きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
mongara kawahagi.jpg
新井克彦画「モンガラ カワハギ」




2001.1.1(月)

 新年、おめでとうございます、、、、って、1月9日に書いてますから、ちっともその気じゃありませんが(^^;;  なにはともあれ、昨日で12月31日までの分をUPし終わりました! これで私の2000年も終わり、2001年を迎えることができたわけです。メデタシ、メデタシ。
 昨年中は、ほんとにたびたびおいでいただき、ありがとうございました。厚く、熱くお礼申し上げます。こんなちっぽけなHPですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 ということで、本年最初にご紹介するのは、1月2日にたった1冊到着した、これです!



滋賀銀行PR誌『湖』136号
mizuumi 136
2001.1 滋賀県大津市
滋賀銀行営業統轄部発行 非売品

 『山脈』同人の西本梛枝さんが連載で滋賀県下の町を紹介しています。今号は湖東町。そこに「探検の殿堂」という施設があるそうです。ちょっと引用してみましょう。
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 湖東町から出た近江商人の家の一つに西堀という家もあった。湖東町横溝から京都に出てちりめん問屋として大成した家である。
 その家の五人の孫の末っ子に榮三郎という探求心旺盛な子がいた。その子は十一歳のとき日本人初の南極探検をした白瀬中尉の南極報告会に行き、南極に魅せられてしまう。
 それからおよそ四十年後の昭和三十一年十一月八日、南極観測船「宗谷」が東京晴海埠頭から出航していった。日本の南極観測の始まりだった。その第一次越冬隊長が西堀榮三郎。少年の夢は現実となったのである。その名は、彼が白瀬中尉の名を心に刻んだように昭和三十年代の子たちの心にも焼きついた。ちなみによく知られる『雪山賛歌』の一番「雪よ岩よ我らが宿り俺たちゃ町には住めないからに」は西堀氏の学生時代の詩である。
 その西堀榮三郎の祖父と父の故郷である湖東町に平成六年、榮三郎の功績を称え、さらに、大きな夢を育む場としてオープンしたのが《探検の殿堂》。馬堤溜池のほとりに、海に浮かぶ氷山をデフォルメしたように建っている。白い大陸で隊員たちの帰りを一年間待ち続けた、カラフト犬のタロとジロも彫刻になって前庭にいる。
 館内二階は日本人探検家四十九人を肖像画で紹介した「探検家の殿堂」。一階に西堀榮三郎記念室とオーロラやブリザードが体験できるマイナス二十五度の南極ワールド。約二〇分の体験ながら、マイナス二十五度はこたえる。備え付けの防寒ジャンパーを着て入るのだが、夏、短パンで入っていった少年が我慢ならず飛び出していった。(以下略)
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 −25℃! それが体験できるんですね。私の体験している温度は−17℃。長野・志賀高原、渋峠スキー場でのことでした。空気が痛くて、なんでこんな日にスキーをしなければいけないんだろうと思いましたよ。それよりもさらに低い温度が体験できるなら、これは一度行かなくてはなるまいと思いましたね。『雪山賛歌』の作詞者なら、なおさらのことです。
 それはさておいて、西本さんの文章にもご注目ください。要点をキチッと抑えて、歯切れのよい文章ですね。これがプロの文章です。そんな勉強もさせてもらっているんですよ、実は。
 で、次は1月3日以降にいただいた本を紹介します。



塩原経央氏詩集『月』
tuki
2001.1.9 群馬県新田郡新田町
風書房刊 1200円

 男のゐない風景

昼下がりの家の中であることは、
柱に掛かつてゐる古い時計で知れる。
向かひ合つた男の両手首に掛けられた毛糸が、
女によつて巻き取られてゐる。
彼らが座つてゐる薄く長い板は、
街の児童公園でよく見かけるシーソーで、
水色のペンキがところどころ剥げかけてゐる。

男はあくびをしたが、
胸の辺りが変に心許
(こころもと)なく十分な空気が吸へない。
毛糸を巻き取る女の手許から視線を泳がせて、
毛糸の出どころをたどつてみると、
どうも男の胸の辺りから手繰られてゐるやうだ。
女が毛糸を巻くたびに胸が凹んでゆく感覚が、
ザリガニのやうに沼の底から這ひずり出て来る。

ギイーツといふ軋みを立てて、
シーソーがゆつくり均衡を破る。
男が空に吊り上げられるのは、
男の質量が減つて軽くなつたといふことだ。
空に打ち込まれた釘に引つ掛けられるアンカウ。
その眼の穴からアパシーが繁殖し、
切り出されたキモの痙攣がアノミーを蔓延させた。

もう、ここには男はゐない。
家々に毛糸を巻き取る女ばかりが肥大し、
その重みに家々はひしやげ、
茶髪の少年はズボンをだらしなくずり下げ、
痩せて凶器とさへなる骨でオヤジをカツアゲする。
厚塗りでやつぱり茶髪の少女どもは、
復讐でもするやうにあつけらかんと春をひさぐ。 96・7・10

 正直なところ、一筋縄ではいかない詩集です。著者のあとがき、解説の森常治氏「塩原経央の世界----天秤の技術」にずいぶんと助けられました。一度や二度読んだだけでは私の血肉とはならず、くり返し読むことを要求されている詩集です。そして、この詩集のすべてを理解できるようになれば、私も一段と成長できるという予感があります。
 そんな中でも、紹介した作品は私にも理解できるものでした。それでも浅学にして「アパシー」と「アノミー」の意味が判らず、辞書の助けを借りました。
 アパシー=(英apathy)1.→アパティア=(ギリシャapatheia 本来「パトスのないこと」の意)情念や欲情に支配されない、超然とした境地。ストア学派はこれを生活の理想とした。2.無感動。無神経。特に、政治や思想に無関心、無感動の状態をいう。
 アノミー=(ふらんすanomie)1.社会学で、行為を規制する共通の価値や道徳基準を失った混沌状態。2.心理学で、不安、自己喪失感、無力感などに見られる不適応現象。
 *いずれも「Microsoft/小学館Bookshelf Basic」より。
 これでようやく全貌が見えました。世の男どもの情けない状態を憂いている作品です。身につまされます。特に旧仮名で書かれると、ヨワイ。塩原さんは私より3〜4歳年長なだけなんですが、明治の男に叱られているような気になりますね。さて、じゃあ、どうするか。悩みます。



 
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