ょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.6.28(水)

 社内教育をやっている教員の会議がありました。6/7に湯河原でやった研修の反省が主です。まあ、型通りと言ってしまえばそれまでですが、一応、問題点も出して解散。その後は懇親会になりました。会社の施設であるスナックで、会社の経費で呑んで、帰りはタクシーで送ってもらうというのは、まったくの会社丸抱えという感じですけど、そのパターンもようやく馴れましたね。社内教育の教員なんて、評価にはまったく関係ないし、そのくらいの面倒は会社が見るということですから、甘えています。評価に関係ないから自由にできるのも魅力なんです。



石原武氏著            
『遠いうた――マイノリティの詩学
toi uta
2000.6.14 大阪府豊能郡能勢町 詩画工房刊 2000円

 詩誌『柵』に連載していた論をまとめたものです。「第一章 黒人詩の渉猟」「第二章 太平洋の民族詩」「第三章 アメリカインディアンの唄」「第四章 未開の唄」という章でもお判りのように、中央ではなく周辺地域の詩を考察したものです。まえがきで「世界の詩をどう読むか」という提言があり、次のように述べています。
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 文学において世界とは、泥臭い田舎町の、あるいは都市の汚い裏通りの、匂いやさざめき、そういう人間の経験への深い共感のように、私には思われる。(中略)
 詩においてはなおのこと、世界の詩であろうとすれば、一層地方的でなければならない。
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 この大前提に基づいて論が組みたてられています。どうしても英米、欧州といういわゆる先進国や東京・大阪という大都市に眼が向き勝ちな私たちへの警鐘として読みました。特に第一章の「黒人詩の渉猟」はブルースなどへの親しみもあって一番素直に胸に入ってきました。もう20年も前のグランド・ファンク・レイルロードというグループのハードロックを聞きながらこの章を読みましたが、よく合っていました。音楽が邪魔にならずに本を読めたという稀有な体験でした。
 アメリカインディアン・ユーマ族の「鹿踊り唄」は貴重な作品です。詩の形が二重円になっているのも型破りですが、詩としての言葉もおもしろい。連が回文のような詩になっていて終ることがありません。インディアンの発想というのはすごいもんだなと思いました。ぜひご一読を。



総合文芸誌『金澤文學』16号
kanazawa bungaku 16
2000.7.20 石川県金沢市
千葉龍氏発行 1300円+税

 体内会議/桧 晋平

季節の 変わりめどきになると
かならず体内会議が 開かれる
私は精神を自覚する 心なのに
会議への 参加資格がないのだった

心は細胞いがいの 無形のものなので
部外者あつかいで 会議を傍聴するのみ
心筋を焼き火箸で つつかれる激痛に
言葉を紡ぎ 命の刺繍絵を綴っているのだ

いまも五臓五体の代表が集まり
人口弁がもはや朽ち やがて不整脈から
血液停止が 近いことを議題にしていた
それは天界への 旅立ちでもある

そして心という私に 決議内容が届いた
心臓停止後の マッサージ絶対無用
もちろん 弁の取り替え不要とする
私は会議の決定に従うのみだ

ただ蘇生手術で得られた 付録の人生
五十五歳後の 高価な時間の重ね
周りの人たちへの 感謝の言葉を
「さようなら」と合掌で包み伝えたい

 これはおもしろい作品ですね。確かに臓器と心は違うもののように思います。その臓器の会議に「心という私」が部外者になっている構図が新鮮で惹きつけられます。こんな発想をした人を私は他に知りません。つくづく人間の発想というものはおもしろいものだと思います。
 最終連の覚悟もいいですね。最期はこうありたいものだと、神妙な気持ちにさせられました。



詩誌『象』98号
katachi 98
2000.6.25 横浜市港南区
篠原あや氏発行 300円

 人事考課/三上 透

菜の花畑に
黄色い花が咲いた
牛が雑草を食べていた

翌年
菜の花畑に毒草を蒔いた
やっぱり
黄色い花が咲いた

翌々年には
毒草ばかりを
あたり一面に蒔いた
毎朝、毎晩
雑草取りをして
毒草の芽ばかりを残した

村のオーピット叔母さんがやって来て
なんだなんだ
何やっているのと
こんこんと説教されて
雑草取りはやめた

菜の花と毒草と雑草が
春にはわんさか茂って
森のようになった

その頃には
僕はもうすっかり小さくなっていて
見上げるような毒草の幹に
驚くばかりだ

大きすぎて彼女にもあげられない
切り刻むのにも難儀だ

黄色い海原に
どくだみ色の毒草の顔が並んでいる
さめた視線で
半身の牛が通りすぎる

 この作品は難しいですね。キーポイントはタイトルの「人事考課」です。それを頭に入れて登場する「菜の花」「牛」「雑草」「毒草」「オーピット叔母さん」「彼女」が何の比喩か考えなければなりません。私は最初に「オーピット叔母さん」を「僕」の上司ととらえ、「菜の花」を製品、「牛」をユーザー、「雑草」を「僕」のまともな仕事、「毒草」を失敗した仕事ととらえました。ちょっと無理な個所も出てきますが、一応の説明はできそうです。
 詩の読み方にそんな解釈は不要で、タイトルと内容のかけ離れた様を楽しむのが良いのかもしれません。おそらく作者はそれをねらったのかもしれませんね。皆さんはどんなふうに読みましたか?



 
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