きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
nasu
新井克彦画「茄子」




2000.8.6(日)

 『山脈』合宿2日目。昨夜はしたたかに呑んで風呂にも入らないで寝てしまったので、朝風呂。朝から温泉に入って、ビールを呑んでいると、この世の極楽ですね。朝食後は強羅の「彫刻の森美術館」に行きました。昨日、下見をしておいて思ったんですが、10年前に比べると作品がずいぶんと小粒になりましたね。国内の作家もしかり、目玉のピカソ館もしかり。何人かは同じ意見でしたので私の見方が間違っているわけではなさそうです。
 昼食後に解散となって、一路「金太郎祭」に馳せ参じました。自治会役員だからってんで、「金太郎ストリートサンバ」に狩り出されています。南足柄市内の自治会対抗のサンバ競演です。もちろん上位なんか狙っていません。すぐにふるい落とされてしまいました。良かった(^^;;
 おもしろかったことがひとつ。私たちの自治会の踊りが終わって、歩道に座り込んで他の自治会の踊りを見物していたところ、ひとりの男が私に近寄ってきてパチリ。どうも報道関係のカメラマンだったようです。おお、オレってやっぱり目立っているのか、と思いましたよ。濃いサングラスに髭ボウボウじゃあ目立つわな。ん?それとも公安関係だったのかな(^^;;


詩誌『帆翔』21号
hansyo 21
2000.7.30 東京都小平市
帆翔の会・岩井昭児氏発行 非売品

 朝陽の中で/大岳美帆

土手を覆う草は
ひと雨ごとにその丈を伸ばし
五月の朝陽に緑濃く輝いている

幕が開くように
朝靄が消えて行き
優しい光がキラキラと
一面に降り注ぎはじめた

放たれた三頭の犬たちは
緩やかな土手の斜面を駆け回る
時折吹き寄せる風が
いくえもの草の波を作り
犬たちはまるで
何か楽しげな会話を
交わしているかのように
ときに寄り添い
ときに突き離れして
その中を泳いでいる

草の海に見え隠れする
黒い形を目で追いながら
私は
昨日のことは忘れようと思う

 最終行のインパクトが強い作品ですね。それまでは単なる情景描写で、うん、なるほどなるほど、と読んできて、最終行で頭をガツンと殴られたような思いです。もちろんそれまでの情景描写もきちんと書かれていてうまいんですが、この最終行でその情景描写も生きてきます。
 で、何を忘れようとしたんでしょうか。それは読者が想像しなさい、あるいは読者の思いを込めなさい、というところでしょうかね。その辺の突き放し方も心得たものだと思いました。


野村俊氏詩集『迷子と恋人たち』
angels of prayer
2000.1.30 東京都豊島区 東京文芸館刊 3000円+税

 440頁に及ぶ大冊で、作者の今までの人生がすべて詰まっていると言っても過言ではないでしょう。小学生時代から中学校の校長として退職を迎えるまでの人生が凝縮されています。構成もよく考えられていて、例えば目次は、

 みちしるべ(目次にかえて)

おぼろな記憶の向こうで
ぼくは海岸の浅瀬を裸足で歩いていた   ……………7

 という具合になっています。7頁を開くと「おぼろな記憶」という総タイトルがあり、上述の文章が左隅に置かれおり、中に8編の詩が載っているわけです。このスタイルで総タイトルが全部で6つあります。まず、この構成に驚かされましたね。これが第1詩集というのですからすごいものです。

 みかん

熱が出たらしい
内海のほとりを辿る道を
ぼくは先生と二人で歩いていた
明るい穏やかな日の光に包まれて
ぼくは元気だった
先生は笑いながらぼくの肩を抱いたり
手を繋いだり
歌ったりしていた

いろんなことをぼくに尋ねたりもした
ぼくはどんなことを答えたのだろう
先生は時々立ち止まって笑い
それからぼくの頭を撫でてくれたりした
小学校三年生の時のことである
学校で熱を出して
先生はぼくを家まで送りとどけるのだ

人家が途切れて
道は切り崩した山と海の間の細道にさしかかった
先生は懐から蜜柑を取りだした
それを歩きながら剥いてくれた
半分に割って大きい方をぼくにくれた
先生の懐で蜜柑は温まっていた
ぼくは温かい蜜柑を食べた
「誰にも言っちゃ駄目よ
 先生ときみの二人だけの秘密よ」
「どうして?」
「校長室にあったのを
 黙って持って来ちゃった、
 …………ふたつしかなかったの」
先生は唇に人差し指を一本縦にあてて
目をくりくりっとさせて、にっこり笑った
ぼくは大きく頷いた

家に帰ってから母が熱を測ったが
ぼくの熱は消えていた
約束だからそのわけは絶対に言わない
言いたかったけど我慢した
先生を見上げると
目の中でふたりだけの秘密が笑っている

懐の蜜柑と同じように
秘密も温かくて甘かった

 いわば第1章の第1作目です。作品としては扉、中扉、(序にかえて)とありますから4作目になりますが、作者の記憶の第1作目と言っていいでしょう。これからの作者の人生を暗示するかのような作品だと思います。このことがあったから作者も先生になったのかもしれませんね。いい思い出を持って教師になった人は、いい先生になっていくんだな思いました。



 
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