きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「茄子」 |
2000.9.2(土)
埼玉・熊谷では40℃近い気温になったとか、暑い一日でしたね。そんな日の13時から15時という最も暑い時間に、中学校校庭の草取り作業でした。生徒、先生、親が一緒になってのボランティアです。小さな集落、小規模校ということで、何をやるにしても三者が一体となってやらないと出来ない、というのはある意味ではいいことだと思っています。キツイ作業ですが終わって校庭がスッキリすると、生徒も先生も親もみんなで大喜びして、それが共有できるのはいいことです。伝統的に非行に走る生徒がまったくいない学校ですが、そんなことが起因しているんだろうなと思っています。
私もよせばいいのに、ついつい生徒の集団に行って「お前ら、校庭がこんなにきれいになったんだから、勉強もよく出来るようになるんだろうなあ」と言ってしまいました。返ってきた返事がふるってましたね。「そんなの関係ねえよ。校庭の草取りで勉強が出来るようになるんだったら、毎日草取りやるよ」。うーん、中学生の言ってる方が正しい(^^;;
○周田幹雄氏詩集『愛する素振り』 |
2000.8.31
東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 2000円+税 |
争奪
蒸し暑い夜
涼しい風が入ってくるな
と目を開けると 団扇が 静かに揺れている
台所からの 小気味よい包丁の音を聞きながら
この女は 絶対に離さないぞ
などと 早朝から妙なことを誓ったりする
長野県は 一家で所有している布団の枚数が 日本一だという
訪問客をもてなすことの他に
山国のため 朝方の気温の低下が激しく
掛け布団がもう一枚必要なのだ
その気温の急激な変化が 林檎の生育には欠かせないが
信州人の気性が忍ばれて 温まる話だ
朝方 急に冷え込んでくると
若い頃のように 身を寄せ合えばいいのに
暗闇のなかで 掛け布団を奪い取ることになる
気がついたら また無くなっていたりする
夜中に目覚めて
剥いでいる掛け布団を掛けてやりたくなるような
そんないい女性は いないか な
他の作品にも奥さんや他の女性がたくさん出てきますが、作者の女性に対する眼は根底のところで温かいと思います。「この女は 絶対に離さないぞ」なんて、私には考えたこともありませんでしたからね(^^;;
下手をすると若いのと取り換えてしまうぞ≠ニ言ってしまうくらいです。「若い頃のように 身を寄せ合えばいいのに」もなるほどと思いました。そんなこともすっかり忘れていますね。
「剥いでいる掛け布団を掛けてやりたくなるような/そんないい女性は いないか な」というフレーズで思い出しました。いるんです、これが。娘です。トイレの行き帰りについつい娘の部屋に立ち入って、布団を掛け直してやる、なんてことがあります。まあ、「いい女性」というわけにはいきませんが。それに眼を覚まされてきゃあ、エッチ≠ネんて言われるのがオチですけど…。ホント「いい女性は いないか な」ですね。
○個人詩誌『ひとり言だもんね』11号 |
2000.8.31 東京都国立市 小野耕一郎氏発行 350円 |
青の世界
夏本番
いちめんの青だ
なにものかを照らし
輝きを増す季節だ
その青に向かい
とてつもない夢を描く
なんでも受け入れてくれる
懐の深い色だ
縮こまっていた身を
思い切りほうり投げ
空中で宙がえりする
青はさかしまな心を一掃する
どこまでも続くその完璧な空は
失ってしまった青春を呼び起こす
世界を青一色に塗りつぶす時だ
そうすれば
この世から争い事は消え
創造の喜びだけが
世界を支配する
青から始まる
無限のざわつきは
われわれを極楽の世界に
連れ去り
悩みごとを消去し
天女の舞いを教えてくれる
青々とした気分で
身体は舞い上がり
喜悦の楽隊で賑わう事だろう
青を踏み台にして
頂上まで行く覚悟をしよう
青について「なんでも受け入れてくれる/懐の深い色」、「さかしまな心を一掃する」色であり「無限のざわつきは」「青から始まる」と書く作者の、青に対する思い入れが充分伝わってきます。その上「青を踏み台にして/頂上まで行く覚悟をしよう」とまで言い切るのですから、その思い入れは相当なものですね。
科学的には青は強い色です。波長が短く、エネルギーの減衰が少ないため、他の色が減衰しても青は残るので、空は青く見えると説明できたと思います。記憶違いだったらゴメンナサイですが。結局、作者はその強さに惹かれているんではないかと思いますね、私の勝手な想像ですが…。
他にも自然現象をうたった作品が多くありますが、この作品が一番力強く、思い入れが強いように感じました。
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