きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「茄子」 |
2000.9.1(金)
日本詩人クラブの理事会がありました。今回速報でお知らせできることは、創立50周年記念東京大会のことですね。10月14日(土)午後4時より7時までポエトリー・リサイタル(1000円)、7時より9時まで祝賀パーティ(8000円)で、池袋のサンシャインシティープリンスホテルで行われます。まだ把握し切れていませんが、ちょっと参加者が少なそうです。どなたでも参加できますから、是非おいでください。お申し込みはお近くの会員か会友、Eメールでも受け付けています。zvc05352@nifty.ne.jp 日本詩人クラブ
までお気軽にどうぞ。
私にとってのトピックスは、生まれて始めて「営業」をやっているということですね。毎年暮に会員名簿を発行していますが、そこに出版社の広告を載せています。今年は私が広告取りをやることになりました。広告をいただける会社は詩人クラブに好意的な所ですから、それほど苦労はないんですが、緊張しています。まあ、いい経験だと思っていますけど…。お願いしている出版社の皆さん、ご支援をよろしく!
○詩誌『都大路』28号 |
2000.9.1
京都市伏見区 都大路の会・末川茂氏発行 500円 |
下駄箱/すえかわ
しげる
暮らしの智恵だろうか
玄関口に下駄箱が据えられている
花や色紙 えとの置物が飾られ
皮靴・登山靴 草履 雨靴雨傘と
各段に夫婦の履物がきちんと収まっている
妻が逝って三年
かつてのように山道や街を歩くこともない
捨てるに捨て切れない
思い出のしみ込んだ品々
ある晴れた日
僕はていねいにほこりを払い
軒下に陰干しをする
妻の好きだった歌を口ずさみながら
下手な歌と笑ってくれるな…
最後の1行で、ついホロリとしてしまいました。いい1行だと思います。奥さんを亡くされて3年経って、ある程度落ち着いたでしょうが、日常の品々の中でつい思い出すということがあるんでしょうね。私には経験がありませんが、そんな時の作者の気持ちが伝わってきます。
視点を変えると、家庭の下駄箱というのは庶民の象徴のような気がします。学校などの大規模な下駄箱や下駄箱の無いレストランなどと比較すると、少ない人数の下駄箱というのはそれだけで家庭の象徴でしょうね。今は靴箱なんて言い方もしているようですが、昔からの下駄箱という表現がこの作品にはよく合っていると思います。
○沼津の文化を語る会会報『沼声』243号 |
2000.9.1
静岡県沼津市 沼津の文化を語る会・望月良夫氏発行 年間購読料5000円(送料共) |
仁木一郎という名古屋大学医学部助教授の方が「ジェンナー博物館」というエッセイで、次のように書いています。
--------------------
因みに、わが子を種痘の実験台にした、という美談は真っ赤なウソ。博物館の資料から窺えるのは、「家族愛の人、ジェンナー」であり、「息子を実験台にしろ」というのは無理な話である。接種されたのはジェイムス・フィップスという近所の男の子。
--------------------
ジェンナー博物館を訪ねての感想ですが、これが本当だとすると、息子を膝に抱えて注射をしているという、あの有名な図はいったい何だったんでしょうかね。確か、最愛の息子を実験台にして、なんて説明も付いていたように記憶しています。仁木さんもそのように覚えていらっしゃったからこそ、この文章になったんだと思います。
近所の男の子を抱いていたのが翻訳の間違いで息子になったのか、意図的に人類愛を演出したのか、疑問は深まるばかりですが、そんなことは意外に多いのではないか、という気もします。湾岸戦争当時、アメリカが意図的に流した水鳥の重油漬けの写真以来、なかなかその手の報道は信じられなくなっていますが、100年も前から似たようなことがあったとすると、事実・真実を掴むということはとんでもなく大変なことだ、と思ってしまいますね。
[ トップページ ] [ 9月の部屋へ戻る ]