ょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.6.17(土)

 明日の日曜日は全市一斉の美化作業の日です。それに先だって自治会役員が集まって、準備・下見をすることになりました。準備は室内だったんで良かったんですが、下見は当然、外。雨でした(^^;;
 自治会役員って、すごいですね。雨の中を合羽を着て廻るんですよ。それもただ廻るだけじゃなく、明日の作業ではやらないような、高い所の枝切りや空き缶拾いなどをやります。私もやりましたけど、まあ、すごいなあと思います。今までの役員もみんなやっていたようですから、地域の美化はこうやって守られていたのかと思い、一種の感激がありましたね。いい社会勉強をさせてもらいました。


詩誌『地平線』27号
chiheisen 27
1999.11.30 東京都足立区
丸山勝久氏発行 600円

 祖父母の事/松下一郎

お迎えが近いせいだろう。
時々祖父母の事など思いだす。
祖父は俺が碁をうてなくなったら死んだ時だとよく言っていた。
その通り、下谷の碁会所からの深夜の帰宅途中心臓発作でたおれてしまった。
近くの碁会所では弱い奴等ばかりで相手にならないと毎夜のように電車で下谷へかよった。
独りでいる時は和綴の囲碁の本とにらめっこをしながらぱちりぱちりやっていた。
若い頃は本気で棋士になるつもりであったらしい。

祖母は村でたゞ一人女学校を出たと自慢していた。
それでも若い母をしつけと称し時々いじめていた。
私が小学生だった頃、アルファベット等を教わった。
本格的に学校でならう頃、
ジスイズアペンと覚えかけた時、敵国語はダメと一切英語は禁止されてしまった。

遠い昔の話である。

 松下一郎さんは日本詩人クラブの会員で、今年2月に亡くなっています。おそらく絶筆なのではないだろうかと思います。詩人の感覚というのは恐ろしいもので、ご自分の将来を予感していたのではないでしょうか。「遠い昔の話である。」という最終行には、祖父母、父母、ご自分へとつながる歴史の重みも感じさせてくれます。将来については語らず、過去を述べるだけという姿勢に、作者の覚悟も読み取れるように思いました。ご冥福をお祈りいたします。


詩誌『地平線』28号
chiheisen 28
2000.5.10 東京都足立区
丸山勝久氏発行 600円

 独りごと/山田隆昭

たやすく言えるのに
どうしても言葉にできないことがある
たとえば息子よ
学校の成績がなんだ と
父さんは言いかけている
大切なものはもっと先にあって
いっしんに目を凝らしても
いま 見ることはできないだろうと
せいいっぱい延ばした手の
指の 爪の先になにかが触れる
時を経るとはそういうことだ
だが怠惰に暮らすなよ
とは父さん自身に言いかけて
ずっと言えなかった言葉だ
日々は月の運行のように退屈だった
それから花吹雪が来た
風に向かって歩く夜があった
まだなにも視えないけれど
遮る雲の厚みがよく判る

−−ご破算で願いましては
と いくたび口籠ったことだろう
払うことのできないそろばん
かけたり割ったりしなくていい
とりあえずはじきつづける
指に血が滲んではじめて
ひとの温かさを知ることもある

 ご子息に向けた「独りごと」であり、またご自分にも向けたものですね。この心境は判ります。山田隆昭さんと私はほぼ同じ歳です。子供もだんだん大きくなって、見ていてハラハラするものです。自分の子供時分はさておいて、経験からこうすればいいというふうに言いたくなります。言っていいこと、言ってはいけないことの区別は判っているつもりですが、なかなか難しいですね。


個人詩誌『点景』22号
tenkei 22
2000.5 横浜市金沢区
卜部昭二氏発行 非売品

 

沼に小さな木の実が落ちた
小さな波紋が広がった

沼はまた沈黙にかえった

男は自分の終る時と
そののちの世界を想い浮かべた

 扉の作品です。小品ですがいい作品ですね。一定の年齢を経ないと出てこない作品だろうと思います。特に最終連の「そののちの世界」まで思い到ることは、なかなかできないことでしょうね。こんな作品、書いてみたいものですが、なかなかそうはいかないようです。


総合文芸誌『星窓』4号
2000.5.31 大阪市中央区
星湖舎・金井一弘氏発行 1000円+税

 父/梅澤鳳舞

職人は芸術家とは呼ばれない
職人は毎日毎日の日常生活で
普段使う実用品を造っている
使われる物を造っている
ただ飾っておくだけの物ならば
すり減りも毀
(こわ)れもしないだろう
職人たちは生活に欠くべからざる
必需品を作っている
丁稚小僧に入り七十余歳で引退し
その後足も弱くなり寝たきりで
(しも)の世話をして貰うようになる
職人の名は残らない
職人は後継者もなく
その技術も夥
(おびただ)しい数の作品も
消耗され時の流れに埋没してゆく

ぼくはその職人を父にもった

 私の父も床屋の職人でした。確かに「芸術家とは呼ばない」し、「生活に欠くべからざる」仕事だと思います。そしてリタイアした今は「後継者もなく」「時の流れに埋没してゆく」ことになりました。しかし私は父の仕事に誇りを持っています。作者も同じ心境のようで、安心しました。



 
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