きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
nasu
新井克彦画「茄子」




2000.8.19(土)

 きのうは花金だと言うのに徹夜仕事になって、今朝8時半に帰宅しました。この2ヶ月ほどは徹夜が無かったので身体が慣れてなくてキツイ、キツイ。15時過ぎまで寝ちゃいましたよ。
 夕方は自治会の組長会議。なんかヤクザみたいですけど、地域によっては班長という言い方もするようですね。要するに隣組の順番に廻ってくる世話役です。今年は執行部側の自治会役員と兼任なんで、会場に行ったら変な感じでしたよ。役員なんで役員席に坐ります。組長は組毎に席が決まっていて役員席に対面しています。で、私が坐るべき組長の席には、当然ながら誰もいない。ポツンと空いたままなんです。あれ? オレっていったい何だ?
 まあ、そんなこともあるでしょう。


詩誌『叢生』109号
sosei 109
2000.8.1 大阪府豊中市
叢生詩社・島田陽子氏発行 400円

 手術/由良恵介

  「歩く足を失った時
  私は自決を覚悟した……」
と 父は日記に残している

朝夕の挨拶が衣替えをする頃
眼の手術をすることになった妻
長い間
恐怖と向かい合っていた右眼
それをかばって疲れきった左眼
二つも三つも重なる病名
石仏のように固まった魂に
苔衣は似合わない
人より大きな瞳は
何かにつけ誤解を招いてきた
しかし
こわれそうな表情は言い訳を拒んできた

手術の日が近づく
人前で装う痛々しい平常心
「うまくいくよ…
 何かあったら 俺の一つやるよ……」
不用意な言葉に
沈黙の時が流れる
「ありがと……」
から始まった次の日
エプロンのポケットから見つけた一枚の紙切れ
 洗濯機の使い方
 ビデオ録画の入れ方
 金庫の開け方
覚悟を決めた妻の
手術の前の私の手術

何年も前から
私の片方の眼は妻の名義にしている

 夫婦とはこういうものか、と思わず正座してしまいました。私は離婚も経験していますから、女性に対しては、いずれ死別という形であっても別れが来ると思っています。そういう醒めた目で見なければならないという、一種の脅迫観念にとりつかれていますから、この作品は新鮮でした。
 それにしても、私も「洗濯機の使い方/ビデオ録画の入れ方/金庫の開け方」さえ判らなくなっている状態で、醒めた目、などと言いながら妻に依存し切っている生活を思い知らされます。作者もその面では私と同類で安心しましたが、「何年も前から/私の片方の眼は妻の名義にしている」ことは、私の欠けている部分を指摘された思いです。


詩誌『ひょうたん』13号
hyoutan 13
2000.7.29 東京都中野区
ひょうたん倶楽部・中口秀樹氏発行 400円

 おそい午後、公園/阿蘇 豊

やがて暗くなり
夜が来る
「ねえ、おひさまってどこでねむるの?」
となりのベンチで男の子が母親をのぞきこむ
そういえば 暗くなるって?
夜になるって、いったい?
どうして見えていたのに見えなくなるんだ?

羽虫のような
疑問符が飛びかい
ぶつかってきて
おりてきた大きな指が
オセロゲームの白いコマを
ひとつ またひとつ
ひっくりかえしている

「それはね、」と母親は答えなかった
男の子ももう聞かなかった
ただ 小さな疑問符が飛び出し
空に消えた

晴れた夜
天空できらめく あれは
ヒトがつくられて
コトバをもらってからというもの
空に消えた無数の
小さな素朴な疑問符たち?

 願わくは、この男の子に科学する心≠ェ芽生えますように。科学なんて万能じゃなくて、事象の万分の一も説明できないけど、科学的に物事を見るという目は大事。そうじゃないとカルトに行っちゃう可能性が高いからね。科学とカルトのどちらがより重く社会に悪影響を与えたか、という問題は残るけど、一技術屋としてはカルトで何が判るかと言いたいですね。
 ちょっと作品の本題から外れてしまいましたが、この男の子の疑問に答える義務を大人は持っていると思うんです。メルヘンで答えるか、科学として答えるかはこの子の将来にとって大事なことのように思いますね。メルヘンならまだいいけどカルトで答えられると、ちょっと怖くなります。母親も作者も何も答えていませんが、それも一つの答えだし、それがこの作品のテーマでもあるのかもしれません。
 この子への答えは科学的には簡単です。しかし天動説、地動説の時代からの科学的な歴史を考えると、科学とはつくづく大変なことだと思います。ひとつの現象を解明するのに100年の単位が必要なんですから。そうやって人類が学問的に勝ち取ってきた成果を、次の世代に伝える義務を我々は負っていると思います。



 
   [ トップページ ]  [ 8月の部屋へ戻る ]