きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
nasu
新井克彦画「茄子」




2000.8.5(土)

 8/5〜6は『山脈』の恒例・夏の合宿と106号の合評会を箱根で行いました。場所は、これでもう4、5回来ているという仙石原温泉民宿「松尾山荘」です。温泉がある上に酒の持ち込みが自由という、酒呑みには堪えられない、いい民宿です。

000805
いい呑みっぷり!

 合宿の一齣です。呑み会の前にきちんと合評もやったんですが、写真を撮るのを忘れました。合評会の司会は私がやることになっていて、今までは司会をやりながら撮影もできたんですが、さすがにトシですね、二つを同時にやるのは難しくなったようです。次回からは若い人たちに撮影を頼むようにしましょう。
 今回はなぜか日本酒をご飯茶碗で呑むというのが流行りまして、写真の女性もそれをやっているところです。わが『山脈』のいいところは無理強いしないこと。ですからこの女性もご自分の意思で積極的に呑んでいるんですね、強えワ(^^;;


沼津の文化を語る会会報『沼声』242号
syosei 242
2000.8.1 静岡県沼津市
望月良夫氏発行 年間購読料5000円(送料共)

 「教育小考」というコーナーで佐藤蕃というお医者さんが「漢字教育は自然体で」というエッセイを寄せたいます。教育漢字をある程度制限するのはやむを得ないけど、日常生活の漢字制限は撤廃して、難しい漢字にはルビをつければよい、と主張しています。全面賛成。
 数日前に井上ひさしさんの『東京セブンローズ』を読みましたが、そこにはなぜ戦後漢字制限がなされてきたのかが書いてあります。日本語をローマ字化しようとしたGHQの名残なんですね。それも合わせて佐藤さんの主張を考えると、文化とはなんだろうと考えさせられました。


総合文芸誌『星窓』5号
hoshimado 5
2000.7.31 大阪市中央区
星湖舎・金井一弘氏発行 1000円+税

 私のような人/いずみ きよし

私のような人が
駅に向って
たくさん歩いていましたので

その中に紛れて
歩いて行きました

すると
少し楽でした

 『遠い所』という詩集に収められている作品のようです。作者はおそらく「ような」にこだわっていたんでしょうね。「ような」人間にはなりたくないという気持ちが強くて、「ような」に反発していて、あるところで疲れてしまったんではないかと想像します。そして「ような」を受け入れてみると「少し楽」になったんではないかな、とこれも想像。反発していたのは「ような」に限定することはありませんが、この作品を大事にする上では、そうとった方がいいのかなと思いました。


江口節氏詩集『鳴きやまない蝉』
nakiyamanai semi
2000.8.1 大阪市北区 編集工房ノア刊 2100円

 タイトルの蝉は旧字です。虫ヘンに單と書きます。私のパソコンでは表現できません。作者には思いがあって旧字を使ったんでしょうが、申し訳ないことです。

 すじ雲

 大山君は 学級写真でも首ひとつ飛び出た色黒の いかにもクラ
スのボスであった 後ろにはいつも男子が数人従っていて 遊ぶも
のはすぐ決まった 三角ベース ドッジボール クラス全員で日が
沈むまで遊んだ
 わたしと二人で日番だった放課後 最後の片付けをさぼろうとし
たので呼び止めると 大山君は首をすくめて逃げ出した いばりん
坊があっさり逃げ回るので 箒を持ったまま追いかけた 雨上がり
渡り廊下を燕が飛び抜けていたのを憶えている

 「大山君は、朝鮮に帰ることになりました」
先生が告げたのは 秋の運動会の後だったかも知れない 隣で大山
君は ずっと下を向いていた 朝鮮人だとそのとき知った 大山君
は いつ知ったのだろう

 気がつくと 電線に燕の整列は消えていて 駅のそば 線路際の
黒い木柵に沿って 雪組四年安川学級の五十一人が並んだ 十月の
午後の陽射しは暑いぐらい 窓際に押し出された大山君は くしゃ
くしゃの涙顔 見るのも初めてで カーヴの向こうに汽車が隠れる
まで 窓から振る手の先は 見えていた

 北朝鮮日本人妻・初の里帰り
報じる新聞を畳むと 三十七年前と同じ十月のすじ雲
掠るものはいつも痕だけが見える 空に

 歴史が我々のすぐそばにあるんだな、と実感させられる作品です。作者と私は同年代ですから、同じような経験はしています。小学生の時には何も判らなかったけど、今ならはっきりと理解できます。そうやって我々も歴史の真っ只中にいたのか、と思うと感無量です。クラスには朝鮮人もいたし、信じられないくらいの貧乏人(うちもその仲間でしたけど)もいて、今では想像もつかないことでしょうね。でも、なぜかみんな明るかったように思うけど、記憶違いかな…。


詩誌『黒豹』94号
kuro hyo 94
2000.8.5 千葉県館山市
黒豹社・諌川正臣氏発行 非売品

 顔/西田 繁

顔に 責任持たなければいけない年齢(とし)
うっかり忘れたまま
今日まで来てしまった

床屋に行って
対面するのが恥ずかしいほどに磨かれた
大きな鏡と向き会うと
禿げあがった顔が 真正面にある
いったい どこまでが顔といえるのか

友だちには
世間がひろくなった証拠だと
ひやかされたりする

チョキ チョキと
頭のうしろを刈っている 鋏の音
自分に見えないところにも 顔があると思えてくる

日頃の言葉つきにしても
物のたべ方にしても いつか からだに沁みこんで
皺になって 顔に刻まれていくにちがいない

気どらず そのままの自分に沿って 歩いていけば
それなりに 顔も 仕上がるだろう

 40を過ぎたら自分の顔に責任を持て、と教わったのは確か中学校2年の担任からだったと思います。40なんかとっくに過ぎて、責任持てるかと言われると、とてもとても。傲慢さだけは身に着きましたが…。
 じゃあ、どうすんだ、という答えがこの作品にあって救われる思いです。とりあえず「日頃の言葉つき」「物のたべ方」に気をつけよう、「気どら」ないようにしようと思いますが、どうなることやら。
 しかし最近は顔つきで職業を判断することができなくなりましたね。私の子供の頃は、炭坑夫、床屋、お巡りさんとみんな顔つきが違っていました。今、はっきりと判るのはヤクザ屋さんぐらいでしょうか。それがいいことなのか悪いことなのか判りません。いろいろと考えさせられました。



 
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