きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
mongara kawahagi.jpg
新井克彦画「モンガラ カワハギ」




2001.1.18(木)

 きのう、1月17日は阪神・淡路大震災6周年でした。それとともに、このHPが満2年を迎えた日でもありました。お陰さまで、この2年間に9100余件のアクセスがあり、紹介した詩誌・詩集も750冊ほどになったろうと思います。始めた当初はどうなるものやらと心配していましたが、なんとか続けられて、ホッとしています。これからも引き続いて運営していくつもりですので、ご指導ご鞭撻のほどをよろしくお願いいたします。初心忘るべからず。



不定期刊詩誌『幇』5号
pan 5
2000.12.20 群馬県伊勢崎市
紙鳶社・小山和郎氏発行 1000円

 小山和郎さんがこんな詩誌も出していたとは知りませんでした。「不定期刊」とありますから、本当に不定期に出しているんだろうなと思いましたよ。そして、あとがきを見てびっくり。「この前に「幇」4号を出したのは、一九八七年二月のことだったから、なんと十三年前ということになる。」なんて書いてありました。それじゃあ、私なんか知らないわけだ。その頃は小山和郎というお名前だけは存じ上げていた、という程度でしたからね。
 6号は2014年頃になるんでしょうかね(^^;;

 妄想協会/富沢 智

生き延びてみればあいつも
あいつも死んで
もういない
さあ
どう位置付けようか

おとなの妄想について
おれは低俗な網を投げてみた
大漁だった
裸の男と女が
たがいのまたぐらに吸い付いたまま
ごっそりとあがってきた

とりわけインテリゲンチャは
富と名声に敏感で
それだけだった
すべては仕組みが悪いのだと
一市民(村民か)Aはのたもうた

簡単なことは何一つ無い
しかし
人間はけだものであることで
うつくしいけだものだった
なんだいこれは

一篇の詩は
野に放たれたもの
誰も聞いていないが
誰かが聞いている
黙殺されるのはおたがいさま
泣くなわめくな

せめてひとかたまりの
行為として果てるべきではないか
この自由な国の自由な詩は
へへ
守るべきものがたった半世紀で分からなくなる
何が考える詩だ

ここでしめくくる
ここらで誰かの横っ面をひっぱたけなけりゃ
生き延びてる意味がない
ちきしょめ

 いろいろな取り方があると思いますが、私は「妄想」を素直に「詩」として考えてみました。そうすると「低俗な網」にかかったのは、本当に低俗だったことがよく判ります。「とりわけインテリゲンチャは/富と名声に敏感で/それだけだった」というフレーズもキツイですね。「守るべきものがたった半世紀で分からな」ってしまった戦後詩、「考える詩」の底の浅さまで指摘されてしまいます。
 最終連で作者は何をどんなふうに「しめくくる」つもりでいるのか、気になるところです。現代詩資料館「榛名まほろば」としてしめくくったのか。素直にかんがえればそこに落ち着いてもいいのかもしれません。なかなか眼の離せない詩人です。



水谷詩集『夜のポスト』
yoru no post
2000.4.13 札幌市南区 ねぐんど詩社刊 非売品

 渚にて

渚で
しろく乾いた瑪瑙をひろうと
海が 哄笑
(わら)った

抛物線の頂点にねらいをさだめ
錐状にして投げかえす
と、かすかな石の悲鳴
波間で青じろくゆらぐ
小さな蟹にすり替っている

わたしは
沈んでも時を刻み続ける
精巧な時計を嵌めているが
海は 生の倒錯だと言って
いっ歩もひかない

 「時」は「生の倒錯だ」という発想がおもしろいと思います。「海が 哄笑」う、「海」が「いっ歩もひかない」という擬人法もよく効いていて、作品の質を高める作用をしています。「石」が「小さな蟹にすり替っ」たという視点もおもしろいですね。岩石が瑪瑙に変るまでには何億年もかかるのでしょうか、小さな人間の一生に比較すると、想像できない時間です。それを背景に考えると「海が 哄笑った」というフレーズの意味も非常に深くなると思います。短い作品ですが、作者の力量を十分に感じることができます。



 
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