きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
nasu
新井克彦画「茄子」




2000.8.22(火)

 21日から泊まりで福岡に出張してきました。本来なら21日夕方の便で羽田をたって、ということになるんですが、飛行機嫌いの私は当然ひとりで先に新幹線で行きました。まあ、帰りはしょうがないから皆と一緒に飛行機で帰ってきましたけど…。
 久留米で泊まりましたが、いつものワシントンホテルのすぐ近くに良さそうな店を発見。夕飯はそこにしました。ビルの地下にありますが、200人ほど入れそうな大きな店です。労働者の店、という感じですね。ひとりで入っても違和感がありません。出張先でひとりで晩メシを食うというのは意外と難しいんですよ。ラーメン屋さんのような所なら何でもないんですが、ちょっとした小料理屋を希望していますので、これがなかなか難しい。ついつい大衆食堂のような所を探してしまいます。
 たしか「松竹本店」とか言う名前でしたが、安いのに驚きました。定食とビールと日本酒を頼んで、1500円もしなかったと思います。しかも日本酒は佐賀の地酒、光栄菊という名だったかな。なかなかの味でしたよ。22時には就寝、ゆっくり寝ることができた、いい出張でした。


月刊詩誌『柵』165号
saku 165
2000.8.20 大阪府豊能郡能勢町
詩画工房・志賀英夫氏発行 600円

 あじさい/今泉協子

その人のテノールの声を耳にすると
私の中の少女がうたいだす
鎌倉のあじさい寺で
傘をさしてひとを待っている
麻のスーツを着て
足早に近づいてくる靴音
三十年ぶりに
私達はめぐりあった

昔 同級生の二人は
美濃の山あいの中学校で
新聞作りを手伝った
拙い原稿を書くために
額を寄せあったものだ
夕日は
教室を飴色に光らせ
手で掴めるほど近かった

境内に笑い声を残して
ひとは去っていった
互いの立場を変えていく
時の重さを量りながら
あじさいの群落の中にいる
幸福のつづきを探すように
花にそって歩きだした

 きれいな作品で心が洗われる思いです。私も先日、中学校の同窓会があって「私の中の少女」たちに会いました。「互いの立場」を知り、「時の重さ」を感じたばかりです。いい集まりでした。
 この作品がきれい≠ニ感じるのは、表面的には第2連の「夕日は/教室を飴色に光らせ/手で掴めるほど近かった」と最終連の「幸福のつづきを探すように/花にそって歩きだした」というフレーズだろうと思っています。第2連の言葉は、詩の言葉としても情景描写としても優れています。最終連のフレーズはそこだけ取り出すとメルヘンチックで鼻持ちならない感じになってしまいますが、全体の重みでそうはならずにいると思います。詩の言葉としては危険なんですが、それを巧みにかわして取り入れるところに作者の力量を感じました。


詩誌『鳥』35号
tori 35
2000.8.1 京都市右京区
洛西書院・土田英雄氏発行 300円

 大文字山/高丸もと子

登りきったところに
薪を入れる側溝が続いていた
ちょうど大の字の
一画目の終わりの上あたりで
わたしたちは腰をおろした
五月の夕風が
二人のブラウスをふくらませた

眼下に広がる古い町並は
入口も出口もなく
ゆるやかに時だけが流れていくようだった
 好きな人がいる
彼女の汗ばんだ髪からも
けなげな精気が匂った
 うばっちゃいなさいよ
 思い切って
わたしは思わず言ってしまった
彼女の熱情の波動が
わたしに耐え難いほどの
嫉妬を抱かせた

この山の向こうにだって
また山が続いているけど
かまわないから
今すぐ越えてみたいと
いえ いつかかならずと
いつか
いつか
どれほど遠くなのか知らないけれど
あれから
いくつもの年月が過ぎて
今年もまた
大文字が燃える

あのとき
微細な炎に焼かれるような情念を
わたしも孕んでいたと
誰が気づいただろう
わたし自身でさえ
ふたりがすわった場所
振り向けば
犬の文字になって
獣になって
密かに
燃える

 うまい作品だと思います。「大」の字が「犬」になるという結末には、あっと脅かされました。第1連が見事に最終連に掛ってきて、構成のうまさが作品を一歩高く持ち上げていると言えます。場所は京都の嵐山なんでしょうが、古都と若い女性二人の秘めた話がうまくマッチして、現代の風景でありながら万葉の昔までつながっている感情のような錯覚を覚えました。



 
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