きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「モンガラ カワハギ」 |
2001.1.30(火)
社員教育につき合って、小田原市にある「アジアセンター」という研修施設に行っていました。生徒が10名のところにインストラクターが4人、事務局が1名、アドバイザーとして私の計16名という、なんとも贅沢な研修です。私がインストラクターを始めた10年前は、たったひとりで30名の受講生を持ったこともあって、時代は変わってきたなと思います。研修費を削減して、受講生を減らしてきているんです。でも、この不況の中でも研修を続けてこれたというのは、会社に感謝しなければいけませんね。
私の会社は製造業です。製造現場にはトラブルがつきもので、それをいかに正確に早く安くトラブルシューティングしていくかという研修です。アメリカのシンクタンクが40年ほど前に開発したプログラムを教えています。研修生にとっては決して眠くならないおもしろいものですが、正直なところ習得するのは難しいです。まあ、興味があったらご連絡ください。日本支社長を紹介します。インストラクターをひとり育てあげるのに100万円ほどかかりますが(^^;;
○詩と批評誌『玄』50号記念号 |
2000.12.17
千葉県東金市 高安義郎氏発行 1000円 |
時の点/奥平正子
規則正しい滴りの向こうに
東京タワーが見えた。
酸素マスクを透して
右下に外苑の緑がぼやけた。
生命(いのち)はしたたかに
時の線を描いている。
昨日
隣りのベッドの人が逝った。
カーテンの向こうで 静かなざわめきが起こり
青空の中の部屋に移され
天界に近くなってから 地上に降りて逝った。
「生命の重み」は 感じない
最期の点は呆気無く 「生命の儚さ」のみ
消え入る時は 時の点
生きることは 時の線
今日の点は 昨日の点と同化しつつ
個を保ちつつ線になる。
終連の「消え入る時は 時の点/生きることは 時の線」というフレーズがよく効いていると思います。第1連で「時の線」という言葉に出会い、何かな、と疑問に思っていましたが、最終連で理解できました。読者を惹きつけておくという技術のひとつでしょうね。
「青空の中の部屋に移され/天界に近くなってから 地上に降りて逝った。」というフレーズは、理解しているようで、実はあまりよく理解できていません。人が亡くなる直前の状態を象徴的に描いていると思いますが、ちょっと違うような気もします。「青空の中の部屋に移され/天界に近くなってから」という」言葉は具体的なことを言っているようにも思います。理解不足を恥じています。
○詩誌『花』20号 |
2001.1.25
埼玉県八潮市 花社・呉美代氏発行 700円 |
調停離婚/飯島幸子
乳飲み子を抱えて実家に戻った
専業主婦は
養育費のことがあるので 家庭裁判所に行く
調停員は
ここに来る皆さんは
夫を罵って 喚き立てるんですよ
何も言わないなんて
あなたは まだ愛しているんですか
離婚に応じてくれただけで満足している
他人となった相手が
不幸になることは望まないが
愛情なんて微塵もない
「離婚三題」と題されて、この他に「熟年離婚」「白紙になった離婚届」という作品があります。その中で、この「調停離婚」を紹介するのには訳があります。私も20年ほど前に体験しているからです(^^;;
この作品と違って、私の場合は夫である私からの調停申し立てでした。でも、調停員に言われたことは似たようなもんでしたよ。「お互いにもの静かで、とても離婚調停をしているようには見えない」と言われました。だって、大人同士なんだから騒ぎ立てるのはみっともないし、喚き立てても何の解決にもならないと思っていましたね、お互いに。
そして、やはり「他人となった相手が/不幸になることは望まな」かったけど「愛情なんて微塵も」ありませんでしたね。ですから、作中の「専業主婦」の気持は理解できていると思います。
作中の「乳飲み子」については何も書かれていませんが、私は子について、ある覚悟をしていました。子は親の身勝手の犠牲者で、私はそれを生涯受けとめながら生きなければいけないと思いましたね。今もその気持に変わりはなく、まだまだ大変だなあ(^^;;
作品から離れて自分のことばっかりなってしまいましたが、そんなこの20年ほどを振りかえってしまった作品です。それも詩の持っている力なのかもしれません。
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