きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
nasu
新井克彦画「茄子」




2000.9.6(水)

 中学校PTAの役員会がありました。9/16に行われる運動会、10/14に行われる文化活動発表会などが議題にあがりました。小規模校ですので、運動会は中学生だけでは人数が少なすぎて(60名ほど)、小学校と合同という珍しい形です。その上、今年は幼稚園も入るそうです! 幼稚園生から中学生まで10年の年齢差のある子供が集まることになります。どんな具合になるか今から楽しみです。終わったら報告します。全国でも珍しい運動会にご期待ください。
 問題は10/14だなあ。日本詩人クラブの50周年記念東京大会があるんです。午前中は中学校に行って、午後すぐに池袋に駆けつけるというパターンになりそうです。


詩誌『ぷりずむ』6号
prism 6
2000.7.25 東京都八王子市
原田道子氏発行 500円

 母の耳/奥沢 拓

--- 母さん、大福食べる?
--- たべるウ ---
入院中の母は嬉しそうに答える
--- 明日しごとのつごうで来れないからね
母は横を向いてずっと黙っている
--- 母さん、聞こえた?
--- ゼンゼン聞こえねかった
ハッキリ答える母
老いた母の耳はつごうによって
聞こえたり
聞こえなかったり
とても便利なもの

 「小詩集 母よ」と題して、この「母の耳」と「風の道」が載っていました。奥沢さんは私の記憶によればお母さんの看病のため中学校教員を辞めた方ではなかったか、と思いました。確認のため1997年にいただいた詩集『母と手押し車』を再読してみましたが、そういうことは書かれていませんでした。他で読んだのか、私の記憶違いか定かではありません。しかし、そう思い込んでも不思議ではないほど、この作品にも母上への愛情が満ちています。
 『母と手押し車』を再読して「和解」という作品に出会いました。その中のフレーズに「十数年来の私と母の間の氷の溶けた日」というのがあります。決して母親べったりで過ごしてきたわけではないことが、それで判ります。それでもなお「母の耳」という作品を書くという作者の幅の広さには、感動すら覚えます。看病のために仕事を辞めたというのは事実に反しているかもしれません。しかし、そんなことが作者の身にあってもおかしくないと思わせる作品ではないでしょうか。


詩誌『銀猫』5号
ginneko 5
2000.8.26 群馬県前橋市
飯島章氏発行 250円

 臨時特急/中澤睦士

夏草に囲まれた長い階段を
登りつめたところに小さな駅はある

夕立明けの湿り気は
狭い駐輪場にも草いきれを運び
駅裏の
ヒノキ製材所の音が
空気を風に変えていた

今日も
あなたは帰らないと知りながら
暮れてゆく時間
下り列車の到着だけを見届けたくて
弱まる夏のひかりに溶けに来た

そろそろ
待つことにも慣れてしまったかなと
指先の甘皮を見つめれば

ふいに
白い車体の臨時特急が
大きな疾走音とともに列をなして

改札口の向こう側
北に向かって走り抜けて行った

次から次へと流れ去った窓あかり
そのたくさんの一瞬が
それぞれに都会の生活達を映して

(それが どうしてこんなにも
 哀しいことなんだろうか)

もう
帰ってくるもの達すべてに対して
お帰りと言いたいほどに
心が痩せ細っていた

 ほんとうに詩のうまい人だなと思います。最終連なんか惹きつけますね。それに心根がやさしいと思います。私だったらイラついて壁でも蹴っ飛ばすところを「そろそろ/待つことにも慣れてしまったかなと/指先の甘皮を見つめ」るだけですし、「心が痩せ細」るだけなんですからね。
 「駅裏の/ヒノキ製材所の音が/空気を風に変えていた」もいい。製材所の電気ノコの、例のキーンという音を「空気を風に変えていた」などと表現するのはニクイほどです。「弱まる夏のひかりに溶けに来た」というフレーズも、この詩人の生き方を伝えているように思います。『詩学』時代からうまい詩人だと思っていましたが、ますます磨きがかかってきたようですね。
 詩作品ではありませんが、ゲストの富沢智さんが「まほろば」に集まる同人を観察した「銀猫裏通り・2」というエッセイも温かいものを感じます。私も7月に「まほろば」に行ってお会いした同人が出てきまして、より身近に感じられました。富沢さん、あんた、詩もいいけどエッセイもいいねェ。ますます「まほろば」も富沢さんも好きになってしまいましたよ。「お気に入り」に入れとこ(^^;;



 
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