きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
nasu
新井克彦画「茄子」




2000.8.13(日)

 夏休みも今日でおしまい。最後の休日をのんびり、、、なんて出来ませんでしたよ。日曜出勤。それも19時近くまで拘束されてしまいました。まあ、この不景気に休日出勤をしなければならないほど仕事が入っているんですから、文句も言えませんが。
 今日いただいた詩誌は次の2冊。いただいたその日にUPできるなんて、うれしいですね。溜めると後が大変だから、どんどん読んでいくことにします。


詩と散文・エッセイ誌『吠』12号
bou 12
2000.8.10 千葉県香取郡東庄町
「吠」の会・山口惣司氏発行 600円

 秤/高木喜一

死にたいと洩らす奴がいて
本当に死にたいと出ていった奴がいる
死にたい奴は死ぬがいい
生きたい奴は生きるがいい

大体世間は
鼻歌なんか唄って
奴らなんか眼中にない
(本当は奴らより死にたい思いを
いっぱい抱いているのに)

忙しくないのに
忙しい振りをして
儲かってもいないのに
儲かった振りをして
腹巻きなどぽんぽん叩いちゃって
「やあ!景気はどうだい」

世の中は血も涙もなく
突き放した人間どもを
手際よく秤に掛けている

死んで行く奴と
生きている奴と

 そうは思ってもなかなか言えないものです。むしろ生き死にを考えないようにしたり、誰かが「死にたい」と言っても無視するのが一般的かもしれません。それをあえて作品とする作者の背景に、逆に憤りや言い知れぬ悲しみがあるのではなかろうかと想像しています。
 実は今号の『吠』に、ある若い人の追悼文が載っていました。98年に日本詩人クラブに入会し、今年5月に退会した人です。私も例会で一度だけお会いしています。そのこととは何の関係もないんでしょうが、どうしても関連付けて読んでしまいました。ですから作者の背景には、と思った次第です。作品の鑑賞としては邪道です。作品単独として読まなければいけないのでしょうね。


詩誌『スポリア』7号
suporia 7
2000.7.30 愛知県知多郡武豊町
スポリアの会・坂口優子氏発行 非売品

 ジャガイモ/長谷賢一

ジャガイモは皮を剥かれ
十二個に切られ 鍋に放り込まれます

皮と芽は捨てられます

やわらかく イイ子になった十二個は
つぶされ 美しいサラダになります

あの捨てられた芽は
このポテトサラダから生えていたことを忘れられ
このポテトサラダは
あの芽から生まれたことを忘れられ

添え物であるサラダは忘れられ
誰も手をつけず
結局は全体を捨てられるジャガイモ

光へと伸びようとした芽のあるジャガイモは
半透明のゴミ袋のなかで
明日の日の出を待っています

 厳しい視点だと思います。とくに4連目には唸らされます。その通りなんですね。ただ捨てられるためだけに刈り取られ調理され…。パーティーや旅館の料理を見ると特に思います。まあ、我家も立派なことは言えませんが…。
 この作品の優れているところは最終連にあります。捨てられた芽に注目していることが新鮮です。自然の摂理とは言え、芽さえあれば生きようとする姿勢に感動します。まあ、これからは、酒は絶対に残さないけど、ポテトサラダも残さないようにしようと思います(^^;;



 
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