ょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.6.18(日)

 きょう、午前中は全市一斉の美化作業日でした。わが自治会は戸数250軒の小さな集落ですが、参加率は90%近くになって、すごいモンだなと思います。私は役員ですので、皆さんとは別に全地区を見て廻りました。皆さん、よく働いていましたね。頭を下げながら廻ってきました。
 午後はご苦労さん会を兼ねて「水神講」「山の講」懇親会というものに行ってきました。宗教行事には原則として出席したくないのですが、まあ、これは宗教ではなく春祭り程度の地域のイベントと考えて行くことにしました。思った通り、昔から伝わる数本の掛け軸を並べて拝礼するという程度でした。まあ、かわいいもんですね。


小説・エッセイ集『湖(うみ)の本』43号
umi no hon 43
2000.5.30 東京都保谷市 秦恒平氏著 1900円

 作家・秦恒平さんより第43集をいただきました。自伝的小説「もらひ子」と、京都民報へ寄稿した「かないたがるは悪しし」、サンケイ新聞への寄稿「わが一期一会」を載せたエッセイ「かなひたがる」の二部構成になっています。
 小説「もらひ子」は作家・奥野秀樹の戦前・戦中の国民学校時代を描いたもので、秦さんの自伝と受けとって間違いありません。表題通りの「もらい子」としての生活、京都の戦前・戦中の風物などが描かれた、日本の一時代を証言する作品と言っていいでしょう。なにより感動させられるのは、暗さが微塵もないということです。ご自身の境遇、時代背景を考えると明るいはずはないのに、まったく暗さがないのです。50年以上も前のことを現代の視点で書いているから明るい、という言い方もできましょうが、そうではないと私は思います。文学者が本質的に持っている人生への賛歌が根底にあるからでしょう。
 実によく人間を観察しているな、と思いました。育ての親や叔母、学校の友達のことは当然として、近所の人たちのことが詳細に描かれています。家の造りから路地の構造にも絡めて、大人たちのこと、年下の子供たちのことなどが記憶の許す限り書かれている、という感じです。「作品の後に」では、
 <一つには「親たちと私」のことを、よかれあしかれ納得し感謝し記念したかった。「こんな私でした」と亡き親たちの前にも語って置きたかった。>
 とあります。私も「もらい子」の経験がありますから、これは理解できるつもりです。生みの親であれ、もらわれた先の親であれ、継母であれ親は親だという気持ちはあります。それらの親たちが自分にどう影響を与えたか、今この歳になって(50歳)判る気がします。正直なところ小学生の頃は恨みもありました。しかし今は「納得し感謝し記念」したい気持ちになっています。詩作品として少しは書いてきましたが、やはり小説の形をとりたいですね。お前もちゃんと書いておけよ、と秦さんに背中を押されたような気がしています。


坂本くにを詩劇集『葵の上』
第5次ネプチューンシリーズgZ
aoi no ue
2000.5.31 横浜市南区 横浜詩人会刊 1200円

 日本の物語を作品化した詩劇集です。欧米に例をとって、という詩劇はいくつか拝見した記憶がありますが、日本のものというのは珍しいのではないでしょうか。源氏物語から「葵の上」、源平から「静御前」、江戸物の「八百屋お七」、そして「卑弥呼」の4部作になっています。登場人物の服装、音楽、舞台設定まで詳細に書かれていますから、それを頭に入れて読んでいくと臨場感があっておもしろいです。実際に上演できる機会があればいいのに、と思いました。


詩誌『沈黙』20号
chinmoku 20
2000.6.10 東京都国立市
井本木綿子氏発行 700円

 残像/吉川 仁

沖縄決戦せまる
春の東シナ海は
膿んで微熱を帯び
黄いろく腫れあがっていた。
層雲の一角を裂いて
急襲の爆音が降りそそいだ途端
赤錆びの徴用貨物船K丸は
みごと棒立ちとなり
林立する白い水柱の陰に消えた。
やがて、いちめんの藻屑のすき間から
ぽっかり頭を出し
ごおっと潮を吐いて、ニヤリとしたのは
双生児の若い航海士の、どちらかひとり。
もうひとりは海底ふかく沈み
ざまあ見ろ、とばかり
貪婪な国のぶざまな末期をせせら嗤いながら
一路  
ピョンヤン
ふるさと平壌をめざしたにちがいない。

 沖縄戦の中で実際にあっただろうと思われる情景で、正直、ショックでした。「ごおっと潮を吐いて、ニヤリとした」ことにまずショックを受け、「ふるさと平壌をめざしたにちがいない。」で二重のショックを受けました。
 「ニヤリとした」に対しては意味が判らないショックです。なぜ撃沈された貨物船の人間が「ニヤリとした」のか、まったく理解できませんでした。そして「平壌をめざした」で、ようやく朝鮮の人のことを書いたのが判ったのです。そこで朝鮮の人のことがまったく私の頭に入っていなかったことが、二重のショックを与えたのです。あの戦争では朝鮮半島の人たちを強制的に徴用し、犠牲を強いたことは理解していました。自分なりに強制した側の子孫として頭に入れていたつもりですが、こういう作品に出会って、まったく自分のことになっていないことが判ったショックです。
 つくづく民族の一員である難しさを感じました。頭の中の理解でなく、自分の血となり肉となる民族の反省ということは、絶望感さえ覚えます。戦後、たった4年で生まれた私でさえこの体たらくですから、わが子、後輩に伝えていくことの難しさを感じさせる作品でした。


アンソロジー『渚の午後』2000
magisa no gogo
2000.6.5 東京都足立区 長嶋南子氏発行 680円

 波/平川 律

あんなにも青い海の水が
浜辺では白い波になる
寄せては返す波を見ていると
永遠という言葉が思い浮かぶ
けれど けっして同じ波は来ない
同じようで違うものが
満ち干を繰り返しながら続いていく

たくさんの人や出来事が
ひとことを言いにやって来る
何かを教えてくれるためにやって来る
そして すーっと去っていく
悔しかったり 悲しかったり 嬉しかったり
いろいろだけど
やっぱり ありがとう

知っているのに忘れたふりして過ごしている
いつか終りになることを
それでも 続くものもあるって信じている

大きな海の向こう側に何があるのか解らない
これから出会うものごとも
絶対に出会うことのないものも
見えない向こうにきっとある

今はここに立っている
この瞬間の波跡を見ている

 この作品には最初の2行でジャブを入れられました。青と白の対比が絵画的で、なぜ青色が白色になるんだろうという不思議さもあって、たちまち虜になってしまいました。海の青と波の白は、なぜ違う色になるかは科学的には説明できますけど、そんな次元の話ではありません。「何かを教えてくれるためにやって来る/そして すーっと去っていく」というフレーズにもありますように、質が変わるという点を作者は訴えているのであり、そこに惹かれました。
 科学と文学の違いを考えさせられます。科学は決して無味乾燥なものではなく文学的な要素も含んでいると私は思っているのですが、しかし文学を越えることはありません。「何かを教えてくれるためにやって来る」というのは、意識的な行為です。これはある面では科学的。「そして すーっと去っていく」というフレーズは、現象を述べているだけです。もちろんこれにも意識はありますが、前出の「意識的な行為」に比べれば軽い。そしてこれこそが文学的だと思います。単に現象を述べるだけでこの2行の意味を深くしているからです。これは科学ではできない相談だと思います。
 この作品を1行1行解釈していくと長大な論文になりそうなのでやめますが、科学と文学という側面だけを切り取ってもおもしろい作品ですね。新川和江さんも作品が巻頭にあるのは当然としても、その次に出てくる作品で、新川さんを除けば実質的な巻頭作です。編集部の目の高さにも敬服しました。



 
   [ トップページ ]  [ 6月の部屋へ戻る ]