父さんのお腹
(なか)
お母さんのお尻
(しり)が一番大きい
私の家ではだれが一番小さいか--
上の姉さんの眼
二番目の姉さんの口
兄さんの度胸
(どきょう)が一番小さい
ほかに何が大きくて 何が小さいかしら
おばあちゃんは言うの
アイリンはまったくのおしゃまさんだねえって

 作者の呉艾玲は「高年級 忠孝國小」とありますから、日本で言えば小学校高学年ということでしょうか。大小について、実にいい所を突いていると思いますね。原文もありますから、それと比べながら翻訳を見ていくと、原文の良さも理解できます。例えば「わたしの家ではだれが一番大きいか--」ではおじいさん、お父さん、お母さんのフレーズの最後は「大」の文字で終わっていて、韻を踏んでいるのが理解できます。また、最終行の「まったくのおしゃまさん」に相当する原文は「没大又没小」だろうと想像され、最終行で大小をうまくまとめているんだなと感心させられます。
 本当に小学校高学年の作品だとしたら、おそろしいくらい格調の高い作品ですね。原文を見ると本当にそう思います。今のパソコンで原文をどこまで表現できるか判りませんが、パソコンの実力を調べる意味もあって、挑戦してみます。

 大和小/高年級 忠孝國小 呉艾玲

什麼叫做大?什麼叫做小?
如果不比較,怎能分大小?
我家誰最大--
爺爺年紀大,
肝子大,
媽媽屁股大。
我家誰最小--
大姉眼晴小,
二姉嘴巴小,
哥哥的膽子最小。
還有什麼大,還有什麼小,
説・・
艾玲真是没大又没小。

 残念ながら二文字ほど「文字鏡」のお世話になってBMTで貼りつけましたが、まあまあなんとかなりますね。厳密には草冠は旧字だったり「叫」の横棒は抜けなかったりしますが…。この原文を作るのに要した時間は30分、これもまあまあ、です。それにしても「お尻」が「屁股」とは! 言い得て妙ですね。


大林しげる氏詩集『告発2』
kokuhatu2
2000.5.3 仙台市宮城野区
文芸東北新社刊 2000円

 オオカミ

敵対する劣等民族は滅ぼしていい----兵にとっての至上命令だった

国家神道の軍閥権力は
神かがりの神兵に化身した
無知な群集を上海から南京攻略へと向かわせた

神兵は救国決起の中国民衆を 殺し 滅ぼさねばならぬ虫ケラとみた

  ナチズムがユダヤ民族を大量殺戮したように
  スターリニズムが政敵を人民の敵として殺戮したように 他にもある
  ……だが、世界のどこにでもあることだ ではすまない

糧秣を徴発したあと
人間が人間を強姦し 刺殺し 斬り 焼き払った
目の前で 親が 子が 妻が 夫が 辱しめられ 殺されるのを
中国の民衆
(ともたち)はどんな気持ちで見たであろうか
日本人のきみに分かるか!

興亜の盟主の神兵だから 平気で殺人 掠奪ができただろうか

殺人者と化した日本兵に発狂者は出なかったのだろうか----神兵≠セから----

殺される民衆
(にんげん)は己れが殺されるまで
どんないのちで待ったのだろうか 君に分かるか?

文化の大恩人の国とその子孫に与えた恥ずべき行為に
私は怖ろしくて 怖ろしくて 慄え止まぬ

だからわたしは己れの内部を見詰める!
お互いに人間であることを忘れぬことを! 訴え そして誓いやまない

 他の作品の註に「九一年五月、私は南京へ飛んで中国の「南京大屠殺博物館」を見学するなどこの問題について徹底取材した」とあります。南京大虐殺を告発する詩集と言ってもよいでしょう。その中の一篇ですが、半世紀を過ぎた今でも事件を告発する作者の姿勢に敬服します。作者は南京大虐殺時は14歳ぐらいだったようですが、その後ビルマ戦線で戦ったようで、そこでの兵士としての思いもこの詩集を作った動機と考えてよいでしょう。
 作品としては「文化の大恩人の国とその子孫に与えた恥ずべき行為」というフレーズに魅力を感じますが、それより全体を通しての告発に圧倒されます。戦後世代としての私などは知らない状況ですが、民族として知らないではすまされない、という気持ちにさせられます。こうやって告発してもらうことが世代への受け継ぎだと思っています。しっかりと受けとめたいと思います。



 
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