きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「茄子」 |
2000.8.15(火)
自治会の夏まつりがありました。休暇をとって、午前中は準備、夕方から本番となりました。準備は盆踊り用の櫓の組み立てが主でしたが、先輩の歴史を感じましたね。まあ、毎年のことだから当たり前なんでしょうが、柱や桁にちゃんと方角や番号が振ってあって、ほぞも切られていて、ポンポンと組み上がるんですよ。最後に舞台の床板を敷きましたが、ピタッと収まって、いやあ、感激しましたね。思わずみんなで拍手しゃいました。
組み上がった舞台での祭太鼓 |
盆踊り(金太郎サンバかな?) |
うれしいことに、酒調達の係の人は私の好みを知っていたくれて、地酒「酒田錦」を一本持って来てくれました。抱え込んで呑みましたが、半分ほどにしておきました。私は酒に弱くて、とても一升なんか呑めません(^^;;
いい夜でした。
○隔月刊誌『東国』113号 |
2000.7.25
群馬県伊勢崎市 東国の会・小山和郎氏発行 500円 |
家とカラダ/大橋政人
だいぶガタがきていて
崩壊寸前
家も私のカラダも同じようなもんだ
最近、そう思うんですよ
と丹羽壮吉さんは言う
丹羽壮吉さんの家は
私が小学生のころピカピカに光っていて築四十五年
壮吉さんのカラダはそのころテカテカに光っていて築八十四年
壊れかけの家の中に
壊れかけのカラダがある
という訳ですね、つまり−と壮吉さんは笑う
家の方は
立て付けが悪くなるばかりだけど
面倒だから、もう手を入れないことにしたんだ
家が先か
カラダが先か
カラダが先なら問題ないが
家が先だと
カラダが外に放り出されて
空の下、カラダ一つで生きることになる
そのカラダ一つが壊れたとき
カラダの中から
やはり何か放り出されるものが
あるのかね
ないのかね
話の成り行きからいけば
何か出てきてもおかしくはないんだが
どうなんだろうね
と丹羽壮吉さんは笑いながら言う
大橋さんの魅力は飄々とした語り口で、この作品にもよく表れています。固有名詞の使い方もうまい人で、丹羽壮吉さんという実在するかどうかは知らない人にも魅力を感じますね。こんな話を飄々と出来る老人なんて、ご近所にはいませんね。
家があってカラダがあって、そのカラダの中にも「やはり何か放り出されるものが」あるのか、無いのかという問答は、この作品のもうひとつの魅力です。テーマとしてはこちらが主なんですが、さりげないところが怖いですね。ほんとうに「どうなんだろうね」。
○個人詩誌『粋青』22号 5周年記念号 |
2000.8
大阪府岸和田市 粋青舎・後山光行氏発行 非売品 |
1995年の8月創刊で、ちょうど5年です。記念企画のひとつとして中学校の教科書に掲載された作品が見開きにありました。スキャナーで撮ってみました。65KBと、ちょっと画像が大きいのですがご勘弁を。
春
風が
逃げる
ふりむいて
逃げる
走っておいかけると
子供のように
季節が笑う
ふりむいて
風が逃げる
「『後山光行詩集』より 撮影地
北海道」と注釈があります。いい作品ですね。教科書に載せることもそうだけど、このまま額に入れて部屋に飾ってもいいくらい。こういう作品が求められているんだなと思います。死だの病気だの、ってのは食傷気味かもしれませんね。
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