きょうはこんな日でした【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「ムラサメモンガラ」 |
2000.5.12(金)
日本ペンクラブの電子メディア対応研究会が赤坂でありました。ペンクラブのホームページ改善案を話し合いました。今より少しはスッキリしてくると思います。近々変更されますから、ご覧になってください。「理事の書簡」というコーナーも新設されます。HPに書きたい理事は署名入りで書く、というものです。何人の理事が利用するか判りませんが、個人的な意見を述べる場ですので期待できると思いますよ。
実験が終了した「電子書籍コンソーシアム」を紹介した記事を検討しましたが、結局、漫画が主となったようです。そんなもののために気をもんできたのかと思うと、がっかりします。一冊からでも出版できるというふれ込みの「オンデマンド出版」はこれから実験が始まるようですが、こちらも出版界にとっては厳しいようです。うまい汁はそんなにあるもんじゃない、ということでしょうかね。まあ、電メ研としては注目していきますけど、しばらく静観、が正解かもしれません。
○相良蒼生夫氏詩集『兎の玩具』 第5次ネプチューンシリーズgV |
2000.4.25 横浜市南区 横浜詩人会刊 1200円 |
現代パチンコ概論
むかしパチンコは手の問題だった
親指が腱鞘炎を起こすまで働かし
機械が分裂症を患えばしめたもの
おおい出ないぞ と台をたたき
裏の女に猥談をしかける
女は馴れたもの はい打止めと
換金すれば僅かな出玉
雑言 悪口をお互い投げ合い
パチンコは口で打つものだった
現代のパチンコは時間と資金の問題である
ひたすら黙りこむ相手に忍耐しきり
金のうちでない一万二万 気がつけば
分不相応な金を費消して
人生半分自棄の うらみごと独り言
人格 教養は思案の外 怒り心頭 分別喪失
コンピューター制御の機械には何をいっても通じず
社会制御 都市操作 人間管理の小形化の奴に
せめて灰皿ぶち撒き溜飲を下げ
帰りの電車でやっと馬鹿さ加減の反省しきり
パチンコは手首と腰の問題である
固定した手首にかかる機械の反動
動かせない腰にかかる自重の圧力
突然 躁状態になった台が唸り出す
しめた オールセブン無制限 取り放題
瞬間 周囲の目が羨望 妬みに変る
構いやしない俺が天下人 命より大切な大箱幾つか
人格破産ごちゃまぜて射幸心充実 至福のとき
横の親父が怒気激しく台に当りちらす
知るもんか 運不運のからくり
パチンコは意志の問題である
やるか やめるか ほとんどが負けを引いたサラリーマンら
遅い時刻の電車に乗り合わせる
今日の台は締めている ツイてないなどさまざま
明日はまた 十八兆円産業への挑戦に賭ける
儲かる筈はない それは自明の理 理屈の外にある
何か人生にもたらす期待と不運 見果てぬ夢の成就
それらの身近な切れ端のために
パチンコは庶民を喜怒哀楽の表現者に登用してくれる
演出家である
私はパチンコをやらないのでよく知りませんが「金のうちでない一万二万」というのは本当のようですね。私の同僚も「三万負けた」「五万負けた」ってやってます。よくそんなに金があるなと不思議でなりません。30年ほど前に機械式のパチンコを10回ほどやった経験がありますが、時代が違うとは言え、せいぜい500円、1000円でしたからね。
なぜ必ず負けると判っているパチンコに手を出すのか理解できないでいましたが、最後の2行で判りました。と言っても完全に理解したわけではありませんけど…。パチンコ好きの同僚にいつも言ってるんですけど、二万なり三万なりを持ってカウンター(って言うんですか?)に行って、金を置いて帰ってくればいいと思うんです。結果から考えるとそれと同じことですから。でも勝つか負けるか判らないところがおもしろいんだ、という反論が返ってきます。そういうもんでしょうかね。
まあ、それはそれとしてこの概論≠ヘおもしろいと思いました。こんな詩もあるんだ、と思いました。「十八兆円産業への挑戦に賭ける」というのも驚きです。私の勤務する会社が連結ながらようやく一兆円に乗せたと思ったら、この不況ですぐにダウン。それを考えると十八兆円産業というのは確かにすごい。みんな負けてばっかりだからなぁ(^^;;
○椿原頌子氏詩集『林檎の芯に』 第5次ネプチューンシリーズgW |
2000.4.25 横浜市南区 横浜詩人会刊 1200円 |
娘よ
ムスメがわたしの許を離れていくというのでした
ムスメは古家に未練をもっていたのでしょう
つばめのような細いうなじをじっとかしげて
ヒトミをわたしに向けております
嫁いでいくのです
これがほんとうの子わかれと知る由もない
母と娘の離別のとき
おまえ
女であってもいいが いつまでも
認識して人として 妖しくたゆとう
やさしさを それが思想ですよ
つらく 苦しいことなどありません
戦いの火を いつもともしましょう
女であれ 男であれ
人であるのですから
ムスメはヒトミを見張りました
やさしい女人(ひと)よ 旅をつづけなさい
嫁ぐ娘さんへの餞(はなむけ)の言葉ですね。「認識して人として」が「それが思想ですよ」と伝えるあたり、なかなかのものだと思います。言えるようで言えない言葉です。母娘の良好な関係を示しているようです。
娘さんの描写も「つばめのような細いうなじをじっとかしげて/ヒトミをわたしに向けて」とあるだけですが、伝わってきます。「ムスメはヒトミを見張りました」と再び書くことによって強調されているのだと思います。饒舌にならない娘さんの描写が、作品に余韻を与えていると思いました。
○詩誌『アル』21号 |
2000.4.30 横浜市港南区 西村富枝氏発行 450円 |
用心/西村富枝
うちの猫はかわいかった
白黒だから単純にブチと名づけて
のどを鳴らしながらすり寄られたり
幼児のわたしは人間と同じに話した
かわいい猫にガブリとやられたことがある
怪我をしなかったのは
猫なりに手かげんをしていたようだったが
猫をかぶるのは猫ではなく
猫なで声と化け猫の猫は
風の動きひとつで正体を現す
癇癪には手かげんがなくて
用心する間をあたえない
隣からきた飛礫に怪我をした日
塀の上で昼寝をしている猫を見た
背中をまるめてあごをつけて目をつぶって
それでいて耳はピンとたて
かすかな音まで聞こうとしているようだ
複雑にからみあった人の頭脳の
あっけない落とし穴
しょせん猫だったなら
隣の人間には警戒したものを
「隣の人々」という特集の中の作品です。「隣の人々」が出てくるのは最後の4行だけで、それ以前は猫の話だけです。あれあれ、どこに「隣の人々」が出てくるのかなと読み進めていて、最後でしっかり締めましたね。見事というほかありません。
それにしても「隣の人々」というのは不思議な存在ですね。まったくの他人ではないけど、場合によっては親戚以上のつき合いもする。助け合ったりいがみ合ったりもする、距離のとり方が難しい人々であることは間違いないようです。他の誰よりも生涯のつき合いがあるわけですから、大事にしたいとは思っています。
○詩誌『独楽』61号 |
1999.4.1 千葉県船橋市 独楽の会・寺田弘氏発行 賛助会費年2000円 |
弔歌 追悼大滝清雄君/寺田
弘
夢のなかに流れていた
霧のような薄明りのなかを
ひとり立っているのは君か。
川底に星座が沈んでいた
あれは われわれの星だった
寅年生れの二人が
新らしい星座を造ろうと決意して
君が出征したとき誓いあった
顔だけを残して体を包んだ花は
心の水を吸いとっている
顔だけが話かけてくる
出征の前夜
二人だけで語りあかした
戦地で書いた詩は必ず載せてやる
そして吾々の星座「虎座」は生れたのだった
天の川のなかに霞んで見えない一つの星座
それは君と私の誓いの星の筈だ
それが消滅した
銃弾を顎に受けても
車で肋骨を折られても
不死身に甦えってきた君だったが
荼毘にふされた君は
詩の香だけを残して散っていった。
※「虎座」昭和十五年から昭和二十二年まで発行した。大滝君と寺田の二人詩誌
1998年9月に亡くなった大滝清雄さんの追悼号です。同人4人が全員追悼文を書いているのを始め、大滝さんと交友のあった11人の詩人が追悼文を寄せています。ここでは主宰の寺田さんの追悼詩を紹介します。68年に及ぶ大滝さんとの交友に裏打ちされた作品だと思います。私などがこれ以上言葉をはさむ必要はありませんので、ご鑑賞いただければと思います。
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