ょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.5.20(土)

 埼玉詩人会の招待を受けて浦和に行ってきました。「2000年 埼玉詩祭」というイベントです。埼玉詩人賞の贈呈式、オイリュトミー公演、スピーチと詩朗読などがありました。

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オイリュトミー公演

 オイリュトミー公演というのは初めて見ましたが、なかなかおもしろいものです。人間の身体を使って言葉を表現しようというものですね。ですから、詩作品もすべて身体の動きで表現できるというわけです。上の写真は詩の「朗読」を行っているところです。機会があったらご覧になるといいですね。
 オイリュトミーも良かったんですが、一番感激したのは大宮北高生による詩の朗読です。詩はおろか、文芸部すらないという高校が増えている中で、詩の朗読をやる高校生がいるというのは驚きです。

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大宮北高生による詩の朗読

 うれしいことに、男子生徒も朗読しているじゃありませんか! 女子生徒が詩に興味を持つのは、まあ、昔からですからあまり驚きませんけど、男子生徒もいるというのは、本当にうれしいですね。
 埼玉詩人会のメンバーでもある詩人が、大宮北高の教師をなさっていて、その影響のようです。きちんとした指導をすれば芽は育つ、という実例だと思います。それに大宮の文化的な風土が幸いしているのかもしれませんね。


田熊健氏詩集『断層』
danso
2000.5.3 東京都板橋区 待望社刊 2000円

 冨士山

大きなハンガーが
沈みそうな列島を
懸命に吊り上げている

 この詩集の中では最も短い作品です。私はこの作品にこの詩集の真髄を見る思いがしました。田熊さんは敗戦以来の日本の現状を憂いています。それがこの詩集の大きなテーマだと私は思います。「沈みそうな列島」というフレーズが日本の現状を表しています。森首相の「神の国」発言もそうですが、国旗・国歌法、盗聴法と日本はとり返しのつかないところまで来てしまいました。「沈みそうな」どころか、沈みつつあるのかもしれません。
 30年ほど前に、まだ無名だった高石友也に来てもらって小さなコンサートを開いたことがあります。主催者側の挨拶にまだ独身だった私が立ち、「息子たち娘たちに、いい世の中になった、と言われるにしたい」と発言したことを今だに覚えています。残念ながら、そうなったとは言えない現状です。
 しかし、この作品に救われるのは、「懸命に吊り上げている」というフレーズです。古来からの日本の象徴は懸命に吊り上げているのです。憲法上の象徴・天皇家ではなく、冨士山が吊り上げていることに私は救われた思いをしています。人間の作り出した制度や人間そのものでなく、冨士山であることに意味を感じています。
 たった3行の作品ですが、大きな意味を持った作品だと思います。それを表現した田熊さんに敬服しています。


季刊詩誌『裸人』9号
rajin 9
2000.5.10 千葉県佐原市
裸人の会・五喜田正巳氏発行 500円

 秘密のポスト/禿 慶子

大きすぎる傘をさして手紙を出しにいった
裏木戸のむこうに古い杉の木があって
幹の穴から雨で変色した紙がのぞいていた
木肌を伝い落ちる滴に指を濡らし書いたばかりのと交換する
素末な紙を幾重にも折り曲げ棒にしたそれには宛名がない
そのときどき 溢れそうなもの 流れそこなって詰まったものを
書きなぐってどこにもいないだれかに届けるのだ
たまに返信を書く
だれか に すり変わるのはとてもスリリングで
手紙の主に思いきり意地悪をする または 激しく共鳴する
わたしとだれかがないまぜになって滝壷のなかで溺れてしまう
そんなときはポストの根元に座り
からだから出てくる無秩序なかたちを未知の空に泳がせるのだ
杉の木はまっすぐに立っている
風で梢がさわいでも 背中のうしろでまっすぐに立っている
樹皮はいつもひんやりして いくぶんかしめり
抱きついているとからだにしみてきて だが少しも冷たくはない
わたしは木の体温を知っている
それから 体臭も好きだ
たとえば入浴中など突然ツンとしたにおいにくすぐられる
すると目をつぶり指先を鼻にかざして
木のメッセージを嗅ぎとろうとする
杉は手紙を読んでいるはずだった だから知っているのだ
おとなには決してあかさない襞の奥を そこの乱気流を
本当は
わたしがわたしに宛てたものだとその頃少し解りかけていた

 木の洞に入れた、自分宛ての手紙という発想もおもしろいのですが、私はむしろ木に対する作者の姿勢に共感しました。「わたしは木の体温を知っている/それから 体臭も好きだ」とは、なかなか書けない言葉だと思います。特に木の体臭≠ニはなかなか味のある言葉ですね。その理由もはっきりしていて、「たとえば入浴中など突然ツンとしたにおいにくすぐられる」とありますから、檜風呂の匂いを想像させます。
 「木のメッセージ」というのも判る気がします。私も木は大好きで、木のそばに行くとメッセージを受けるような気になってきます。作者の意図とはちょっと違ったかもしれませんが、そんなことを考えました。


詩誌RIVIERE50号
riviere 50
2000.5.15 大阪府堺市
横田英子氏発行 500円

 終刊近くの『月刊近文』と並列で発行されてきたRIVIEREも、とうとう50号。まずはおめでとうと申し上げたいですね。10年で50号ですからペースとしても立派なものだと思います。今号は記念号ですから、同人ひとりひとりが3、4編の作品を発表していて、126頁の大冊になっています。多くの優れた作品の中から、このHPのテーゼとしている1編を紹介するというのは、実は大変な作業です。そこをあえてやってみた結果、次の作品を紹介することにしました。

 引揚者/鈴木民子

一九四五年十月
朝鮮から日本へ帰ってきた
釜山から引揚船に乗って
玄海灘をこえて帰ってきた
母は四人の子供を連れ
背中に0歳のわたしを背負っていた
朝鮮半島の
当時論山郡江景邑大正町というところから
無蓋車に乗せられて
長いトンネルの煤煙と火の粉にまみれて帰ってきた
大人も子供も
許可された範囲の手荷物を持っていたが
途中 現地の人に奪われてしまった
十三歳の長男は
棒でたたかれてメガネを失った
二歳の子が持っていた
洗面器一ケと蝙蝠傘一本を持って
わたしたちは日本へ帰ってきた

身を寄せたところは親戚の農家の納屋だった
土間には筵を敷いた
隣は牛小屋だった
冬の夜具には蚊帳も足した
日本国中食料がなかった
母は道端に落ちていたさとうきびの根もとを拾い
包丁でこそげて背中のわたしに握らせた

年の明けた厳寒の日
父は帰ってきた
汚れきった兵隊服を着て
真黒いへちゃげた水筒を大切に持っていた
よお帰ってきてくれたなあ
みんな涙を流した
五人兄妹はじゅんばんに父の腕に抱いてもらった
はじめて父に会う一歳を迎えたわたしは
長い時を父の胸に抱いてもらった

と 今は亡き母は語った

 事実の重みに胸打たれました。私は作者のあと4年後に生まれていますが、たった4年間の違いも感じさせられます。なにより、声高に叫ばず淡々と、あった事実だけ、しかも母から聞いただけのことを語っているのが良いと思います。具体的な事件、現象も作品の価値を高める効果があると思いました。
 戦後50年以上を過ぎて、何を今さらという声もありますが、私はそうは思いません。現代が戦争を風化させてもよいほど平和なら、何を今さら、でもよいでしょう。しかし、国旗・国家法、盗聴法などの成立を見ていると、今だからこそ体験者には語ってもらいたいのです。「神の国」などと時代錯誤の首相を選んでしまった責任は、我々にあります。その責めを負う意味でも語らねばなりません。私もこのHPも使って、言うべきことは言っていくつもりです。



 
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