きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「茄子」 |
2000.9.9(土)
日本詩人クラブの9月例会が「神楽坂エミール」でありました。今回の講師は原史郎さんで、「日本詩人クラブ創立時の裏話」と題しての講演でした。ほんとうに裏話で、書物には出てこない話が聞けて、会場は笑いの渦でした。
熱演する原史郎氏 |
例えば初代理事長(当時は会長はいなかった)の西條八十は、西條クソと言われてクサッていたとか聞くと、あの有名な西條さんが!と思ってしまいます。戦時中に軍歌を書いたことも相当非難されたそうです。それに対しては「兵士の望郷の思いを書いた、なぜ悪い」と反論したとのこと。西條さんとは直接お会いしたことはなかったんですが、なかなか面白い男だったそうですよ。
当日の模様は日本詩人クラブのHPにも載せておきました。「例会・イベント」から入ってみてください。もう少し写真があります。
○詩誌『RIVIERE』52号 |
2000.9.15
大阪府堺市 横田英子氏発行 500円 |
ふぬけ/梅崎義晴
造酒屋の
連子格子の
入口のところ
男は
机のうえに
土瓶ひとつ
箸一対
まっすぐに置き
机のうえの両端に
両腕を置いて
顔や身体しいったものは
連子格子のなかに
隠れて見えないのである
通る人も
ただ土瓶と
箸に気を取られ
男の姿に
気づかぬまま
通り過ぎて行くだけなのである
穴熊のような
その風体 男
去年妻を亡くしたとか
大変どすの効いた話方で
声だけが響いて聞こえ
それだけに顔や身体といったものが
どこにあるやら
判らないのである
机のうえの
腕の二本がくっきりと
見えるだけである
あとは
暗闇
なんとも不思議な作品で、惹きつけられました。時代もいつか判りませんが、「机」とあるから現代と考えています。雰囲気は江戸か明治か、といったところですけどね。「ふぬけ」とは「男」のことを指しているんでしょう。しかし、それにしても存在感のある男です。「去年妻を亡くしたとか」というフレーズが良く、この一行で男の人生を語り尽くしているようです。
「造酒屋」という場の設定、「土瓶ひとつ/箸一対/まっすぐに置」くという男の性格の表し方、「ふぬけ」というタイトル、などを考えると、かなり計算されています。それなのに全体にぼんやりとした雰囲気もあって、近頃出会ったことのない、不思議な作品でした。
○詩・評論・小説誌『むうぞく』9号 |
2000.8
青森県弘前市 『むうぞく』の会・獏不次男氏発行 700円 |
五十年目の再会/櫻井麻古人
男の燻製みたいになった五十年前の少年と
女の干物みたいになった五十年前の少女が
ビブレの巨大熱帯魚水槽前で
ばったり出遭う
無言のままにこっと目で挨拶をかわしただけなのに
「あなたに密(ひそ)かに憧れていた五十年前の少年です」
「あなたを仄かにに慕っていた五十年前の少女です」と
互いの目が語っているような、いないような ----
たまゆらの静謐が真実を曖昧に包み込んだまま
「それじゃ」と再び無言の会釈を交わして
逆方向に立ち去った
互いに振り返ることもなく ----
―ああ 少年老い易く 花の命は短し―
たったの一行で締め括(くく)られた五十年目の再会だった
素晴らしい比喩に思わず唸ってしまいました。「男の燻製みたいに」「女の干物みたいに」という比喩は言いえて妙ですね。私も10年前は判りませんでしたが、50歳を過ぎて中学校の同窓会に出席してみると、この比喩がよく判ります。まだ「燻製」「干物」までは行ってませんが、完璧に予備軍です。
「―ああ 少年老い易く 花の命は短し―/たったの一行で締め括(くく)られた五十年目の再会」というフレーズもいい言葉です。そうなんですね、人生なんて「たったの一行で締め括られ」てしまうんです。私たちよりも若い世代に伝えたい作品です。
○詩誌『燦α』5号 |
2000.10.16
埼玉県大宮市 大宮詩仙堂・二瓶徹氏発行 非売品 |
繋がっているもの/さたけまさこ
いつからだろう
写真を撮られるより
撮ることが好きになったのは
抱きしめられるより
抱きしめることが好きになったのは
TVの途中で
いつも立ってしまう母さん
一緒に見たらいいのにって思っていた
でも母さんには
する事がたくさんあったんだね
食事の支度や後片づけ
洗濯や掃除や
あの頃はわからなかった
母さんがいろんな事をしてくれていた事
当たり前だって思ってた
娘がね
「おおきくなったら、あかちゃんをうむの。
わたしがおっぱいあげるから、おかあさん
は、おしめをかえてね。くさいから。」
だって。
人は繰り返す
何度も何度も
わたしもずっと繋がっているものの一つ
それがとてもうれしいこの頃
母から娘へと、その娘も「おおきくなったら、あかちゃんをうむの」という繋がり。延々と繋がって行く遺伝子の記憶。「それがとてもうれしいこの頃」と言える作者の成長。そんなプラスの要因を素直に感じさせる作品ですね。
この作品の中で重要なのは娘さんの言葉だと思います。「わたしがおっぱいあげるから、おかあさん/は、おしめをかえてね。くさいから。」という言葉に人間の根源的に持っている傲慢さを感じます。それでいいのです。人間は最初は傲慢なものだと思います。それが日々を重ねるうちに取れていって、他人の気持ちも判るようになっていくのでしょう。それを成長と言うのだと思います。それが判っているから作者もわがままな娘の発言を載せているわけです。
繋がっていること、それはとりもなおさず人間の成長に支えられている、とこの作品は述べているのではないでしょうか。
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