ょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.5.27(土)

 『山脈』同人の鈴切幸子さん詩集『街はきらめいて』の出版記念会を行ないました。『山脈』がいつも例会場所としている、横浜・野毛の「今福」という北海道料理店を貸し切っての会です。貸し切りと言っても30人も入ればいっぱいになる店ですけど…。あまり大げさにせず、同人ほか近しい人に集まってもらって、という趣向です。それでも定員をはるかにオーバーしてしまって、同人の男どもにはトマリ木を使ってもらったほどです。

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会場風景 横浜・野毛「今福」

 一次会は司会を担当しましたので、あまり呑まないようにしました。この場所で引き続き二次会をやりまして、司会からは開放されて、したたかに呑んじゃいました(^^;; スピーチでは詩集の評判も良く、それに私も気を良くしたせいもありますね。楽しい会でしたよ。


海野庄一氏詩集『てんじょ山』
tenjoyama
2000.5.10 東京都豊島区 国文社刊 2500円+税

 つりあい

不思議なことがあるものね

かごを背負って
遠い道のり
灼けつくような日々を
野良へ 往ったり 来たり
していた頃は
ひどく 難儀なことだと思った

農具も 弁当も入れねで済んだら
軽くて
なんぼか いいことかと
そのたびごとに 哀しんだことだ

年をとって
百姓から 身を引く時が来たら
炎天に かごを
背負うこともなくなった
農具も 弁当も
運ぶことがなくなった

きれいさっぱり
体から
かごも 農具も 弁当も
離れていってしまったら
なんとも 体のつりあいがとれね
なんとも 心のつりあいがとれね

 すべて亡くなった母上に関する作品を集めた、と「あとがき」にあります。作者は昭和一桁生まれですから、おそらく母上は明治の女性だったろうと思います。旧家に嫁いできた母上の言葉としてほとんどの作品は編まれています。この作品もその形をとっていますが、作者を通り越して直に母上の言葉として迫ってくるようです。
 まだ私が退職するには時間がありますので、同じような気持ちになれるかどうか判りませんが、頭の中では理解できますね。過酷な農作業から開放されて、「なんとも 体のつりあいがとれね/なんとも 心のつりあいがとれね」とつぶやく母上の実直さに敬服します。おそらく母上が亡くなってから書かれた作品ではないかと想像していますが、母上のその気持ちを伝える作者の心境に、思いが至ります。母子の愛情がまっすぐに貫かれた詩集でした。


総合文芸誌『蠻』121・122号合併号
ban 121-122
2000.5.10 埼玉県所沢市 秦健一郎氏発行 非売品

 創刊30周年記念号で、同人がそれぞれ20頁ほどを使って詩、短歌、小説、評論などを載せています。総頁数240頁の大冊です。故・早川琢氏も喜んでいることでしょう。

 蟷螂季/早川 琢

地球上
秋は全てのものが孕む。
自然も虫も動物も
この壮大な大気を胸いっぱいに掻きこんで
孕みに孕む。
膨らむ容器が成長するにしたがって
卑猥な手管の言葉は敬虔な祈りの言葉にかわり
やがて
いっせいに弾じける。破裂する。
分身誕生の糠よろこびに明け暮れる。

実に他愛のない話なのだが
冬は全てのものが憎しみあい
互いに欺き奪い掠め盗り殺め
己が身のみ肥え太らす。

そして春
膨らむ季節を一辺倒に懐かしみ
反省もない虚飾の鏡に再び向かう。
地球上
ゆえに夏は全てのものが狂気にふれて
自然も虫も泣きつくす。
失ったものの陥穽の大きさに驚愕し
到る所で和議がもたれる偽装の涙壺が置かれる。

ああだがもう遅い。
鼻毛を抜いて腋毛抜いての呪
(まじな)いも
この気宇壮大な大気を忽然と押し分けて
和光同塵は現われず夢にも現われず
とどのつまりは秋の堰切って
お互いがお互いを孕み孕ます行為のあと
 あんなやつ
 早く死ねばいい。

 「未発表遺稿作品」とあります。早川さんが亡くなったあとに発見されたようです。30周年記念号の巻頭作品です。亡くなったという事実があるから感じるのかもしれませんが、世をはかなんでいたように思えてしかたありません。詩人ですから、ご自身の死も感じとっていたのかもしれませんね。
 語彙の豊富さに驚きました。「和光同塵」という言葉は初見で、思わず辞書で調べてしまいました。「優れた学徳や才能を深く包んで、世俗に交じり合うこと」となっていました。生前の早川さんとは直接面識がなく手紙のやり取りだけでしたが、並々ならぬ才能は感じていました。まさに早川さんに向けられた言葉だと思います。お会いしておけばよかった。惜しい人を亡くしたと思っています。



 
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